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ラブコメの主人公はお好きですか?  作者: 利苗 誓
第8章 始業式 恋愛大戦編
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第355話 二人目の彼女はお好きですか?



「……」


 ガチャ、と新井は家の扉を開けた。


「……っ」


 家に染みているヤニの匂いに鼻をつまみながら、新井は薄目で家の中を漁る。

 いつ脱いだのか分からない下着、カビたパン、何本も置いてある醤油、新井が家を留守にしているうちに、すっかり家は荒れ果てていた。


「お母さん」

「……」


 母の名を呼ぶが、返事がない。


「お母さ~ん」

「……」


 やはり、返事がない。


「はぁ……」


 ため息を吐いた新井は、自らの所持品を取りに向かった。


「あ……」

「えっ?」


 うめき声が、聞こえる。


「お母さん!」


 ゴミの山と共に、香織が床に転がっていた。


「お母さん、お母さん!」


 新井が香織を揺さぶると、香織は目をこすりながら起床した。


「なに、あんた帰ったの」

「……はぁ」


 ただ寝ているだけだった。


「紛らわしいことしないでよ。ちゃんと布団で寝てよ」

「どこで寝てようと私の勝手でしょ」


 香織は起き掛けに、近くにあった酒に口を付ける。


「もう、だから飲まないでよ!」

「これが飲まないでやってられないわよ!」


 香織は失恋後、いつも家でやけ酒をしていた。

 普段は新井が止めていたが、ストッパーがいなくなったことで、香織の酒癖は一層悪くなっていた。


「あんた、どこ行ってたのよ、最近」

「別に……」


 夏休みを利用して、新井は山田と夜を渡り歩いていた。


「男でしょ」

「……」


 かかか、と香織が笑う。


「やっぱり血は争えないねぇ。あんたも、男がいないと一人では生きていけないのよ」

「私はお母さんとは違う。お母さんとは違う」


 一人ぶつぶつと、言い聞かせるようにして、新井は呟く。


「あんたも私と同じよ。どうせ今の男に捨てられて、私みたいになるのよ」

「私はお母さんとは違う、お母さんとは違う」

「あんたも、どうせ捨てられて私みたいになるのよ!」

「……あああああぁぁぁぁっ!!」


 新井は持っていたハンドバッグで、母親を打った。


「私はお母さんとは違う! 私はお母さんとは違う!!」

「由紀いいいいぃぃぃぃ!」


 立ち上がるが、酒が抜けきっていない香織は足元が覚束ない。

 ふらふらと千鳥足で数歩あるいた後、壁に激突した。


「由紀いいいいいいいぃぃぃぃ!!」

「うわあああああああぁぁぁぁぁ!」


 香織は床に倒れ伏し、新井は逃げるようにして家から出た。


「裕也君、裕也君……!」


 山田の名を呟きながら、新井は走る。

 走り、走る。

 囚われている家から、縛られている家から逃れるようにして、新井は必死に走った。







「由紀!」


 どれくらい走っただろうか。

 走り疲れて公園のベンチで寝ている所に、声をかけられた。


「聡助……」


 櫻井聡助その人が、新井に近づいていた。


「ど、どうしたの、こんなところで」


 新井は髪を直しながら、櫻井に向き直る。


「実は、お前の家に行ったんだけど、お前が家から出てくるところを見て……な」

「もしかして追いかけて?」

「ああ、当たり前だろ?」


 櫻井は、にか、と笑う。


「どうして、私にそんなに……」

「当たり前だろ、俺とお前の仲なんだから」


 櫻井は新井の隣に腰を掛けた。


「なぁ、由紀」

「……う、うん」


 久しぶりの櫻井との会話に、顔が熱くなる。

 やはり自分はまだこの人が好きなんだ、と自覚させられる。


「何か俺に、言っておかないといけないことって、ないか?」

「……え?」


 逡巡する。

 言っておかなければ、いけないこと。


「ど、どうして?」

「……由紀」


 櫻井は新井の目を見つめた。


「最近、困ってないか?」

「え?」


 櫻井は新井の頬を両手で挟んだ。


「由紀、俺の目を見てくれ」

「う、うん」

「由紀、お前最近なんか変だぞ?」

「…………」


 最近、変。

 櫻井に言われたくない言葉に、胸が痛む。


「どうしたんだよ、由紀、これ」


 櫻井は新井の耳を触った。穴が開いている、耳を。

 ピアスでいくつもの穴が開いている耳を、触る。


「こ、これは穴開けたから」

「お前、どうしたんだよ!」


 櫻井はたしなめるようにして、言う。


「由紀はこんな子じゃないだろ! 由紀はこんなことする子じゃないだろ! なんで……なんでこんなことする前に、一言でも俺に相談してくれなかったんだよ!」


 櫻井は自身の額を新井の額にピタ、とつけた。


「由紀、もっと……もっと、頼ってくれていいんだよ! 辛いことがあるなら、俺を頼ってくれていいんだよ! 苦しいことがあるなら、俺と共有して半分にしてくれたって、いいんだよ! 助けを求めたっていい! 泣いたっていい! 何でも一人で解決なんてしようとしなくていい! 俺は、俺は、ずっとお前の味方なんだよ。なんでも、何かあったなら、何でも俺に言ってくれよ!」


 櫻井は近距離で新井と見つめ合う。


「なぁ由紀、このピアス、どうしたんだ? この服も……」


 服の面積が小さく、新井のすらりと長い肢体があらわになっている。


「じゃあ……」


 新井はゆっくりと、顔を上げた。


「じゃあ聡助」


 ああ。


「一つだけお願いしたいんだけど」

「何でも言ってくれよ」


 ずっと思っていた。

 ずっと言いたかった。

 胸の内にしまって、なあなあにして、誤魔化して、なかったことにして、ずっとしまってきた、たった一つの思い。

 どうしても叶えたかった、一つの思い。


「聡助……」


 茶化して、笑って、自分自身も騙して、ずっとずっと、成就しなかった、思い。


「私と、付き合ってよ」


 櫻井聡助の、彼女になりたい。


「…………え」


 想定していない回答に、櫻井が言葉を詰まらせた。


「私のこと、大事なんだよね? 私のこと、大切なんだよね? だったら、私と、付き合ってよ」

「……」

「私のことを大切にしてよ私のことを大事にしてよ。宝物みたいに扱ってよ。お姫様みたいに扱ってよ。出来るよね、聡助、私のことが、大事なんだよね?」

「……」


 櫻井は、答えない。


「ねぇ聡助、答えて。答えてよ……」


 切望するように、熱望するように、羨望するように、瞳に、熱い思いを灯して、新井は櫻井を見つめる。


「……」


 櫻井は唇を噛み、地面を向いている。

 櫻井が何も答えないまま、一分が過ぎる。


「ねぇ聡助、答えて……」


 新井が櫻井の手を握る。

 櫻井は、まだ答えない。


「……」


 はぁ、と新井は小さくため息を吐いた。


「無理だよね、だって聡助は志緒ちゃんと付き合ってるんだから……」


 いつになっても答えない櫻井を差し置いて、新井がそう言った。


「ずるいよ、聡助……」

「……」

「なんで聡助だけ、ずっと……」


 新井は目尻に溜まった涙を拭う。


「そんな……そんなの、もっと早く言ってくれてたら……」

「言ってたよ!!」


 激昂するようにして、新井は叫んだ。


「言ってたよ! ずっとずっとずっとずっと、言ってたよ! 聡助が好きだって、言ってたよ! 聡助と付き合いたいって、ずっとずっとずっとずっとずっと言ってたよ! なのに、聡助が私に取り合ってくれないで、嘘だって茶化して、だから私もそうやってふざけたみたいにするしかなかったんだよ! 私は、私はずっと聡助のことが好きだったよ! ずっと聡助と付き合いたかったよ! 聡助が! 聡助が私のことを彼女にしてよ! 聡助が私と付き合ってよ!」


 涙ながらに、新井が訴える。

 櫻井の胸を叩きながら、そう、訴える。


「そんなこと……知らなかった」

「嘘、嘘だよ……」


 新井は力なく櫻井の胸を叩きながら、涙をこぼす。


「そんなの嘘だよ……。ヒドいよ……聡助は本当に、ヒドいよ……」


 嗚咽しながら、新井は小さくなる。


「聡助が! 聡助が私のことを選んでくれてたら、私こんなことにならなかった! 聡助が私のことを選んでくれてたら、ピアスなんてあけなかった! 裕也君となんてつるんでなかった! 皆とだって仲良くできた! 悪い遊びも、夜に出歩くこともなかった! 全部、全部聡助のせいだよ! 何年も……何年も何年も何年も何年も、私はずっと聡助のことを思い続けた! ずっと好きって言い続けた! なのに! 聡助は私のことを選んでくれなかった! 一回も好きって言ったこともない志緒ちゃんのことなんて選んで、ずるいよ! 私の……私の何が駄目だったの……」

「……ごめん」


 泣き喚く新井の前で、櫻井はただただ謝罪する。


「ねぇ聡助、一体私の……何が駄目なの? 私じゃ駄目なの? 志緒ちゃんじゃないといけないの? 私じゃ……駄目なの?」

「……」


 櫻井は下唇を噛んだまま、黙って地面を見ている。


「何が駄目なの? 私と志緒ちゃんじゃ何が違うの? 私の方が、志緒ちゃんなんかよりもずっと聡助のことを愛してる。ずっとずっとずっと、聡助に尽くせる。私の方が志緒ちゃんなんかよりも、ずっとずっとずっとずっとずっと聡助のことを考えて来たし、聡助の喜ぶことならなんだってできる。ねぇ、聡助、私じゃ、駄目なの? 私じゃ……駄目なの? 今からでも遅くないから、志緒ちゃんと別れて、私と付き合って欲しい。ねぇ、ねぇ、ねぇ……」


 新井は櫻井の首に腕を回す。

 櫻井に抱き着き、距離を詰める。


「ねぇ聡助、聡助が今からでも私と付き合ってくれたら、わたし裕也君とも会わない。もうずっと合わない。ピアスも付けない。聡助のために、聡助のためだけに生きるよ。聡助の喜ぶことをして、聡助が楽しくなるように頑張って、お弁当も毎日作るよ。聡助の好物もたくさん入れるよ。毎日毎日、聡助のことだけを思って生きる。これから先、私の人生はずっと聡助のもの。ねぇ聡助、私じゃ……私じゃ、駄目……かな?」


 上目遣いで、媚びるように、誘うように、請うように、新井は、櫻井と視線を合わせた。


「でも、俺、今付き合ってて……」


 櫻井は新井から目を逸らす。


「……やっぱり、駄目じゃん」


 嗤ったように、諦めたかのように、乾いた笑みを、新井は、漏らした。


「やっぱり、全部駄目じゃん。何したって、駄目なんじゃん」


 あはは、あはははははは、と新井は笑う。


「何を犠牲にしたって、どれだけ頑張ったって、どうせ私は聡助と結ばれないんじゃん。何年も好きって言い続けてきたの私だけだよね。私だけが聡助のことを思ってきたんだよね。それなのに、報われない。ブスだから? デブだから? 聡助の好みの顔じゃないから? それとも、このピアスのせい?」


 あはは、と新井はピアスを叩く。


「そんなことない! 由紀はとびっきり可愛くて素敵な女の子だよ!」

「じゃあ、付き合ってよ……」

「…………」

「私の味方してよ。聡助のせいでこんなことになってるんだよ。全部、全部聡助のせいで……」

「ごめん、全部俺のせいで……」


 新井は櫻井を前にして、何も出来なくなった。


「由紀……」

「聡助」


 櫻井が顔を上げたところで、新井が櫻井に口付けをする。


「……っ!」


 櫻井は目を丸くし、新井を見る。

 泣きながら、目をつむり、新井は櫻井と口付けを交わしていた。


 長い口付けの後に、新井はそっと唇を離した。


「聡助、お願い、私のものになって。私をお姫様にして……」

「…………」


 櫻井は新井から顔を逸らす。


「もう……いいよ」


 新井は立ち上がった。

 荷物をまとめて、櫻井の下から立ち去る。


「由紀!」


 立ち去る新井の手を、櫻井が掴んだ。


「由紀、行くな!」


 後ろから新井を抱きしめる。


「大丈夫、大丈夫だから。全部俺が何とかするから。大丈夫、大丈夫。助けを求めたって良い。辛い時は、助けて、って言っていいんだ。由紀、大丈夫。俺が隣にいるから」

「聡助……」


 櫻井は耳元で新井に囁く。


「私は聡助のことが、本当に、好きでした」


 新井は涙をこぼしながら、櫻井の腕をほどき、去った。


「由紀、由紀!」


 櫻井が新井を追いかける。


「来ないで!」


 一喝する。


「私は、聡助のことをずっと愛していました」


 そう言って新井はタクシーに乗る。


「由紀、由紀!!」

「私のことを、愛して、欲しかった」


 そう残した後に、新井はその場を後にした。


「畜生……」


 櫻井はその場にくずおれた。


「畜生おおおおおおおおぉぉぉぉぉ!」


 櫻井はただ、慟哭した。




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― 新着の感想 ―
[良い点]  血は争えない! [一言]  一見ざまぁに見せかけたコテコテの青春ドラマの一幕。  きっとなんやかんや有って櫻井ハーレムが再結成されるのだろうと思ってしまう。  櫻井時空では一般的な常識は…
[一言] 以前冗談で 1ヶ月後、そこには背中から包丁が生えた櫻井の姿が! って書き込んだけど、当たらずとも遠からずになりそうだな。
[一言] 何が「畜生」なんだろうね? キープしてた女が好みじゃないビッチになっていたから? 不用意に彼女作ったから先々でハーレム乱交かとっかえひっかえプレイする予定の女が逃げたしたから? ……「自分…
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