第347話 息抜きはお好きですか? 1
「入るよ、お母さ~ん」
「は~い」
夏休みになり、一週間が経った。
毎日のように特別講義を受けていた赤石は家の中で布団にくるまり、天井を見上げていた。
「おは~」
赤石の部屋の扉が開けられる。
「……」
赤石は部屋に入って来た女を瞥見し、再び天井を見た。
「なになに~、赤石君。今日はどうしたの」
女、こと未市要は扉を閉め、膝を折った。
「……」
赤石は未市を見るが、何も言わない。
「なになに~、どうちたの赤石君~、よちよちよち」
未市は赤石の顔の上で手をひらひらと動かし、からかう。
「何かあった? 赤ちゃん言葉でお姉さんに言ってみな」
「なんで赤ちゃん言葉で言わないといけないんですか」
赤石はげんなりとした顔で、言う。
「どうしたのよ~、そんなに弱って」
「何もする気が起きないだけです」
「今日の勉強は?」
「今日はなしでお願いします」
「事前に言ってよね、そういうこと!」
ぷんぷん、と未市は怒る。
「ちゃんと送ってるでしょ、連絡」
「あ、本当じゃん」
未市はスマホを確認した。
「でもつまんないよ、お姉さん」
「申し訳ないですけど、帰ってもらっていいですか?」
「まぁまぁ、そう言わずに」
未市はよっこらせ、と赤石のベッドに座る。
「どうだい少年、お姉さんのこの火照った体を滅茶苦茶にしてみる気は……」
「はぁ」
未市は赤石の隣に寝ころぶが、赤石は天井を呆然と見る。
「はぁ……」
道井は体を起こした。
「この私のえっちな誘いにも乗らないとは、これは相当参ってるね」
「いつもは乗ってるみたいなこと言わないでください」
「きしし」
未市は赤石の枕元に座った。
「どうした、少年。お姉さんが話聞くよ」
「……」
赤石はぽつり、と口を開く。
「人生は、辛くて苦しいことばかり」
「あはは」
未市はからからと笑う。
「笑わないでくださいよ」
「病み石」
「無免許で医者やってそうですね」
「何かあった?」
「……」
赤石は未市と目を合わせた。
そして今までにあったことをかいつまんで話した。
「絶対的な絆なんて存在しない」
「自業自得ってやつだね」
「自業自得。嫌な言葉ですね」
赤石は布団を被った。
「でも大丈夫、お姉さんは少年の隣にいてあげるから」
未市は目をつむり赤石にキスを投げる。
「古臭い演出」
「誰がだ、失礼な」
未市はべ、と舌を出した。
「まぁ人間、皆失敗するものだよ。失敗をして、失敗から学んで、少しずつ大人になっていくんだよ」
「先輩は俺と一個しか年変わらないでしょ」
「重いよ、女の一年は」
「怖いですよ」
赤石は苦笑する。
「俺、今D判定なんですよね、北秀院」
「ほう」
赤石は寝たまま、カバンから模擬試験の結果を未市に渡した。
「だから多分このままいけば大丈夫だと思いますよ。先輩にも随分良くしてもらいましたし、もう来なくても良いですよ」
「そんなぁ……」
未市が泣き真似をする。
「大学生の先輩の時間を奪ってるのもあれですし」
「大丈夫大丈夫、大学生なんて毎日夏休みみたいなもんだから。赤石君も大学生になったら分かるよ」
やだ~もう~、と未市は赤石をパンパンと叩く。
「別に来なくても良いですよ」
「来る来る。気にしないでくれたまえ」
「いや、でも」
「黙りなさい、少年。お姉さんの厚意はもらっておくべきものだよ」
ね! と未市は渾身のポーズを取った。
「はぁ」
「高校三年生の男の子が、一つ上の大学生のお姉さんと同じ部屋で家庭教師。こんな人生で一番華やかな時間を失くしてもいいのかい? 今失ったら二度と戻ってこないよ」
「それもそうですね」
「止めてよ、そんな目で見ないで! 男の子なんて皆獣よ!」
「ははは」
乾いた笑い。
「というか、君は一体いつまで布団を被ってるつもり?」
「だからやる気ないから帰ってくださいよ、今日は」
「……」
おとがいに指を当て、未市は少し考えた。
「よし、海に行こう!」
「え?」
「行くぞ少年、着替えたまえ!」
未市は赤石の布団を剥ぎ取った。
「ちょっと!」
赤石は布団を取り返す。
「裸!?」
「そんなわけないでしょう」
未市は顔を手で隠し、指の隙間から赤石を見た。
赤石は使い込んだ寝巻を着ていた。
「裸かと思ったな」
「裸だと思ったなら布団剥ぎ取らないでもらっていいですか?」
「うん」
未市はその場で立ちすくむ。
「あの、出て行ってもらっていいですか?」
「あぁ、私は大丈夫。ここで着替えて?」
「俺が大丈夫じゃないんですよ」
「男の子なんだから、着替えの一つや二つ見られたって平気でしょう?」
「平気じゃないタイプなんですよ、俺は」
未市は仁王立ちしている。
「あの、出て行ってもらっていいですか?」
「いや、出て行かないよ、私は。テコでも動かない」
「じゃあ出て行かせますけど」
赤石が未市を押し出そうとする。
「許可もないのに私に触ろうものなら君はブタ箱行きだよ」
「こんなに加害者が強い法律あるんですか?」
赤石は困った顔をする。
「まぁ、じゃあこれの上から服着ますよ」
赤石は寝巻の上から服を着た。
「え~、ショック~。赤石君の体見たかったのにぃ~」
「要さんがブタ箱に入らないことを祈ってますよ、俺は」
赤石は上着を着て、準備を整えた。
「大丈夫さ。いつか一糸まとわぬ要さんの艶めかしい体を、赤石君に見せてあげるよ」
「期待してます」
赤石はリュックを背負い、 部屋の扉を開けた。
「それにしても良かったのかな? 受験勉強が、とか言ってなかった?」
未市は階段を降りながら訊く。
「今日は勉強する気起きないんで」
「やったね、デートだ!」
「そうですね」
赤石は靴を履く。
「日焼け止めは?」
「はい」
赤石は玄関で日焼け止めを塗る。
「バイクで行くんですか?」
「まだ二人乗りを出来るようなレベルじゃないんだよ、私は」
「そうですか」
未市は玄関の扉を開けた。
「行ってきます、お母さん!」
「は~い」
「行ってきます」
未市と赤石は家を出た。
「いつの間に母とあんなに仲良くなったんですか?」
「君がいないうちにリビングでお母さんとよく談笑してたんだよ」
「へ~」
「じゃあ行こっか、海?」
「はぁ」
赤石と未市は海へと向かった。




