第380話 金持ちはお好きですか? 1
「まずはそれぞれ適当に打ち合え~」
体育教師が体育館で、そう言った。
「じゃあやろっか」
「ああ」
夏休みが明け、赤石たち男子はバドミントンの授業を受けていた。
佐藤からの提案を、赤石が受ける。
「あ、ごめん、ちょっと良いかな?」
「……?」
赤石と佐藤の下に、一人の男子が声をかけてきた。
「楠木くん?」
楠木健吾、赤石と同じクラスの男子高校生である。
「どうしたの、突然?」
「いや……ちょっと」
楠木は困った顔で対応する。
「あ、じゃあ三人でやる?」
「……じゃ、じゃあ」
不承不承といった風体で、楠木は頷く。
「赤石君は?」
「なんでもいい」
赤石たちは三人で乱打を始めた。
「珍しいね、赤石君に誰か話しかけるなんて」
「失礼なやつだな、お前は」
夏休みが明け、平田と新井の一件もあり、赤石に対する風当たりも、弱くなっていた。
「いや、ちょっと聞きたいことがあって」
「はあ」
赤石、佐藤と同じく、楠木も華奢な体格をしていた。
楠木は自身の長髪をかき上げる。
気だるげな態度で、生気を感じさせない風体は、赤石と同様に人を寄せ付けない空気があった。
服も皺が寄り、発せられる言葉からも覇気が感じられない。
表立って意思表示をすることの少ない、ダウナーな男だった。
「赤石君って、須田君と仲良いんだよね?」
「……? まぁ人並みには」
赤石は小首をかしげる。
「最近、一緒に昼食とか食べてるって本当?」
「あぁ、たまに来てるな」
上麦と高梨の一件があってから、須田はしばしば別棟の空き教室に来るようになっていた。
「赤石君って平田さんとも仲良いんだよね?」
「何とも言えないところだけどな」
「凄いなぁ、赤石君」
パチパチ、と楠木が拍手をする。
「楠木君、落ちちゃうよ!」
「おっと」
楠木はシャトルを打ち返す。
「平田さんを手なずけるなんてすごいね」
「手なずけるって……そんなモンスターじゃないんだから」
佐藤があはは、と苦笑する。
「もしかしたら手なずけられたのは俺かもしれないけどな」
「平田さんってそんなに怖いんだ?」
「怖い女だよ、あいつは」
赤石は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「昼休みに赤石君、いつも席外してるよね?」
「あぁ」
特に隠すことでもないな、と赤石は白状した。
「別棟で平田さんと食べてるって聞いたけど本当?」
「まぁ、そうだな」
「へぇ~……」
「……」
妙な沈黙が場を支配する。
「誰がいるの?」
「平田とか、須田とかはいるな。あと新井とか八谷とか」
「新井さん!?」
佐藤が声を荒らげる。
「新井さんいるの!?」
「あぁ、教室で居場所なくなった、ってつい最近来るようになった」
「嘘!? 何で教えてくれなかったの!?」
「完全に忘れてた」
そう言えば佐藤は新井にお熱だったな、と思い出す。
「新井さんも大変だよね……あんな根も葉もない噂のせいで教室にいづらくなって……」
「……そうだな」
根も葉もない噂ではないが、佐藤には黙っておこう、と赤石は大人の対応を心掛けた。
「佐藤君は新井さんが……?」
「え、あ、あぁ……えへへ」
佐藤は頬をかく。
「もし良かったら、今度僕もそっちで食べさせてもらってもいいかな?」
別棟の教室に来ても良いか、という提案だった。
「まぁ来る分にはいいけど」
特に断る理由もなかったため、赤石は首肯する。
「まぁ来る分にはいいんだけど、平田が許可するかどうかが問題だな」
「平田さんが?」
「あの教室、実質平田の許可がないと入れない感じになってるからな」
高梨との一件でも新井との一件でも、常に平田が権限を持っていた。
「赤石君はいいの? 平田さんに服従してて」
「いざとなったら制裁パンチだ」
「駄目だよ、赤石君、女の子にそんなこと!」
佐藤が、めっ、と赤石を叱る。
「仕方ない。制裁キックにしておこう」
「攻撃手段の問題じゃないよ!」
シャー、と佐藤は威嚇する。
「それはそれとして、赤石君、僕も昼休みにそっち行っても怒られないかな?」
佐藤がおずおずと尋ねる。
「お前も隅に置けない男だな」
「あ、あはは」
佐藤は照れ、髪を乱した。
「まぁどちらにせよ、平田の許可が取れないと何とも言えないな」
「今日行きます!」
「僕も今日行かせてもらうよ」
楠木と佐藤は別棟の空き教室に来ることになった。
体育を終え、赤石たちは教室へと向かう。
四時限目の体育を終え、時宜よく昼食時となった。
「赤石さん」
後方から赤石たちに声がかけられる。
「今日は佐藤さん以外にもいるんですね」
体操服姿の花波が、ゆっくりと歩いて生きていた。
「楠木」
「楠木さんと言うんですね?」
珍しい物を見るような目で花波は楠木を見る。
「ども」
「ええ」
花波は楠木を見回す。
「髪の毛が長いですわね。散髪に行くと良いですわよ?」
花波が楠木の顔を覗き込む。
「……」
楠木は前髪で視界を遮断し、さっと目を逸らした。
「お友達ですの?」
「違う」
「厳しいですわね」
花波はよよよ、と泣いたふりをする。
「何してんの?」
「新井さん!?」
花波と佐藤の間から、新井が顔を覗かせた。
「おっす、佐藤ちゃん」
「お、おっす……」
新井が佐藤の隣を歩く。
「どうしたの、赤石。こんな大勢で」
「ドラゴン退治に行くところだった」
「あはは、赤石が? どうせ後方で魔法とか唱えてるんでしょ!?」
「テンション高いな……」
あまり関わらない生徒が大勢いるからか、新井はハイテンションで受け答えする。
知らない人が周りにいると、自分のパーソナリティを主張するために大声を出したり目立つ行動を取ったりしがちだな、と赤石は斜に構えて新井を見る。
大方、楠木と佐藤に、自分が普段どんな性格なのかを喧伝したいんだろうな、という思いと、非日常で純粋に気分が上がってるのだろうな、という思いとがあった。
「おい!」
昼食時のため、廊下に人が増える。
赤石たちは廊下の端を歩く。
「取れよ~!」
一人の肥満体形の生徒が廊下の真ん中でパンを持って投球フォームを取っていた。
大林邦彦、ぱつぱつの服装とは裏腹に、身に着けているものは高価で見栄えの良い物ばかりだった。
「おらっ!」
男は持っていたパンを投げつけ、男がパンを取り損ねる。
床に衝突したパンはべちゃ、と形を変え、そのまま廊下を滑っていく。
「きゃっ!」
唐突に足元を滑って来たパンを、女子生徒が誤って踏む。
「おい、取れって言ったじゃんかよ~」
「いや、こんなの無理だって~!」
キャッチャーをしていた男が半笑いでパンを取りに行った。
「……」
「……」
赤石たちは大林たちを横目に、無言で隣を通り過ぎていく。
「じゃあ次のパン投げるから取れよ~」
「ヴぇ~」
大林たちの横を通り過ぎ、新井はべ、と舌を出した。
小声で声を上げる。
「またやってるよ、あいつら」
大林はしばしば、昼食時に廊下でパンを投げていた。
「嫌な感じ」
パンを投げる、食べ物を粗末にする、といった行為に、新井は心底嫌そうな顔をした。
車屋の社長を親に持つ大林は、金で他者を操ることが多かった。
普段から昼食時に満足な食事を取っていない男が大林のご機嫌を取り、パンを投げるという娯楽に関わることでパンを恵んでもらっていた。
「親がお金持ってるからって本当好き放題しすぎでしょ」
そして、年が明ければ取り巻きの男たちにお年玉と称した金銭を与えることで、大林はその地位を確固たるものとしてきていた。
「あんなことばっかりしてたらロクな大人にならないに決まってる。絶対失敗するよ、あんなの」
べ~、と新井は後方の大林に舌を突き出す。
「どうだかな」
赤石は頭を振った。
「は、なに? お前あんなのが好きなの?」
新井が冷たい声で、赤石に言い放つ。
一瞬にして場の空気が悪くなる。
責められることに慣れていない楠木と佐藤は、ぎょっとする。
「実際失敗するかと言われたらどうだかな、となるだろ」
「なんで? あんなことしてるんだよ? 赤石もあっち系ってわけ?」
「あっち系かこっち系かは知らんが、実際金持ちの子供ってのは生まれてから大人になるまで何の苦労もせずに生きていけるだろ。そして何の苦労もせずに親の会社を継いで、何の苦労もせずに大成するもんだろ」
「あんなのが成功してほしい、って?」
「事実と感想をごちゃまぜにするなよ。そうなって欲しいか、実際にそうなるかは別だ。事実は客観的な希望や感想よりも重い」
「……は?」
赤石たちは教室に着いた。
「ま、まぁまぁまぁ! 僕たち着替えもあるんだし、取り敢えず着替えよ! ね?」
佐藤が場をとりなす。
「ほら、赤石君も早く着替えよ!」
佐藤が赤石の背中を押す。
「お前後で絶対殺す」
「…………」
新井は罵詈雑言を吐き、花波に背中を押されながら教室へと入って行った。
「もう、止めてよ赤石君……」
佐藤は教室に入り、ほっと胸を撫で下ろした。
「あんな廊下で喧嘩しないでよ」
「喧嘩じゃないよ。建設的な議論だよ」
「議論の余地なかったよ~……」
佐藤が泣き顔で言う。
「人間っていうのはそういう議論だとか意見の食い違いを伝えて、お互いに補完することで成長していく生き物だから」
「良い感じに言わないでよぉ~……」
佐藤、楠木、赤石は服を着替え始めた。
「赤石君はいっつもあんな感じ?」
楠木が赤石に聞く。
「はい」
「はい、って……」
苦笑する。
「赤石君も変な人だけど、赤石君の周りにいる人も変な人だね」
「俺の周りが変なだけで、俺だけがまともなんだよ」
「もう早く着替えようよ~……」
赤石たちは服を着替えた。




