第349話 変身はお好きですか?
八月上旬――
「お前ら、ちゃんと進路は決めてるか~? 大学ごとに出題形式に傾向があるから、ちゃんと大学ごとの試験対策やっとけよ~。それはそれとして、基礎力は必ず必要になるから、どの大学に行くにしてもちゃんと基礎力はつけておけよ~」
本格的に大学に向けた授業が加速してきていた。
「じゃあ今日の授業はここまで。ちゃんと予習復習しておけよ~」
夏季特別講習も中盤に差し掛かり、赤石は日々の課題と大学用の対策に忙殺されていた。
「……」
赤石はカバンを持ち、席を立った。
「赤石」
後ろから、呼び止められる。
「……」
上麦がカバンを持って、立っていた。
「ご飯行こ」
「……ごめん、そういう気分じゃないから」
しつこいな、と赤石は目を細める。
「二人話したい」
「……」
赤石は黙って教室を出た。
後ろから上麦が赤石の後を追ってやって来る。
「赤石、どこ行く?」
「帰る」
「ご飯」
「一人で食ってろ」
小柄な上麦の一歩は小さい。
基本的にいつも早足の赤石から、どんどん突き放される。
距離が空くたびに、上麦がちょこちょこと小走りで赤石に追いつく。
「赤石、聞いて」
「放っといてくれ、って言ったろ。勘弁してくれ、本当に」
「放っとけない。白波、無理」
上麦が赤石の隣に来た。
「白波、赤石味方」
「嘘吐け」
「赤石、止まる」
「止まらないね」
「白波、赤石しかいなくなった」
「……?」
赤石は小首をかしげ、上麦を見る。
「白波、あかねと絶交した」
上麦は赤石の目を見る。
「……は?」
赤石は足を止めた。
早足で歩きすぎた上麦が、折り返して戻って来る。
「話、聞く?」
「……」
上麦が赤石を近くの教室に押し込んだ。
「何組?」
「白波の教室」
「お前の教室ではない」
夏休み真っ只中、教室には、誰もいなかった。
「どういう意味?」
赤石は上麦に聞く。
「白波、あかね絶交した。それだけ」
「…………」
赤石は考え込む。
「誰のための何の嘘?」
「白波嘘吐かない。赤石知ってる。あかね絶交した」
「何故?」
赤石が上麦に詰め寄る。
「あかね、白波と赤石仲良くイヤ。白波、あかね嫌い」
「は?」
「あかね、嘘吐いてる。白波、赤石と仲良くするの防いでる。白波、あかねのこと嫌い」
「は?」
理解が追い付かなかった。
「お前は一体何を言ってるんだ?」
「反省しないあかね、白波絶交した」
「……は?」
全く理解が出来なかった。
「お前らはずっと幼馴染だったんだろ? 十七年、十八年一緒に暮らしてきたんだろ? 過ごしてきたんだろ? 固い絆があるんだろ? 何故? なんで絶交なんてしたんだ。十七年の重みは一体どこに行ったんだ?」
「あかね、言ってること滅茶苦茶。白波、赤石信用した」
「理解できない」
赤石は首を振る。
「俺が正しいとも、あいつが正しいとも決まってないわけだぞ。誰が本当のことを言ってるかなんて、お前には分からないはずだぞ。なんで十七年も一緒にいたあいつのことを信じずに、出会って数カ月程度の俺のことを信用するんだ? 分からない。理解できない。何を言ってるんだ、お前は?」
「あかね、白波の質問答えない。赤石、白波の質問答える。あかね、悪いことしてる。反省しないあかね、絶交した」
「暴力振るわれたら誰だって言いたくないだろ。思い出したくないだろ。誰が正しいかなんて分からないだろ、お前には。そうでなくても、俺なんてどうせ後数カ月もしたらお別れだろ。なんでお前はそんなことするんだ」
「あと数カ月違う。これから先、白波と赤石一生付き合っていく」
「そんなわけないだろ。幼馴染の絆はどこに行ったんだ? なんで、どうしてそんなことしたんだ」
赤石は天を見上げる。
そしてそのまま、
「今からでもいい。謝って来い。私が間違ってました、赤石が間違ってました。そう言って謝って来い。今からでも遅くない。絶交なんてするな。時間の重みはそう簡単には覆せない。鳥飼と仲直りして来い」
「なんで?」
「お前が馬鹿なことをしてるからだ。前、俺が言ったことを聞いてなかったのか? 理解できなかったのか?」
「赤石、嘘吐いてない」
「嘘なんていくらでも吐けるって言っただろ。人間は自分のために、平気で嘘を吐ける人間なんだよ。自分の利益のために、どこまでだって嘘を吐いて、他人を傷つけて、そうやってのうのうと生きていく生き物なんだよ。ネットだってそうだろ。皆自分の利益のために嘘を吐いて、仮初の可哀想な自分を作りたくて仕方ないだろ。俺だって嘘を吐く。自分の利益のために、他人を騙してへらへら笑うんだよ」
「嘘吐く人、そんなこと言わない」
「そこまで考えて俺がお前にこう言ってるかもしれないだろ。こう言ってればお前が俺のことを信用すると思ってるかもしれないだろ」
「ううん」
上麦は首を振る。
「白波、赤石信用した。変えない。あかね、反省しない。絶交した」
「あり得ない……」
赤石は椅子に深く腰掛けた。
「お前は一体どれだけ馬鹿なんだ」
「白波、馬鹿違う。あかね、白波いなくても平気。でも赤石、白波いないと平気じゃない」
「いや、俺は一人で生きていける」
「赤石、嘘吐き。赤石、弱い」
「そんなことねぇよ……」
「赤石、白波と仲良くする?」
上麦が赤石に手を差し出す。
「承服しかねる」
赤石は両手を上げた。
「あかねと絶交した。白波、一人ぼっち」
「可哀想に。次の友達を作ると良い」
「赤石、次の友達」
「俺はお前を信用できない。お前というリスクを抱えて動けない」
「大丈夫。赤石に足りないこと、人を信用すること。赤石が見て来た白波、嘘吐く人? 赤石にとって、信頼できない人?」
「……」
沈黙。
「白波、赤石と仲直りする。高梨とも仲直りしてほしい」
上麦は赤石の手を取った。
「俺が高梨を嫌ってるんじゃなくて、高梨が俺の行動に呆れて怒ってるんだよ」
赤石は席を立った。
「帰る」
「赤石、返事聞いてない」
「裏切らないうちは仲良くするよ」
「赤石、素直じゃない」
「はい」
赤石と上麦は帰宅した。
ある晴れた日、赤石は近隣の公園でブランコに乗って体を揺らしていた。
太陽が赤石を照らし、赤石は参考書を読みながらブランコに揺れる。
ブウゥン、と大きな音がした。
「う」
赤石は軽く咳をする。
無茶な走り方をする車の排気ガスに、肺をやられる。
車は公園の近くに止まり、扉が開いた。
扉が開くと同時に、車から大音量で音楽が漏れ聞こえてくる。
「うるせぇ……」
赤石は車に視線を向けず、ブランコで揺られていた。
大型のワゴン車からアップテンポな曲が流れ、車の中から誰かが出て来た。
絡まれないようにしよう、と赤石は車から故意に視線を外し続ける。
車の中から出て来た何者かが、公園の中に入って来た。
「最悪だ……」
公園を根城にするつもりか、と赤石は帰りの支度を始める。
だが、聞こえてきたのは一人分の足音だけだった。
何者かがブランコまで、赤石の近くまで近づいて来ていた。
赤石は顔をあげられない。
何者かは赤石の背後を通った。
そして、
「ぶうあああぁぁ!!」
赤石の背後から、赤石を驚かせた。
赤石は肩を跳ねさせ、振り向く。
「やっほ~」
焦げ茶色の肌に、耳に大量のピアスをした女が、そこに立っていた。
「……」
一瞬、硬直する。
「あ~、誰か気付いてないわけ? きゃははは」
露出度の高いホットパンツに、ヘソを出した女はけらけらと笑う。
耳には大量のピアスが付けられ、厚底のブーツに焦げ茶色の肌をした女に、皆目見当がつかない。
平田を思わせる格好をした女に、赤石は思い当たる所があった。
「新井……?」
「せいかぁ~~い」
べ、と新井は舌を出した。
「お前……」
赤石は新井の格好を上から下まで見る。
「お前、その格好はなんだ」
「は?」
新井は、うざ、と声を漏らす。
「何、私のファッションにケチでもつけるわけ?」
「ピアス」
「あけてるけど、何? 夏休み終わったら外すから」
「バレるだろ」
「髪で隠したらそれで終わりでしょ。ってか、何? なんであんたなんかに私のファッションのこと指摘されなきゃいけないわけ? 別に男のためにファッションしてるわけじゃないんですけど。うっざ」
新井は赤石を鼻で嗤う。
「……っ」
赤石は顔をしかめる。
「お前……」
「何?」
赤石は新井の口元を見た。
満員電車の中でよく匂う、匂いだった。
鼻を刺すような臭いに、赤石は目をしばたかせる。
「何吸った?」
「は、何? お前に何か関係あるわけ?」
新井はホットパンツのポケットに手を当てる。
「お前……一体どうしたんだ、この夏で」
「だ~か~ら~、お前に何か関係あるわけ? 折角、ドライブ中に知ってる顔見つけたから驚かしに来てやったのに、何なわけ?」
「見せびらかしたかったのか、今のお前を?」
「お前本当キモいね。今までもそうやって斜に構えて、自分は間違ってないです、みたいな格好で、何のリスクも背負わずに他人のこと馬鹿にしてたんでしょ? 自分が出来ないことしてるからって、相手を批判して、それが正しいことかも間違ってることかも考えずに、ずっとグチグチ陰口言ってんでしょ」
「……」
変わり果てた新井の姿に、赤石は目を伏せる。
所々に、火傷の跡があった。小さな火傷の、跡。以前のケガ一つない綺麗で細い脚は、もうなかった。
「てか、昼間からこんな所いるって、お前の家この近くな訳?」
「……」
赤石は何も答えない。
「あ、分かったぁ~!」
新井はポン、と手を打った。
「私のコト気になってるんだぁ~」
新井は赤石に顔を近づける。
「可愛くなってるからそんなキモいこと言ってんだぁ~。何、本当のお前を分かってあげるのは俺だけだ、とか言いたいわけ? 何、私を正してあげないと、とか思ってるわけ?」
新井はけらけらと笑う。
「甘ぇんだよ、ばああぁぁぁ~~~か」
あははは、と新井は笑った。
「私のこと叱ったらちょっとでも脈あるかも、とか思った? ないんですけど、超ウケる~」
新井はハイテンションで手を叩く。
「なんでそんなにテンションが高いんだ?」
「は? だからお前に関係ある?」
「何か飲んだのか?」
「黙れって。死ねよ」
新井は赤石の乗っているブランコを足で蹴った。
そして、赤石の耳元に近づき、
「ヤらせてあげよっか?」
囁いた。
「……!」
赤石は新井を見る。
「……」
新井は無言で三本、指を立てた。
「……」
赤石は新井を静かに見る。
「あっはははははははは」
新井は腹を抱えて、笑う。嗤う。
「お前はそうやってずっと陰に隠れて人の悪口でも言ってれば? 表舞台に出て活躍してる人に嫉妬しながら、ずっとそうやってグチグチ文句言ってろよ」
新井はブランコの鎖を蹴り、そのまま踵を返した。
止まっている車に乗り込む。
「もう良い~?」
車の中にいる男から、新井に声がかけられる。
「いや、マジでキモかったあいつ。発情してる猿みたい。やっぱ同級生の男ってガキすぎ」
「ぎゃははははははははは」
「マジそれ」
「良いこと言う~」
新井はそのまま車に乗り、車は発進した。
遠くの方から聞こえてきた小さな声に、赤石は頭をかく。
「……」
キコキコと、ブランコを漕ぐ。
「世も末だな」
赤石は家に帰った。




