第353話 姫野姫はお好きですか?
夏休みも佳境に入り、地元の大型ショッピングモールは活況を呈していた。
学生と思しき若人が割拠し、賑々しく混雑していた。
「……」
そんな賑々しさとは相対して、一人沈んでいる女子がいた。
人形のように美しくパッケージ化された服、ガーリーなチュニックワンピースに身を包んだ女は、沈んだ顔で俯いていた。
「……あ」
「……え?」
そんな少女の前を横切るようにして、一人の男が声をあげた。
「姫……?」
「櫻井……君?」
櫻井と同じ塾で勉学に励んでいる少女、姫野姫は、丸い目をぱちくりと瞬かせ、櫻井を見た。
「え、姫、なんでこんなところに?」
「……」
姫野は暗い顔で再び俯いた。
「何か……あったのか?」
櫻井は心配そうな顔で姫野に近寄る。
「うん……」
姫野は視線を下に向けながら、返答した。
「実は今、南くんって人と一緒に来ててね」
「え」
櫻井はきょろきょろと辺りを見渡す。
「ううん、今は別で行動してるんだけどね」
「もしかして彼氏か何か?」
「全然違うの。前、塾で勉強してたら話しかけられて。本当は行きたくなかったのに、どうしてもって言うから今日来たんだけど……」
姫野は目を潤ませる。
「姫はね、ねこパンのカフェに行きたかったのに、南くんがそんなの面白くないだろ~、って言って無理矢理ボーリング場行かされて」
ねこパン――十代からの人気の高い、パンダの姿をした猫のゆるキャラである。
「姫、運動とか全然出来ないのにボーリングとかローラースケートとか無理矢理やらされて」
ひっく、と姫野が涙を流す。
「姫、いっぱいお洒落して来たのに、ねこパンも見れなくて、やりたくもないのに、運動なんかさせられて」
「なんだよ、それ……」
ポロポロと涙をこぼしながら、姫野は語る。
「姫、なんだか悲しくなっちゃって……」
姫野は唇を噛んだ。
「これ、見て」
姫野は服をつまみ、櫻井に見せた。
「お気に入りの服だったのに、バスケットボールとかさせられて、服がすごい汚れちゃって」
ポールの色が服に移ったのか、薄桃色の服が黒く変色していた。
「姫はただ、ただねこパンが見たかっただけなのに……」
嗚咽しながら、涙ながらに訴える。
「信じられねぇ……」
「それで、遊んだから次は買い物でもって言われて、南くんは一人で本屋さん行っちゃって、姫は一人ですごい悲しくて……」
姫野は両手で目を覆った。
「楽しくないよ、こんなの……」
姫野はその場にしゃがみ込んだ。
「なんだよ、なんだよそれ……。俺、許せねぇよ!!」
櫻井は姫野の肩を優しく抱いた。
「姫、そいつどこにいんだ?」
「いま本屋さんにいる、って。姫、お買い物中も放ったらかしにされて、ねこパン見たかっただけなのに」
姫野はその場にしゃがんだまま、本屋を指さした。
「姫、行くぞ」
「え?」
「姫をそんな目に遭わせて、自分は一人で遊んでるなんて許せるわけねぇだろ! 俺がぶん殴ってやるよ!」
「え、櫻井君!」
櫻井は姫野の手を取り、本屋へと向かった。
「……ふ~ん」
南は一人、サッカーの本を調べていた。
前から少し気になっていた姫野と初めて二人で遊びに来たことで、少々の緊張はしていた。
二人で出来る遊びとしては上々といったところだろうか、と南は満足げに顎を撫でていた。
「おい」
「……?」
声がかけられる。
「お前が南か?」
「駄目だよ、櫻井君……」
「……?」
激情している見知らぬ男と、今日一日遊んでいた姫野が、そこにいた。
「え……何?」
まさか美人局か、と妙な心配をする。
「表出ろよ」
「え?」
「表出ろ、って言ってんだよ」
櫻井はドスの効いた声で南に言う。
「……」
事態を飲み込めていなかったが、南は言われるがままに本屋から出た。
「……」
「……」
櫻井と姫野が前を歩く。
一体何が起こるんだ、と南は戦々恐々とする。
ショッピングモールを出て人気の少ない路地に出た時、櫻井が振り返った。
「お前、姫のなんなんだ?」
「……いや、別に今日一日遊んだだけだけど、何?」
高圧的な櫻井の態度に、南は眉を顰める。
「お前、今日一日、姫がどんな思いしてたのか分からねぇのかよ!?」
「……はぁ?」
姫野を見てみると、視線が合わなかった。
「え……姫野ちゃん、もしかして彼氏か何か?」
「今そんなこと関係ねぇだろうがよ!」
「いや、滅茶苦茶関係あると思うんですけど……」
南は櫻井と対峙する。
「今日一日、姫がどう思ってたか分かってるのか、って聞いてんだよ」
「どう思ってたも何も、一日一緒に遊んだだけだろ」
「姫の思い台無しにしといてその言い草かよ」
はっ、と櫻井は鼻で嗤う。
「何が言いたいんだよ?」
「姫を無理矢理連れて来て、お前最低だな」
「はぁ?」
南もムッと来る。
「無理矢理連れて来て、って誘って来てんだから正式な手順だろうがよ」
「お前がしつこいから姫も仕方なく来たんだよ!」
「仕方ないなら来る前に言えばいいじゃねぇかよ!」
「しつこいから一回行く、って言わないと終わらねぇと思ったんだろうが!」
なぁ、と櫻井は姫野に聞く。
姫野は口を固く結び、視線を逸らし、ただ地面を見ていた。
「姫が行きたいところにも行ってやらねぇで、お前それでも男かよ」
「お前に関係ねぇだろうが」
「姫を悲しませるようなことしてるから許せねぇ、って言ってるだけだろうが!」
「黙っとけよ、部外者が! 何も言わねぇのに分かるわけねェだろうが!」
「お前が嫌いだから何も言えなかったに決まってるだろうが!」
「だったら最初からそう言ってろや、クソ馬鹿がよ!」
「……んだと、お前!!」
櫻井は南に殴りかかる。
南は櫻井から距離を取り、かわす。
「お前のせいで姫は泣いてたんだぞ! お前が無理矢理姫を連れて来たから、姫は泣いてたんだぞ! 女の子の気持ちも分からねぇで、分かったような口利いてんじゃねぇよ!」
「……」
姫野は俯いたまま、肩を揺らし、泣いている。
「……はぁ」
南は臨戦態勢から一転、櫻井から距離を取った。
「んだよ、地雷かよ……」
そう言うと南は櫻井に背を向け、帰り始めた。
「二度と姫に関わんじゃねぇぞ!」
南は櫻井の言葉を聞くこともなく、そのまま去った。
「……」
ゆっくりと、姫野の下に戻る。
「櫻井君……」
姫野は目を潤ませて、櫻井を見た。
「大丈夫か、姫」
櫻井は姫野の頭にポン、と手を乗せ、聞いた。
「うん、ごめんね、櫻井君……」
「いいんだよ、これくらい。俺にできることなんてこれくらいしかねぇからさ」
櫻井はニカ、と姫野に笑いかけた。
「櫻井君……」
姫野は頬を染め、櫻井の腕に抱き着いた。
「ちょっ、おま!」
「今日だけはこれでいさせて……」
「……ったく、しょうがねぇなぁ」
櫻井は頭をかき、姫野は櫻井の腕に体重を預けた。
「櫻井君って、本当に格好良いなぁ……」
「ん、何か言ったか?」
「……ううん」
姫野は櫻井を見上げる。
「ラーメンでも食うか、姫?」
「……うん!」
櫻井は姫野の頭を撫でた。
姫野は安心して、櫻井に体重を預けた。




