第388話 純愛はお好きですか? 7
赤石と京極は二人、窓の近くで膝を折り、縮こまっていた。
「……」
「……」
窓を少ししか開けていないこともあり、声が聞こえない。
「帰るか……」
赤石は引き返そうと立ち上がった。
「わっ!」
「うわ」
いつの間にか背後にいた平田と赤石が接触しかける。
「ビックリした」
赤石は汗を拭う仕草をする。
「え?」
京極が後ろを振り返る。
「わっ!」
遅れて、京極が声を上げる。
「何してんの、こんな所で」
平田が額に青筋を立てながら、トントンと足で床を踏み鳴らす。
「こっちのセリフだ。いつからいたんだ」
「結構前からいたけど」
「何しに来たんだ?」
「……」
平田は答えない。
「あいつが出て行ったから探しに来ただけだし」
平田は赤石から視線を外しながら答えた。
「新井とかに怒られて居場所がなくなったから来たんだろ」
「はぁ!?」
「お前があんなこと言うから楠木が出て行ったんだろ」
「だから探しに来てやったんじゃん! もういいから、知ってるなら教えろよ」
「そこ」
赤石は窓を指さした。
「そこの下、中庭で楠木と清水が喋ってる」
「じゃあ降りればいいじゃん」
「二人にしないといけないと思って上がって来た」
「……あ、そう」
平田は興味なさげに言う。
「じゃあこいつは?」
平田は足で京極を指した。
「歩いてたら知らぬ間にくっついてた」
「虫じゃん」
「なっ! 何を言うんだ赤石君!」
京極が立ち上がる。
「そもそも君が――」
「あぁ、もういいからいいから。お前の話とかどうでも。ってか、もっと窓開けないと声とか聞こえないでしょ」
平田はガサツに窓を全開にした。
「バレるだろ」
赤石が窓から距離を取る。
「別に聞いちゃいけない話、中庭でしないでしょ? してるならそいつ自身の問題だから」
「……」
「……」
赤石と京極はお互いを見る。
「まぁ何かあったら全部平田のせいにすればいいか」
「そうだね」
「死ねブス」
赤石と京極、平田は窓の近くで中庭を見た。
「関係ない人なの?」
生徒の笑い声と共に、清水の声がうっすらと聞こえてきた。
「聞こえる?」
「ギリ」
赤石たちは耳をすます。
「止めた方が良いよ、あの人と関わるの」
忠告の声が聞こえる。
平田が声を出さずに笑い、赤石を指さした。
「何か良い噂聞かないし、皆すごいあの人の悪口言ってるの聞くよ。教室でも浮いてるんでしょ?」
「……うん」
楠木は清水に一方的に話しかけられ、ただ肯定を繰り返していた。
「楠木君のためを思って言ってるんだよ? 赤石君、だっけ? このままあの人と一緒にいたら楠木君まで悪い人扱いされると思う。私、そんな楠木君見たくないよ」
「うん、そうだよね……」
平田が笑いをかみ殺し、腹を抱える。
「あんなに話しかけて来たくせに」
先程とは打って変わって叩くようなことを言う清水に、赤石は眉を顰める。
「でも、何もなくても清水さんと関わることないし……」
楠木は反撃に打って出た。
「清水さんも彼氏がいるんだし、僕と関わるのもあんまり嬉しくないよね? だから、正直何かあってもまぁ清水さんにはあんまり関係ないって言うか……」
楠木はもごもごと喋る。
「何あいつ、女々しいな。なよなよしてんなよ」
平田が中庭を見下ろしながら悪態をつく。
「自分が好きな女に彼氏が出来たからって、なに相手を貶すようなこと言ってるわけ? 自分のせいじゃん。本当キモい」
平田がぼそぼそと楠木の悪口を言う。
「平田さん、そんな風に他人の陰口を言うのはよくないよ」
京極が平田を諭した。
「楠木君がいないからって、いないところでその人の悪口を言うのは良くないと思う。そんなひどいこと言っちゃ駄目だよ」
あくまで人道的に、京極は平田の言葉をたしなめる。
「何、お前? 本当誰なわけ、こいつ? なんでお前は人の意見に首突っ込んできてるわけ? 赤石、こいつどけてよ」
平田が赤石の腕を掴み、横に並ばせた。
久々に名前を呼ばれたな、と赤石は思い出す。
「赤石君も駄目だよ、その人のいないところで悪口なんて言っちゃ」
「まだ何も言ってないだろ」
京極はスペースを失い、後ろに下がった。
「清水さんも、僕なんかが近くにいたら嫌だよね? 僕が彼氏とかと間違えられたりしたら清水さんだって迷惑だし……」
「あぁ、本当キモいなあいつ」
平田が楠木の言葉の節々でちょっかいを入れる。
「聞こえないから静かにして」
赤石が平田の前に手をやった。
「……」
平田は大人しく黙った。
「別に……」
清水は言いよどんだ。
「別に、そんなことないよ」
そして楠木の言葉を、否定した。
「これから私が楠木君と会えなくなるなんてこともないし、関わりだって消えるわけじゃないよ。どうしてそんなこと悲しいこと言うの?」
「……」
あぁ。
思った。
この二人はこうして今までも歪な関係を繰り返してきたんだな、と。
「楠木君、自信なさすぎだよ~」
「あ……あはは」
楠木は頭をかく。
共依存。
楠木と清水の関係は、まさにそれだった。
「だって笹山君とかも、クラスが変わったのに私が食堂行くたびにいつも私の前に座ってたりするんだよ? 全然関わりあるじゃん!」
「あはは、それは……清水さんが好かれてるんだよ、きっと」
「え~、全然そんなことないよ~。私のこと好きな人なんて誰もいないよ~」
「そんなことないよ……あはは」
お互いがお互いの気持ちを分かった上で、相手が気持ちよくなるような会話をしている。
お互いに必要なことを伝え合うこともせず、ただ相手が心地よくなるような言葉を選び、お互いに慰め合っている。
「この前も、街歩いてたら知らない人から突然告白されたりして~」
「そんなことあったの? 清水さんって本当魅力的なんだね」
「え~、全然~。なんか気持ち悪いおっさんみたいだったし、女の子だったら誰でも良かったんだよきっと~」
「色んな人が歩いてるんだから、清水さんがとりわけ魅力的だから狙われたんだよ~」
「え~、やだ~」
清水はくすくすと笑う。
「しかもなんか事務所? 入らないかみたいな勧誘とかもされて名刺もらっちゃって~」
「ほら、プロの人も清水さんのことを認めちゃってるじゃん」
「え~、全然そんなことないって~。適当に渡してるんだよ~」
「そんなことしてたらすぐ名刺なくなっちゃうよ」
「え~、絶対違うって~」
清水が自慢話をして、楠木が清水をただ持ち上げる。
持ち上げられたことを分かった上で、清水は否定する。
さぞかし気持ちの良いやり取りなんだろう。
「……」
「……」
見れば、平田も言葉を失っていた。
平田も京極も、黙って耳をすましていた。
果たしてこの二人は自分と同じことを考えているんだろうか。あるいは、全く違った感情を持っているんだろうか。
「それに、今年の年末も皆で集まろう、みたいな話出てて~全然会う機会あるよ~」
「そんなのあるの?」
「うん、楠木氏にも教えようと思って、楠木氏、行く~?」
「う~ん……」
清水はその過程で南に告白され、受けることにしたのだろう。
ある種、それは楠木への反逆、嫌がらせでもあったのだろう。
「でも僕なんかが行ったって誰も喜ばないし……」
「そんなことないよ、全然~!」
清水にそう言って欲しいから、あえて楠木は自分を落とす。
そして清水もその発言の意図を分かった上で、楠木が欲しい言葉を投げかけている。
清水が自分に興味を持ち、自分を肯定しくれること、それが楠木の望みなんだろう。
楠木もまた、清水に求められた言葉を返している。
自分はモテている、モテてモテて困っている。自分は自分が困るほど人から好かれるような容姿なのだ、と。
自分は人からモテる、ということを清水は肯定して欲しいんだろう。
そして楠木もそれを分かった上で、清水を肯定する。
お互いに欲しい言葉を投げかけあうのが、この二人の歪んだ関係性なんだろう。
そしていつまで経っても自分に告白をして来ない楠木に腹が立った清水は、南の告白を受けることにした。
ただ、楠木の心にダメージを与えるために。
ただ、楠木の表情が苦痛に歪むのを見るためだけに。
お互いがお互いに好きあっていることは、誰が見ても明らかなのだから。
「楠木氏が行かないんだったら、私も行かないでおこうかな~、って思ってたの」
「え……」
楠木が固まる。
「そうなの? ……じゃあ、行こう、かな」
「本当? じゃあグループあるから招待するね」
清水がスマホを出した。
清水は本当に南のことが好きなんだろうか。
ただ、楠木が自分のせいで苦痛に歪んでいるところを見たいだけなのではないか?
ただ、自分に告白してこなかった楠木に痛い目に遭わせたいだけなんじゃないだろうか。
何を言っても肯定をするのに、何も具体的な行動を起こさない楠木に、痛い目を見せるためだけに、南と交際した。
楠木はその行動力のなさから、ただ胸を痛めて清水のことを見ていることしか出来ない。
今までこんなに、共依存だったのに。
「……」
ああ。
復讐というのは、とても甘美な響きだ。
果たして、自分の人生全てをかけても、他人の顔が苦痛に歪むのを見るのは、さぞかし恍惚で、うっとりとするものだろう。
「でも前も食堂で笹山君から何かお土産? みたいなのもらって~、え、だって他の人にはお土産渡してないのに、なんで私だけ~、って思ってぇ~」
「清水さんだけがプレゼントもらったんだったら、特別なんだよ、清水さんが、きっと」
「えぇ~、ないないない。絶対そんなことないよ~」
清水は嬉しそうに、笑う。
愛と憎しみは、表裏一体。
自分の気持ちを分かっておきながら何もしなかった楠木を、地獄に堕としたかったんだろう。
自分は君のせいでこんなにも嫌な思いをしたんだよ?
君も私の気持ちを理解するべきなんだよ。
好意や愛というのは、得てして復讐するための動力源にも、なり得る。
「でも最近、楠木氏私に連絡くれないからすごい寂しくて~」
「清水さんから連絡来なかったから、しちゃいけないのかな、って思って……」
「えぇ~、もう~楠木氏なんでそんななの~」
清水は楠木の肩をぽかぽかと叩く。
男を手玉に取り、自分のことを好きだと分かっておきながらその男が振られるのを間近で見られるのは、とても気持ちが良いだろう。
「あ、今スタンプ送ったよ」
「あ、ありがとう」
「スタンプ攻撃だー!」
「ちょっと、通信制限かかっちゃうって」
清水は楠木に、歪んだ復讐を実行することが出来た。
これからも南と付き合い続けるのか、いずれ南とは別れて楠木を手玉に取るようになるのか、どうなるのかは分からない。
南は清水の要望を満たせていないのかもしれない。
須田の友人からして、清水の歪んだ欲望を叶えることは出来ていないのかもしれない。
もしかすると、自分が気を持たれている、ということを暗に示す清水に直接的な言葉を投げかけているのかもしれない。
楠木のように、分かっておきながら相手のご機嫌を取るようなことを出来ていないのかもしれない。
だからこそ、こうして楠木を介することで清水は自分自身の自己承認を得ることが出来ている。
ああ。
「楠木氏、スタンプ可愛い~。私も買っちゃおうかな、そのスタンプ」
「あ、プレゼントするよ?」
「え~、本当~? 嬉しい~」
復讐を成し遂げた清水は。
さぞかし。
気持ちが良いことだろう。
さぞかし。
身を震えるほどの恍惚に、浸れるだろう。
そして。
「イラつくな、あいつ」
平田が独り言つ。
復讐の味を知った清水は、楠木を介して延々と自己承認を獲得することが出来るだろう。




