第370話 新井由紀:Rising 10
「再生しても良いですか~?」
山田はスマホを持ったまま言う。
「新井君、あれは?」
「違うんです、本当に冗談のつもりで……」
「まぁ冗談かどうかは君が判断することじゃないよね」
山田はスマホをしまった。
「遊園地に連れて行って欲しかったから、つい冗談で、私の友達が悪さする、っていうようなことを……」
「それそれ」
「……」
「かたや、成人した女の子に脅されてアッシーやってる男子大学生、かたや、男子大学生に言い寄ってる成人した女の子。司法の判断はどっちに傾くかなぁ~」
山田が挑発するように、言う。
未市は考え込んだ。
「一体何が目的なんですか?」
未市は尋ねる。
「別れたくないんですか?」
「お前らの態度が気に食わねぇ、って言ってんだよ」
山田は新井を睨みつける。
「一体俺がお前のためにどれだけ犠牲払ってきたと思ってるわけ? お前のために俺がどれだけ金を使ってきたと思ってるわけ? どれだけの時間を使ってきたと思ってるわけ?」
「時間もお金も、あなたが勝手に使ったんじゃないですか」
「そういう問題じゃないの。さんざ俺に貢がせといて、いざ都合が悪くなったらさようなら、っていうのが気に食わねぇって言ってんの」
新井は山田を見ようとしない。
「良いよね、君は。何かあっても馬鹿な男が守ってくれるんだから。何かあっても全部相手のせいにして縮こまってりゃ、勝手に被害者になれるんだから。羨ましいよ、君のことが。これからもそうやって、自分の気に入らないものを貶めて、脅して、そうやって生きてくつもりなんだろうね。おかしいよね、釣り合ってないよね、バランス調整どうなってるわけ。何かあっても全部俺が悪いのかよ。自分で判断したことの責任も自分で取れないって、一体どういう了見なわけ? 子供じゃないんだからさ。自分で決めて、自分でやったことでしょ。俺、自分から由紀ちゃんに無理矢理なんかやらせたこと今まで一度もなかったよね? 全部由紀ちゃんが自発的な判断でやったんだよね。なんで全部自分で判断しといて、人のせいに出来るの? 本当羨ましいよ、君のそのお花畑な頭」
山田は大きくため息を吐いた。
「結局これからもそうやって自分の判断が間違ってたら、人のせいにして泣いてたらなんとかなるんでしょ。勝ち組だね、人生。何やっても上手くいくんだから」
山田は首を鳴らす。
そして人差し指を床に向ける。
「別れたいなら、土下座して?」
「……」
「……」
新井が震える。
「何十万も使わせて、俺の人脈も使わせて、時間もお金も使わすだけ使わせといて、やっぱ違うから別れま~す、っておかしくね? なんでそんな被害者面してるわけ?」
「不同意の性行為が正当だとでも?」
「動画見る?」
山田が再びスマホを出した。
「これ」
新井が山田に抱き着き、迫る様子がカメラに映されていた。
「新井君……」
「……」
新井は、覚えていない。
山田が形だけでも拒否する様子が見えている。
「同意のうえ、かな」
「行為の瞬間も撮っているんだろう?」
「だから撮ってないって、そんなの」
「証拠は?」
「はぁ……」
山田はスマホの写真フォルダを未市に見せた。
「ほら、ないでしょ」
新井がカラオケで楽しそうに歌う動画、そして部屋で山田に迫る動画が最後だった。
「バックアップでもあるんじゃないか」
「だから、ないって。ない物はないって言うしかねぇでしょ。どうやって説明すんのよ」
新井は少し、安堵する。
「俺は何も悪いことはしてないし、非合法なこともしてない。全部由紀ちゃん、君が求めたことだよね? そもそも大学のバイトだって、本来高校生がやっていいかって言われるとグレーゾーンだからね。君やってたけど。想定されてないだけで、多分グレーだよ、あれ」
「……」
新井は口をつぐみ、押し黙る。
「土下座したら、私と別れてくれますか?」
「……へぇ」
新井が席を立ち、床に膝をついた。
「申し訳ございませんでした、ね」
「……」
山田はにやにやと顎をさすり、新井は瞳に涙を浮かべる。
「本当に、申し訳――」
「しなくていい」
未市が新井の肩を持った。
「君は何も悪くない。一人の男に騙されただけだ」
「自分でピアス入れてる奴が騙されてるとは思えないけどねぇ」
山田はあっけらかんと言う。
「いくら?」
「え?」
「あなたは一体いくら新井君にお金を費やしたかって、聞いてるんです」
「……はあはあはあ」
山田は頷いた。
「まぁこんくらいは使ってるだろうね」
山田は指を三本立てる。
「そんなお金すぐ用意できるわけ……」
稼ぐたびにお金を使っていた新井には、まとまった金がない。
「……」
未市は財布から万札を抜き取り、封筒に入れた。
「これ」
ドン、と机の上に置く。
「三十入ってる」
「ほお」
山田はにやにやと笑う。
「確かに、もしかしたらあなたは非合法なことはしていないかもしれない。でも、突かれたら困る所だってたくさんあるはず。それに、あなたの行動でたくさんの女の子が泣いたのだって、事実だ」
「自発的な行動を取った人間が騙された、と評されるかは悩みどころだけどね」
「これで手を引いて欲しい。そして、もう女子高生を狙うのもこれで最後にして欲しい」
「……」
山田は顎をさすり、考える。
「私が一声かければ、男子大学生が女子高生を狙っている、と高校で先生に掲示してもらうのも難しくない。あなたも高校で掲示されるのは望むところではないのではないですか?」
「……」
山田は考えている。
「三十万ある。これで女子高生からも、私たちからも、手を引いて欲しい」
「……」
山田は少し考えた後、封筒を受け取り、中の札を数えた。
「まぁどうせ俺も三年だし、女子高生みたいな頭悪い馬鹿ばっか相手しててもおもんねぇと思ってたところだったから。どうせここらが潮時だわ。言われなくても止めてやるよ」
山田は封筒をしまった。
「二度と俺の前に顔を出すなよ、クソブス」
山田はまだ膝をついている新井にそう吐き捨て、その場を去った。
「何かあったら絶対に来てもらいますからね! あなたのその無責任な行動で、今まで一体何人の女の子が傷ついたのか分かってるんですか!?」
山田は未市の声を背で聞きながら、片手をあげて指で丸を作り、食堂を去った。
「……」
「……」
食堂の片隅に、安寧が訪れる。
「これで……」
未市はどっと疲れたように、背もたれに体重を預けた。
「これで、解決しただろうか……」
未市が赤石を見る。
「す、すみません、先輩……」
新井がおどおどと未市に歩み寄った。
「必ず、必ずお金は返します。本当に、本当にありがとうございます……」
新井は何度も未市にぺこぺこと頭を下げる。
「返さなくても良い。私が好きでやったことだから」
「いえ、絶対に。何を言われても、絶対に返します。本当に、ありがとうございます……」
新井は何度も頭を下げる。
「まだ完全に解決はしてないよ」
未市は新井の腕を掴んだ。
「女の子は繊細なんだ。君の体が心配だよ」
「あ……」
「今すぐ病院に行こう。赤石君、統貴、今日はありがとう。ここからは女の子同士の問題だから、私たちで解決するよ」
「はい」
「じゃあ」
未市は新井を連れて、その場を後にした。
「あ」
思い出したかのように、未市は振り向いた。
「君たちはああはならないでね。女の子のことを気遣って、どうか大切にして欲しい。女の子が傷つくようなことはしないように、頼んだよ」
そう言って、未市たちは食堂を去った。
「……」
「……」
取り残された赤石と須田は、背もたれに背を預け呆然としていた。
「モヤモヤする」
赤石はそう呟いた。
結局、本当に新井の動画は持っていなかったのか。
本当に今後女子高生に手を出すことはないのか。
結局、何も分からないまま、事件が収束したように思えた。
本当は、何も解決していないんじゃないだろうか。
解決したように見えるが、本当に解決したのかは数年の月日を要するのではないかと、赤石はそう思った。
だが。
もしかすると人生というのは、そういう不明瞭な連続のつながりなのかもしれない。
「女の子って繊細なんだな」
「らしいな」
須田が言った。
「でも、好きな子には幸せになって欲しいな」
「……まあな」
「……」
須田もまた、考え込んでいた。
「珍しく難しい顔をしてるな」
「俺たちはどうするのが正解だったんだろうな」
「どうするべきだったんだろうな……。他人事といえば他人事だし、事態を完全に把握しているのかと言われると、そうでもない。ただの傍観者。解決したのかどうかも、何が起こってるのかも詳細には分からない。何者でもないよ、俺たちは」
「……」
赤石たちは二人で、考え込んでいた。
「……」
「……」
「新井のことは、また今後フォローしていくことにしよう」
赤石は立ち上がった。
「折角だし、食堂でご飯でも食べてくか」
「了解」
赤石たちは食堂で時間を潰した。




