第384話 純愛はお好きですか? 3
「……え?」
楠木は聞き返す。
「ん~、四時から彼氏迎え来るから、それまでの繋ぎって言うか、それまで待ってるっていうか」
「…………」
清水の言葉が、頭に入って来ない。
一体何を言っているのか、理解が出来ない。
頭が加熱し、視界がチカチカと明滅する。
呼吸は荒くなり、体が熱く、火照る。
「そろそろ来る時間かな~」
コツコツと、階段を上がる音が聞こえた。
「あ、来たかも」
ガラガラガラ、と扉が開かれる。
「おっす」
「も~、遅いよ~」
こっちこっち、と清水が手招きする。
「仕方ねぇだろ、基礎練してたんだから」
「ほら、座って座って」
清水がポンポン、と隣の席を叩く。
教室に入って来た男、南錬斗はユニフォームのまま席に座る。
彼氏彼女が揃うことで、女子生徒に熱がこもる。
清水と彼氏との逢瀬を羨む、黄色い声がひそひそと交わされる。
「ちょっと~、汗臭いって~」
「仕方ねぇだろ、部活なんだから」
清水が笑いながら、南の肩をポンポンと叩く。
今まで清水はこんな顔をして、他人に接していたのか。
自分の知らない清水の顔を見て、楠木は顔から血の気が引いて行く。
「え、で、え~っと……」
南は楠木を見て、言葉を詰まらせた。
「楠木氏だよ」
「ああ、君が」
南は膝を打った。
「お噂はかねがね」
「あ、あ、あぁ……」
言葉にならない声が、口元を離れていく。
「楠木氏、本当変わってて~、超面白いんだよ!」
「ははは」
清水に合わせるようにして、南は愛想笑いをする。
こんな男に、自分のことを大切にしないこんな男と、付き合ったのか。
楠木は絶望と不安とが入り混じった表情で二人を見る。
「ほら、見て、髪長くな~い?」
清水は楠木の前髪を指さす。
そうか。
そうやって今までもずっと、自分のことを陰でくすくすと笑っていたのか。
清水は南と笑い合う。
今まで自分のことを思って言ってくれていた言葉だと、思っていた。
思い込んでいた。
違う。
違うのか。
陰で自分を馬鹿にするために、笑いものにするために、こんな風に当て擦りのように、指をさしていたのか。
黒い影が、楠木の頭を支配する。
「髪型検査とかで引っ掛からない?」
「そう~、不思議だよね~、なんで許されてるのか」
楠木を放って、南と清水が二人で話す。
話題の中心になっているはずなのに、話題に入れない。
自分は清水に好かれていたわけではなかった。
好かれていたのではなく、笑いものにされていただけなのだ。
「ね、楠木氏」
「い、いや、その……」
楠木は眼鏡を上げ、再び前髪で視界を隠す。
「ほら~、超可愛い~~~」
清水が手を叩いて笑う。
脚を上げ、南に、笑いかける。
ああ。
なんだこいつは。
腹が立つ。
こいつの全ての行為に、腹が立つ。
笑いものに、しやがって。
「ねね、可愛くない?」
「男だからそんなの分からん」
「全く、この可愛さが分からんとは。錬斗もまだまだじゃな!」
「うっせ」
南が清水の足を軽く蹴る。
「あ~蹴った~! 女の子蹴った~! 彼女なのに蹴った~! サッカー部の部長がそんなことして、いけないんだ~!」
「ボールは友達!」
「最低~! ボールじゃないし~!」
清水はべ、と南に舌を出す。
「ねぇ~、楠木氏もこいつになんとか言ってやってよ~!」
清水はポンポン、と楠木の膝を叩く。
「あ、あはは……」
何も、言えない。
二人の空間に入り込むことが、出来ない。
「てか麗奈、お前髪切った?」
南が清水の髪を触る。
楠木が一度も触ったことのない、清水の、髪を。
「あ、彼氏力見せつけてくれるじゃん」
「目ざとい方だからな」
南は清水の髪を持つ。
「……」
そしてわしゃわしゃ、と清水の髪をかき乱した。
「ちょっと~」
清水が髪型を直す。
「髪セットしてるんだからぐちゃぐちゃにしないでよ~」
早く。
早くこの空間から、出たい。
一刻も、早く。
「そろそろ戻らないと監督にドヤされる」
南は時計を見た。
「あ、そう? じゃあ行こっか」
清水は楠木に一瞥もくれることなく、席を立った。
「今日の!」
「お、さんきゅ」
清水は楠木にスポーツ飲料入りのペットボトルを手渡した。
「気が利くじゃん」
「彼女ですから」
えっへん、と清水は胸を張る。
止めてくれ。
もう俺の目の前で、これ以上喋らないでくれ。
「あ」
清水が少し、立ち止まった。
「久しぶりに喋れて楽しかったよ、楠木氏。じゃあ、またね」
「あ、う、うん」
楠木は無理矢理に笑顔を張り付けて、清水を送り出す。
「ほら、行こ、部長」
清水は扉を出ると、南の横にぴったりと張り付いた。
ポンポン、と背中を叩く。
「はぁ~……大変だけど頑張るかぁ」
「ね~」
清水と南は二人、どこかへ消えた。
「……」
この教室に、もう楠木の知り合いはいない。
楠木はゆっくりと席から立ち上がり、教室から出た。
「……」
一歩一歩の足取りが、重い。
時間の間隔が分からない。
もうあの二人はそういう関係になったんだろうか。
もう二人は完全に交際しているんだろうか。
自分が清水と歩みたかった関係は、時間は、交流は、全て、泡と消えた。
楠木は教室に戻った。
「……」
誰も、いない。
足は自然と、窓辺に向かっていた。
あれから何分が経ったのか。
「ファイトファイト~」
南が校庭で、部員を率いてランニングをしている。
清水は校庭の端の方で、女子生徒ときゃっきゃと笑って会話をしている。
時たま南を指さして、キャーキャーと高い声で叫ぶ。
ああ。
清水は女子生徒たちに笑いかける。
内容が聞こえて来なくても、何を話しているかは、わかる。
あの、清水が。
誰にでも優しかった清水が。
自分に特に優しくしてくれた清水が。
クラスの中心人物だった清水が。
誰とでも分け隔てなく接していた清水が。
見た目に似合わず本が好きで、知的だった清水が。
思慮深く、突拍子もない行動をする清水が。
人を率いるリーダー気質のある清水が。
よく笑い、よく笑わせてくれる清水が。
色んなことを教えてくれる、尊敬する清水が。
自分が好きだった清水が。
途端に。
愚かで。
醜く。
頭の悪い。
人間に。
思えた。
「……」
何をするでもなく女子生徒とわあわあと騒ぎたてている。
恐らくは、南との恋路を話し合い、わめきたてている。
そういう風に、見えた。
「……」
楠木は席に突っ伏した。
気付けば、何をすることもなく十九時前に、なっていた。
今の季節では十九時が完全下校時間だ。
楠木はカバンを持ち、フラフラと教室を出た。
職員室で教師に鍵を返し、階段を降りる。
昇降口で靴を履き替えるころ、
「あ」
清水と南が、そこにいた。
いや。
そこにいたんじゃない。
もしかすると、自分が時間を合わせたのかもしれない。
清水が待っていてくれるかもしれない、という淡い期待を抱いてか。
本当は自分を待ってくれるかもしれない、と思ってか。
本当に好きなのは南ではなく自分である、と思いたかったからか。
見たくはないが、見ないとどうしようもなかった自分の思いが、こんな時間まで残らせたのではないだろうか。
「楠木氏~」
清水が楠木の下まで歩み寄る。
「今帰り?」
「あ、う、うん」
楠木は頬をかく。
「そうなんだ。今まで何してたの?」
清水は小首をかしげる。
「あ、ちょっと勉強を」
「そういえば楠木氏、二年のころから勉強頑張ってたもんね」
偉い偉い、と清水は楠木の頭を撫でた。
身長が足りないためつま先立ちをし、楠木の頭を撫でる。
「私たちはちょっと喋ってた」
清水は南を親指で指す。
「そうなんだ」
「うん」
「…………」
会話が途切れる。
「じゃあ、またね、楠木氏」
「う、うん」
またね。
二年の頃は、昇降口で出会った時は必ず二人で帰っていた。
一緒に帰ろう、ではなく、またね。
お前とは一緒に帰らない。
早く一人で帰ってくれ。
私たちの邪魔をするな。
言外に、そういうメッセージが込められた、言葉。
下校時間が来ているため、楠木と距離を取って清水と南も立ち上がり、帰り出す。
「手」
「……まぁ、うん」
清水と南は手をつないだ。
「……」
楠木は見ないふりをして、急いで帰り始めた。
「キスマークついてんじゃない?」
「嘘ぉ!?」
「うそうそ」
「もぉ~」
清水が南にトン、とぶつかる。
楠木は何も見ないふりをして、何も聞こえないふりをして、急いで、家に帰った。




