第363話 新井由紀:Rising 3
「うぅ……うぅ……」
新井はその場で膝を畳んだまま、地面を叩く。
「じゃ、そういうことで」
赤石は扉を閉めようとした。
「待っで!」
新井が扉の隙間に指を挟む。
赤石は扉を止めた。
「ドアの隙間に指入れたら危ないだろ。挟んだら大変だぞ」
赤石は隙間から新井に言う。
「じゃあ泊めてくれなくてもいい。だから、せめてこの近くにいる人を教えて」
「近くにいる人って、同じ高校の、か?」
新井はこくこくと頷く。
「まぁ知ってる限りなら近くに平田の家もあるが、平田の家にお前を行かせるのも平田の迷惑になるだろうし、言わないな」
「……」
新井は顔を伏せたまま、黙り込んだ。
「いや、お前も平田は無理か……。平田から男奪ったんだったな」
「……」
本来、山田といたはずの平田から、新井が山田を奪った。
赤石の言葉が、突き刺さる。
単純な事実が、重い。
「ほ、他に……」
「他は知らん。幼馴染みたいなやつはいるが、お前の事情に付き合わせたくない」
「じゃあ、じゃあ誰か私を泊めてくれそうな人……」
「それも知らん。というか、普通に家に帰ればいいだろ?」
最初に聞いた時からずっと疑問に思っていたことを、聞く。
「家は……今は帰れない」
「なんで」
「お母さんを殴って逃げてきた」
「……えぇ」
あまり関わらないようにしよう、と赤石は深くは聞かなかった。
「なら櫻井の家に行けばいいだろ。櫻井なら泊めてくれるはずだ」
「聡助も……無理」
「無理なわけないだろ。心温かく迎えてくれることだろうよ」
「聡助とは、絶縁した。キスしてもう会わないって、約束した」
「はぁ……?」
一体この夏休みで何をしているんだ、と赤石は呆然とする。
「じゃあ他の友達の家に行けばいいだろ?」
「友達は……いない」
「いない?」
「いなく、なった……」
「……?」
新井の交友関係について、赤石は何も知らない。
「唯一いた親友も、裕也君と遊んでる中で……」
「……」
新井に何があったのかは知らない。
親友と何があったのかも、赤石は知らない。
「じゃあタクシーでどこか行けばいいだろ? あるいは適当なホテル泊まるとか」
「タクシー……」
新井は自身のカバンを開けて赤石に見せた。
「……?」
「財布、ない……」
「ないわけないだろ」
「ないの!!」
新井は金切り声を上げる。
「じゃあもう警察行ってくれよ。何があったのか知らないけど、もしそのケガが本当なら、警察なら何とかしてくれるだろ。お金も確か貸してくれたはずだ」
「…………」
新井は無言で俯く。
「やっぱり警察案件じゃないか」
「違う、違うの!」
新井は慌てて反論する。
「合法だとしても、グレーなことをやってる人間は自分が危ない立場になった時に、いざという時にどうすることも出来ない、みたいなことか」
「……」
新井は無言で頷く。
「じゃあもう俺に出来ることはないな。申し訳ないが。ばいばい」
「待っ……て!」
新井は扉の隙間に再び指を入れる。
「マジで危ないから止めろって。俺が思いっきり扉引いてたら大惨事だぞ」
「ごめん、ごめん……」
新井は頭を伏せたまま謝罪する。
「ごめん、本当にごめん。今は赤石しか頼れる人がいないから。ごめん、本当にごめんだけど、今日一日だけでもいいからお願い、泊めて……。もう外にいたくないの。怖い、怖いよ……」
新井は肩を抱き、細かく震える。
「だから知らないって、そんなこと。俺関係ないだろ。そもそもそれが嘘か本当かも判断しようがないし。何か非合法なことに巻き込もうとしてるなら止めてくれ。俺は何があっても知らなかった、と言い張るからな」
「犯罪に巻き込むつもりなんてないよ……。私が、私が犯されたのに。なんで私がこんな目に遭うの……」
意味の異なる、犯された。
「あのな、罪を犯してるのか巻き込まれてるのか知らないけど、何があったかも言えないのに泊めれるわけないだろ。ただでさえお前最近、黒い付き合いあるんだから。別にお前をいじめたいとか意地悪したいとか俺がお前に嫌がらせしようとしてるわけじゃないんだよ。俺は普通に怖いんだよ。何があったのか教えてくれよ。信じ切れないんだよ、お前を」
その場にくずおれ、膝を畳んで頭を伏せ続けている新井に、赤石は容赦なく言う。
「そもそもお前あんだけ俺に滅茶苦茶言っておいて、俺しか頼る人がいないわけないってことはないだろ。発情してる猿だか、活躍してる他人に嫉妬してグチグチ文句言ってるクズだか知らないけど、そんな発情してる猿の俺よりも、他にもっとまともな同級生とかいるだろ」
「学校で話を合わせてるだけで、本当に仲が良い人はいないの。本当に……。ごめん、本当にごめん……」
新井は五体投地で、ただ謝罪する。
「私、私……」
唇を震わせる。
本当は言いたくない。
こんなことは、言いたくない。
だが、言わないと進まない。
言いたくはないが、仕方なく、新井は口火を切った。
「私、レイプされたの」
何があったかを、新井が話し始めた。
「……」
赤石は黙り、新井の話に耳を貸した。
「実は、裕也君の家に行って……」
新井は嘘一つなく、何一つ嘘を吐くことなく、一から百まで、全てつまびらかに、赤石に伝えた。
泣きながら。どもりながら。嗚咽しながら。
「だから、だから……お願い、外にいるのが怖いの。だから、だから今日一日だけでも……泊めて」
「……」
赤石は扉を開けた。
「お前、山田と付き合ってなかったのか?」
「……うん」
赤石は玄関でしゃがみ、新井と目線を合わせた。
「本当に付き合ってなかったのか?」
「うん」
平田と新井の確執は山田を巡ったものだと、赤石は思っていた。思い込んでいた。
「じゃあ平田と仲が悪くなる原因がなくないか?」
「……結果的に、私が朋美から裕也君を奪う形になっただけで、私は裕也君と付き合ってないの」
「……」
赤石は考え込む。
「お前は山田が好きなわけでも付き合ってもいないのに、夏休み中ずっとお前は山田に帯同してたのか?」
「……うん」
新井は小さく頷いた。無言で赤石の言葉を聞く。
「付き合ってもないのに、あんな格好をして車に乗ってたのか?」
「うん」
「でも山田が好きなんじゃなかったのか?」
「……」
無言。
「好きだよ。人としては好きだけど、男の人としては、好きじゃない。好きじゃなかったよ……」
「……」
赤石は先を促す。
「裕也君と遊ぶことが好きだっただけで、裕也君が好きだったわけじゃない。ずっとずっと、遊ぶのが楽しかっただけで、裕也君とどうこうなりたいなんて思ったことなかったよ。私はずっと聡助が好きだったし、裕也君のことを男の人として見てなかった」
新井は唇を噛む。
「私のことを可愛いって言うから、私のことをよくしてくれるから、私に色んなことをしてくれるから、だから、だから裕也君も私と遊ぶのが好きなだけなんだと思ってた。なのに、なのに……」
新井はぽたぽたと涙を流した。
「あんまりだよ、あんなの……」
新井は嗚咽する。
「なんでそんな危ないことしたんだ」
赤石は新井と目線を合わせる。
「だって、楽しかったから……。裕也君だって、私のこと女としてしか見れないなんて言ってたし、あんなことされるなんて思わなかった……」
「……」
こいつは。
こいつは、どうしてこうなんだ。
赤石は一抹の寂しさを、感じた。
「……」
「……」
無言の時間が、続く。
「うっ……」
新井が腹を抱え、その場にうずくまった。
新井の額から脂汗が浮かぶ。
「なに?」
赤石は顔をしかめる。
「ごめん、お腹が……痛いの。本当に、本当に痛いの。お腹が……」
「はぁ……」
赤石は大きくため息を吐いた。
「分かった、分かったよ。もうこれ以上ここにいられても迷惑だし、お前もいっぱい傷ついてるし、良いよ、分かったよ。入れよ、新井」
「赤石……」
新井は立ち上がり、赤石に抱き着いた。
「ありがとう、赤石……。この恩は、絶対忘れないから」
新井は赤石の背中をポンポンと叩く。
「随分安い女になったもんだな……」
悲しみか、侮蔑か。
「入れよ、新井」
赤石は複雑な表情をしながら、新井を家に招いた。




