第356話 早期退職はお好きですか? 1
『赤石さん』
夏休み中盤、赤石のスマホに一件の連絡が入っていた。
チャットを開いた赤石は花波からの連絡に少し驚く。
『明日、お暇ですか?』
不穏なコメントに、赤石は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
『暇だが、タダの労働力の代わりになるつもりはない。今から言われる内容次第で、暇になったりならなかったりする』
厄介なことに巻き込まれないように、赤石は予防線を張って回答した。
『失礼しましたわ、赤石さん。明日、少しお話したいのですけれど』
赤石が返答を返すと、即座に花波が返答した。
続けてチャットを打つ。
『面倒くさいから暇じゃない』
『そんなこと言わないでくださいまし。お代は私が出しますから、ご飯だけでもご一緒にいかがですか?』
『夏期講習で忙しい。またいつかな』
『腹が立ちますわね』
花波から、怒る猫のスタンプが送られて来た。
『夏休みに入ってからまだ私たち、一度もお話していませんよね。少しくらいお話してくれもよくありませんか?』
『夏期講習で忙しい』
『分かりました。では明日、私も学校へ行きます』
赤石は少し考える。
『まぁそれくらいなら別に良いけど、お前のために合わせないぞ』
『結構ですわ。明日、何時に学校に行って何時に帰りますの?』
『九時に行って、十三時に帰る』
『分かりましたわ。では、また明日学校でお会いしましょう?』
『分かった』
花波は怒る猫のスタンプを送って来た。
「なんでまだ怒ってんだよ」
赤石はその日を終え、翌日に備えた。
翌日――
「赤石さん」
「……ああ」
学校へ行くと、入り口で花波が赤石を待ち構えていた。
「お久しぶりですわ」
「久しぶり」
八月二十日――
夏休みが入ってからおよそ、一カ月が経過していた。
「奇遇だな」
「いえ、全く。示し合わせておりますもの」
花波は赤石について来た。
「あんな入り口で何をやってたんだ?」
「赤石さんを待ってましたの」
「あんな日なたで、暑いだろ」
「苦しむ姿を見せてこそ、赤石さんも私と会話をしてくれる気になるはずですわ」
「外交手段……」
赤石は教室に到着した。
「では、私は教室で自習をしておきますわ。十三時に私をお迎えに上がって?」
「分かった」
赤石と花波は別れ、別々の教室で学習をし始めた。
十三時十分――
夏季講習を終えた赤石は、教室へと戻って来た。
ガラガラ、と扉を開けると、花波が机に突っ伏して、寝ていた。
「……」
赤石は花波の隣の席に座り、自習を始めた。
「……」
「……」
十三時三十分――
「あ~……」
花波が目をこすりながら、起きた。
「……かいしさん?」
そして、隣に座っている赤石に気が付く。
「え、いつから!? え!?」
花波は狼狽して、机を拭いた。
「三十分くらい前」
「何故起こしてくれませんでしたの!?」
「起こせないだろ、普通」
「起こしなさいよ!」
花波は赤石の机の脚を蹴る。
「私は殿方の前で三十分も寝ておりましたの!?」
「隣だぞ」
「そんな話をしていません! あぁ、もう、最悪……」
花波は口元を拭いた。
「何が?」
「女の子は人前で寝てはいけませんの」
「生まれて初めて聞いたルールだ」
「人前で寝る女の子がいないから知らないだけだと思いますわ」
「はあ」
言われてみれば寝ている女子を見たことがないな、と赤石はふ、と思った。
「何故?」
「何故って……無防備だからに決まってるからじゃありませんの! 殿方にだらしのない所を見せるわけにはいきませんわ! 何をしているか分かりませんもの」
「へえ~」
「……もしかして、私が寝ている時に何か?」
花波はおずおずと赤石に聞く。
「楽しそうにしてた」
「楽しそうに!?」
「笑ってたぞ」
「全く記憶にありませんわ……」
花波は赤石をきっ、と睨んだ。
「最低ですわね」
「自分で寝ておいてこの態度」
「恥ずかしい所を見られてしまいました」
「他人のことなんてどうせすぐ忘れるよ」
赤石はカバンを背負った。
「帰るか」
「え、ご飯は?」
「忘れてた。どこか行くか」
「えぇ、良いお店を知っております?」
「いや、特に……」
「食べたいものはあります?」
「なんでもいい」
「もう!」
花波は頬を膨らませた。
「何でもいいが一番困りますの!」
「じゃあ、バター醤油風味の鮭のムニエル、ブイヤベース、あとはシェフの気まぐれサラダで」
「赤石さんは本当に、私に怒られたいようですね」
花波が赤石の上履きを軽く踏む。
「汚い」
「洗ってきましたから汚くありませんわ」
「小学生みたいな嫌がらせ……」
「怒りますわよ」
「怒ってる時に言ってもな」
赤石たちは昇降口へと降りてきた。
「お店、決めてくれません?」
花波が言う。
「じゃあ、この高校から一番近いファミレスで良いんじゃないか? メニューもたくさんあるし、安いし」
「ええ、分かりましたわ」
赤石と花波は高校付近のリーズナブルが売りのファミリーレストランへと向かい、入店した。
「ご注文が決まりましたらお呼びくださ~い」
女性店員が赤石と花波を席に誘導し、去って行った。
「何を食べようか」
赤石はメニューを凝視する。
「私にも見せてくださいませ」
「表紙が見えてるだろ」
赤石は新聞を読むように、一人でメニューを読む。
「表紙にある物しか食べられないじゃありませんか!」
「良いじゃないか。表紙と裏表紙なんだから多分人気メニューだろ。それにしとけ」
「確かに美味しそうではありますけど! 全部見せてくださいまし!」
花波は赤石の手からメニューを奪い取った。
「二人で分け合って読むものですわよ」
「ちぎっていい? 効率悪いし」
「良いわけないに決まってるじゃありませんか。お店の物に何をする気ですか、あなたは」
花波は机にメニューを置いた。
「文字の向きが逆で読みづらい」
「あなたは本当にいちいち小言が多いですわね。それくらい我慢してくださいまし」
花波はトントンと机を叩きながら青筋を立てる。
「よく今まで普通に生きて来れましたわね、あなた」
「確かに、このカリスマ性を持ちながらよく今まで誰にも見つからなかったよ」
「逆ですわよ。女の子に刺されたりしたことあるんじゃありませんこと?」
「まぁ人気者だからよく指名されてたな」
「だからその指すじゃありません。違いますって、もう。あ~、赤石さんと二人で話す機会があまりありませんでしたけど、二人で話すと本当にイライラしますわね」
花波がトントン、と机を叩く指を早くする。
「お前が友達にしてください、っつったから今こうしているのに、何て言い草だ」
「間違いだったかもしれませんわ」
「……か~える」
赤石はカバンを持った。
「ちっ……あ~!」
花波は舌打ちをし、赤石の足を蹴った。
「はいはい、私が悪かったですわ。これでいいですの?」
「言い方が駄目。もっと取引先に言うみたいに言って」
「お友達にそんな言い方はしません。早く座りなさい」
「冗談だろ」
「イライラする冗談ですのよ、あなたのは」
花波は半眼で赤石を睨む。
「で、用件は?」
赤石はメニューを見ながら花波に尋ねた。
「なんだか、赤石さんに相談しても詮無いことのような気がしてきましたわ」
「失礼だな。お、これ美味そうだな」
赤石はドリアを指さす。
「イライラしても良いことないぞ。もっと楽しく生きろよ」
「今ほど赤石さんにその言葉をお返ししたいと思ったことはありませんわ」
赤石と花波はメニューを見た。
「私は決めましたわ。赤石さんは?」
「これ」
赤石はドリアを指さした。
「お前は?」
「私はこれを」
表紙のメニューを指さした。
「結局表紙のやつじゃねぇか」
「結果論ですわ、そんなもの!」
ガルル、と花波がうなる。
「では店員さんを呼びますわね?」
「ああ」
花波はピンポン、と卓上の呼び出しベルを鳴らした。
「……」
「……」
三分が経過したが、誰も来なかった。
「鳴らした?」
「な、鳴らしましたもの!」
花波が膨れ面で赤石を見る。
「これ押した感ないよな」
「押せてないと言いたいんですの?」
「押せてない奴は皆そう言うよな。俺も押す」
赤石は呼び出しベルを押した。
「ご注文お決まりになりましたか?」
ものの十数秒で、店員がやって来る。
赤石はしたり顔で花波を見た。
花波は小さく舌打ちをする。
「お客様……?」
店員が不安げな顔で花波を見た。
「あ、え、えっと、いえ、これ……で」
花波はメニューを指さした。
赤石も同様にしてメニューを伝える。
「では少々お待ちください」
店員はメニューを書き、厨房へと戻って行った。
「赤石さんのせいで変な顔で見られたではありませんか」
「なんでもかんでも人のせいにするなよ。なんでもかんでも人のせいにする他責思考は成長を阻害するぞ」
「あ~、本当、皆さんの気持ちが凄い今よく分かりますわ。赤石さんって、喋ってると本当にイライラしますの」
「照れるな」
「才能ですわね、本当に」
花波はイライラとしながら、料理を待った。




