第385話 純愛はお好きですか? 4
翌日、清水に彼氏がいることを知った楠木は、意気阻喪として別棟にやって来た。
「あ、来たよ楠木」
楠木に気が付いた新井が声を上げる。
「こっちこっち~」
新井が楠木を呼ぶ。
「今日も恋バナしよ?」
「…………」
楠木は重い足取りで、新井に誘われるがまま席に着いた。
「あ、赤石君、須田君、昨日はどうもありがとう」
まずは赤石と須田に、楠木が頭を下げる。
「で、で?」
新井が身を乗り出して楠木に聞く。
「会いに行って? 告白した?」
新井が楠木の顔を覗き込んだ。
「……清水さん、彼氏がいたよ」
「……」
「……」
「……」
「……」
空気が、凍る。
「え、え~っと……」
水を向けた新井が、いたたまれない空気に言葉を詰まらせる。
「ど、どんまい! あはは……」
新井が楠木の背中をドンドンと叩いた。
「南くんっていう、サッカー部のキャプテンと付き合ってるって……」
「え?」
「?」
須田が声を上げる。
「南と?」
サッカー部キャプテンの南と須田は、交友関係があった。
「……」
「……」
須田が南と交友関係がある、という事実に、教室の空気が冷たくなる。
南と知り合いであるという事実が指し示す、一つの可能性。
知っていてけしかけたのではないか、という邪推が、生まれる。
「知り合い?」
「ま、まぁ知り合いというか、よく喋りはするけど」
「……」
楠木はうつむいた。
「南が清水ちゃんと付き合ってた、って知ってたの?」
楠木は聞けない。
その場の全員が思っていた疑問を、新井が口にした。
「え、いや、全然全然! あんま男同士でそういう恋愛の話とかしないし、知ってたら絶対言ってるし」
「……だよね」
須田の性質からして知っていればそうしたであろうことは、明白だった。
「なんか塾の子と上手く行ってる、みたいな話は夏休み中にちょっとだけ聞いたことがあったような気もするけど、どうだったかな……」
「…………」
須田の補足情報が、さらに楠木を追い込む。
一年以上前から懇意にしていた自分ではなく、最近まで別の女に目をつけていた男に、清水は絆された。
清水はまるで自分のことを意識すらしていなかった、ということが分かる。
一年以上清水を思い続けてきた自分よりも、女を乗り換えた南に、好意を示した。
まるで清水を思ってない、人を食ったような男に、自分は、負けたのだ。
「あ、あはは、全然知らなかったなぁ。でもごめん、やっぱり僕なんかが清水さんと付き合おうなんてのがおこがましかったんだよ。かたやクラス一の人気者で美少女の清水さん、かたや何の取り柄もない一般人の僕。最初から叶うわけなんてなかったんだよ。最初から到底無理な身分差があったんだから、もう、全然、気にしてないよ」
楠木は無理に笑顔を張り付けた。
「うん……全然……気にしてないよ。最初から清水さんは僕みたいな底辺の人間なんて、好きでも何でもなかったんだよ。馬鹿にされてただけなのに、僕が勝手に舞い上がっちゃっただけなのかもしれないな……」
尻すぼみになりながら、楠木は情けなく、笑った。
「……」
「……」
「……」
食事の手が、止まる。
「はぁ~……」
静寂をぶち壊したのは、平田だった。
大きなため息を吐き、平田は楠木を見た。
そして一言、
「だっさ」
そう一言だけ、呟いた。
「自分が告白しなかったのが原因なのに、身分差がどうとか自分には似合わないとか、そうやって自分を甘やかして、なんでもかんでも女の子のせいにする自分、本当ダサいよ」
続けざまに、吐き捨てるように、平田は言葉を連ねる。
「え……」
口論に慣れていない楠木が、固まる。
「で、でも、本当に清水さんは僕のことなんか全然好きじゃなくて、僕みたいな底辺の人間が清水さんみたいな上層の人間と恋愛するのなんて到底無理だったわけで」
「なんでそんなこと分かるわけ? クラス変わった後も遊びに来てるのに、好きじゃないわけないでしょ。なんでそんなことも言われないと分からないわけ?」
「でも、だって、現に清水さんは南くんと付き合ってるし」
「お前が告白しなかったからそいつと付き合ってんだろうが」
平田は眉を顰める。
「……意味分かんないよ」
「なんで意味分かんないわけ? 何? 人の気持ちとか理解できないわけ? それじゃ恋愛なんて上手くいくわけないよね」
「意味わかんないじゃん、だって……」
楠木はいじけたように、言う。
「僕が好きなら、清水さんが僕に告白してるはずじゃん。南くんと付き合ってるんだから、僕が好きじゃなかったって言って何が……何が間違いなんだよ」
楠木は少しの反抗の意志を、見せる。
「いや、その南が告白したからそいつと付き合ったんでしょ」
「僕が好きなら、南くんに告白されても断って、僕に告白すると思うけど……」
「なんであんたはさっきからずっとずっと誰かの責任にしてるわけ? お客様気分も大概にしなよ」
平田はカチカチと箸を鳴らす。
「女の子になんでもかんでも負担押し付けないで、ってさっきから私言ってるよね? お前が告白しなかったのが全ての元凶だ、って言ってるじゃん」
「いや、だって、僕が好きなら告白してきてたはずだし……」
「男でしょ、あんた? なんで女の子に告白させようとしてるわけ? 自分で言ってて恥ずかしいとか思わないわけ?」
「今は男とか女とか、そんな時代じゃないよ……」
「いや、そんな時代じゃなかったことなんか一度もないから。告白は男からするもんだ、って常識でしょ?」
「……」
楠木は奇異なものを見るような目で平田を見る。
「女の子は! 告白されるのを待ってるの! 白馬の王子様を、待ってるの!」
平田が人差し指でトントンと机を鳴らしながら、威圧的に言う。
「男とか女とか、平田さんは時代錯誤だよ」
「時代錯誤じゃねぇから! お前みたいなのがいるから女の子は今までずっと苦労させられてんじゃないの!? 自分が告白しなかったのが原因のくせに、自分が好きなら告白してくるはずだ~、とか社会がそうなってるんだから自分は悪くない~だとか、そうやって何かあるたびに他人とか社会のせいにして、恥ずかしくないわけ? うじうじうじうじ、いつまでも、気色悪いんだよ、お前! 男なんだからねちねちうじうじしてんじゃねぇよ!」
「…………」
大股を開いて平田は楠木に説教をする。
「何がそういう時代じゃない、だよ。男なんだからうじうじしてんなよ、気持ち悪い。女の子は自分に告白してくれる男を選ぶに決まってるでしょ。自分に告白してきた男から選ぶのなんて常識でしょ? 話聞いててずっと思ってたから。何回も何回も告白してくれ、ってメッセージ出してたじゃん。なんで分かんないわけ? 告白してくれ、ってメッセージ出してたのにずっと無視してたのは自分じゃん? 自分が悪い癖に、他の男に取られたからって身分差が~、だとか男と女が~、だとか時代が~だとか、本当は自分のことが好きじゃなかった~、だとか、馬鹿にされてた~、だとか、本当だっさい。お前本当ダサいよ」
「…………」
平田の怒涛の口撃に、楠木はなすすべなく沈黙する。
「ネットで騒がれてるような意見を勝手に真に受けて、現実と向き合おうともせずに、自分に都合の良い情報ばっかり信じて女の子に負担かけさせて、自分は情けなくないわけ? 今までお前、その子にどれだけ負担かけさせたわけ? 声をかけるのも相手から、教室に来てもらうのも相手から、何か提案してもらうのも相手から、全部全部ぜ~んぶ、相手頼り。おまけに、その子に彼氏がいると分かったらグチグチグチグチ陰で文句ばっか言って、時代だとかなんだとか、自分以外の何かの責任にしようとして、本当気持ち悪い。自分が悪くないと思いたいから、自分に都合の良い情報ばっかり選んで自分を慰めてるだけでしょ? 本当気持ち悪い。そこまでして女の子に責任押し付けたいわけ?」
「…………」
「男から告白するのが普通でしょ。時代も何も、こんなの何も変わってないから。お前は付き合う時も女の子から告白させる訳? 私と付き合ってよ、って言わせる訳? お前は結婚する時も女の子にプロポーズさせる訳? 息子さんを私にください、とか自分のママに言わせる訳? きっしょく悪い。お前みたいな、甲斐性なしにグチグチ文句言うような男、フラれて当然だわ。自分で何も動けないような、なよなようじうじしたようなお前なんかに見切りつけたに決まってるでしょ。自分に告白してくれるサッカー部のキャプテンの方が百万倍くらい魅力あるから。これからも一生ネットの中に引きこもって、自分に都合の良い情報だけ信じて、社会とか他人のせいにして生きていけば? だっさいわ、本当気色悪いわお前」
「……」
「……」
「……」
「……」
その場の全員が、黙り込む。
「お前みたいな男が女の子に負担かけてる、ってよく分かるわ。どうせ誰かと付き合うようになったら、時代が~とか言って女の子に割り勘させようとするんでしょ? やっすいファミレス連れて行って、女の子が自分の思い通りになるかどうか試すんでしょ? 安い料理でも満足する女の子か、って試すんでしょ? やっすいアクセ渡して、しょっぼいブランドのアクセで女の子釣って、出来るだけ安く済ませよう、とか思ってんでしょ? で、結局結婚したら家事も何もしないで子育ても手伝わないで、どうせ仕事しかしてないくせに、女の子に偉そうにするんでしょ? こっちはお前みたいな他責思考の何の甲斐性もないクソ男と付き合うために消費させられてるわけじゃないんだわ。子供が出来てから、子育ても手伝わないような、お前みたいなクソ男に消費させられてるわけじゃないんだわ。子供が出来たのに、結婚相手まで子供みたいな幼稚な思考なのとか本当むかつくわ。何か言われたら時代が~、だとか他の人は~だとか、相手を無理矢理納得させようとして、結局フラれたら女の子が悪かった、って相手のせいにするんでしょ? 女の子はお前のアクセでも物でもなんでもないから。調子乗んないでくれる?」
「…………」
楠木は多量の脂汗を、流す。
味方を、助けを求めるように、懇願するような顔で、赤石を見る。
気にせず弁当を食べていた赤石は、箸を止める。
「諦めるしかない。世界がそうなってるなら、もうどうすることもできない」
赤石は水を飲み、そう言った。
「人間なんかに期待しても何も返ってこない。俺たちはこの世界に生まれ落ちた以上、この世界に生きるコマである以上、与えられた役割をこなすしかない。与えられた役割をこなせない人間は淘汰される。時代なんて、何も変わらない。人間ごときの性質が突然に大きく変わることなんて、ない。誰も俺たちを助けることなんて、ない」
平田とは別の視点で、赤石は語る。
「待ってても、物事は好転しない。真面目にやっていれば報われる、なんてことはない。善人が良い思いをする、なんてこともない。真面目にやっても、一人真摯に取り組んでも、相手を思いやっても、何も報われることなんて、ない。決して、ない。俺もお前も、他人に選ばれることなんて、ない。自分から動かない限り、他人から愛されることなんて、ない。どれだけ真面目に生きようが、どれだけ真摯に事を全うしようが、自分の隠れた善行を見てくれる人間なんて、誰もいない。どうでもないような善行を誇らしげに見せつけて、どうでもないようなことを誇らしげに喧伝するような奴だけが利益を手にする。残念ながら、この世界はそういう風に出来ている。俺もお前も、何かを得るには、誰かを踏みつけにするしか、ない。戦って、勝つしか、道はない」
「…………」
「俺もお前も、誰かに愛されるには、能力が低すぎる。誰かに恵まれるには、才能がなさすぎる。誰かに施されるには、愛嬌が、なさすぎる。生まれた時点で恵まれ、施され、愛される人間だって、確かにいる。施されないことに文句を言うような選ばれた人間も、いる。大人になっても過剰なサービスを要求し続けて、何もしなくても愛され、施され続けてきたような、選ばれた人間も、いる。でも俺たちは、そうじゃない。選ばれてない。恵まれてない。施されない。愛されない。誰かに愛されるには、世界に与えられた役割を忠実にこなして、与えられた役割を全うして、自分から動くしか、ない。それ以外の道が、ない。時代なんて、変わらない。人間なんて、変わらない。世界の意志に従って粛々と身を粉にして生きるしかないんだろうな、残念ながら」
「…………」
楠木はぶるぶると、震え、
「わっ!」
異議の声が、入る。
八谷が、立ち上がっていた。
「私は、違う、と、思う……」
小さな声でそう言い、周囲の視線に耐え切れず、再び座った。
「……っ」
楠木はガタ、と椅子を引いて、弁当も口にせずに立ち上がった。
「楠木っ……」
新井が楠木の袖を掴むが、楠木は振りほどき、そのまま教室を出た。
「言い過ぎだよ、赤石も、朋美も……」
新井が非難の目で赤石と平田を見る。
「今の楠木は楠木自身の行動の結果だろ。何も苦労せずとも誰かから施されるようなタイプの人間じゃなかったんだ。誰も楠木に手を差し伸べてないのがその証拠だ」
「…………」
新井は黙り込む。
「辛ければ逃げて良い、なんて詭弁だ。逃げるのは簡単だが、言った本人は何の責任も、取ってくれやしない。逃げた後の罰を肩代わりだって、してはくれない。逃げれるなら、俺だって、俺たちだって逃げたいんだよ。責任を取ってくれるなら、すぐに逃げてるよ。受験勉強なんて、今すぐにでも放り投げたい。他人を助けようと思うなら、それに伴った行動もするべきだと思う。楠木を助けられる人間なんて、誰もいない。誰も楠木を愛してなんて、ないからだ」
「…………」
新井は楠木を愛しては、いない。
「お前だって、楠木によくして付きまとわれるようになったら嫌だろ? 好意なんて持たれようものなら、差し伸べた手は真っ先に振りほどくだろ。気持ち悪い、と突き落とすだろ。俺だってそうだ。そういうもんだよ、所詮人間なんだから。街で聞こえた悲劇のエピソードなんて、他人にはそこらの石ころより関係のない話だ。楠木が助かる方法なんて、ない。そんな上等な能力を持って生まれて来たわけじゃ、ない。自分の足で立って、自分の頭で考えて、自分の手で何かを掴み取るしかない」
赤石は弁当をしまった。
「今ここで楠木に同情して、清水が悪かった、お前は何も悪くない、清水に全ての原因がある、と言っても良い。楠木に同調して、所詮清水はそれまでの女だ、とって言ってしまっても良い。それも一つの手かもしれない。でも平田がああ言ってしまったんだから、俺もああ言うしかなかった」
赤石は平田を見る。
「は? 何か間違ったこと言ってるわけ、私?」
「……」
赤石は無言で視線を外した。
「人間は結局、自分の足で立って歩くしかないんだ。他人に救いなんて求めても、無償の愛なんて返ってこない」
赤石は席を立つ。
「ごちそう様。今日は帰ってこない」
赤石はそう言って、教室を出た。




