第342話 京極明日香はお好きですか? 4
「あ~あ」
赤石が目を細める。
「ちが、別に私のせいじゃないから」
「お前のせいだろ」
「……」
平田は顔を引きつらせる。
赤石と平田は、京極を近くの公園に連れて行った。
「ごめんね、君たち……」
泣き腫らした目で京極は赤石たちに言う。
「平田が悪口言うから」
「いや、だってウザかったんだもん」
「謝っとけよ」
「……ごめん」
平田は口をとがらせながら、京極に言った。
「もう一回謝って」
「ごめんなさい」
京極はいいよ、と手を振る。
「ちょっと、ビックリしちゃっただけだから……」
京極は目尻を拭った。
「ごめんな、こいつがあんな悪口ばっかり言って。友達いないから人との距離感とかつかめないんだろうな。前も友達に愛想つかされて裏切られてたし。人を制圧することが自分の友好手段だと思ってるんだよ」
「別にそんなじゃないし……」
平田は反省と反逆とを同時に表情ににじませる。
「赤石君は辛くないの?」
「そういう奴だからどうしようもない」
赤石はため息を吐く。
「お前は人のこと言えてないからな」
「そもそも平田と一緒に過ごすこともあまりないし、仕方なく一緒にいるだけで好き好んで一緒にいるわけでもない」
「変わってるね」
「なんとかしてくれよ」
京極は赤石と平田とを見比べる。
「ごめんね、二人とも。僕がつい……」
京極は立ち上がろうとした。
「そこで座っとけよ。何か付き合って欲しいって言ってなかったか?」
「ああ、服の替えを買って来て欲しいな、って」
京極は泥で汚れた自身の制服をつまんだ。
「どこまで行かせる気だよ。ないだろ、この辺に売ってる店」
「ううん、靴だけ買ってきてもらえれば」
京極は泥だらけのローファーを見せる。
「もう乾いただろ」
「でもこれで電車とか乗れないから」
「別に良くないか?」
「あまり人に迷惑かけられないから」
「はあ」
京極は財布から五千円を抜き、赤石に手渡した。
「もし良かったら、靴を買って来てもらえないかな? あと靴下」
「サイズは?」
「四」
「四センチか。あるかな……」
赤石は思案する。
「いやいや、二十四」
「買ってこなくても良いと思うけどなあ」
「いいんだ。僕のために買って来てくれない?」
お願い、と京極は手を合わせる。
「買うって言ってもどこで?」
「コンビニとかにあるんじゃないから」
「コンビニに靴なんか売ってないだろ」
公園の近くには、コンビニがある。
「俺の靴貸してやろうか?」
「君はどうやって帰るのかな?」
「よちよち歩きで」
「危ないから大丈夫。お願い、赤石君」
「~~~~」
赤石は平田を見た。
「何買ったらいいか分からないからお前も来てくれ」
「……分かった」
赤石と平田はコンビニへと向かった。
「コンビニって何でも売ってあるんだな」
赤石は安物のスニーカーを買って帰ってきた。
「はい、靴と靴下。あとタオル」
京極に渡す。
「ありがとう、赤石君、平田さん」
「これお釣り」
赤石は京極に葉っぱを三枚渡した。
「……」
京極は目を丸くする。
「あ、ありがとう、赤石君」
「ん」
赤石と平田は京極の隣に座った。
「ところで京極って電車通学?」
「これの説明は⁉」
京極が赤石に言う。
「これ……?」
赤石は平田を見た。
「レシートがないからお釣りがあってるか分からないってことじゃない?」
「ああ、なるほど」
赤石は京極にレシートを手渡した。
「いや、これ!」
京極は葉っぱ三枚を掲げた。
「……?」
「?」
赤石と平田は小首をかしげる。
「葉っぱじゃん!」
「いや、お札だろ」
「葉っぱだって! 僕のお金!」
京極は赤石の眼前に葉っぱを突き出した。
「ん~……?」
赤石は眼鏡を持ち上げる仕草をする。
「マジか」
赤石は芝居がかった声を上げる。
「クソ、化かされた。ちょっと店員に文句言って来る」
「お金! あるでしょ!」
京極が赤石を座らせる。
「はい……」
観念した赤石はしくしくと泣くフリをしながら財布からお金を出した。
「恐喝?」
「違うから!」
赤石は御釣りを京極に渡した。
「どうして二人ともそんなにふざけてるの?」
「化かされたのかふざけてるのかお前には判断できないだろ」
「出来るよ!」
「世界って言うのはお前が思ってるよりもっと複雑なんだよ」
「分かったようなこと言わないでよ!」
赤石は肩をそびやかす。
「本当につかめないよ、僕は君が」
「面白いだろ?」
「面白……いかもしれないけど!」
京極は拳を握りしめる。
「でも君は人を傷つけるようなことばっかり言うでしょ? なんでいつもそんな風に出来ないの?」
「人間っていうのは二面性があるもんだからな。人を殴りながら平和主義を説くような生き物だよ、俺たちは」
「……」
京極は腕を組み眉を顰める。
「僕はね」
「ん」
「君たちはすごい悪い人だと思ってたよ」
京極は赤石と平田を見る。
「まぁさっき泣かされてたしな」
「ごめん、って」
平田が口をとがらせる。
「君たち、あんまり良い噂立ってないよ。特に赤石君」
「知ってる」
京極は髪を耳にかける。
「僕たち女の子の中でも、とりわけ嫌われてるよ」
「皆に嫌われてることは知ってる」
「なのにどうして人を傷つけるようなことを言うの?」
不思議そうに、京極は赤石の瞳の奥を見る。
「人を傷つけるようなことを意図して言ってるんじゃなく、普段から思ってることを言ってるだけだ。それがたまたま、結果的に人を傷つけることになっているだけで。あと言うことと言わないことも結構取捨選択をしてるつもりだ」
「どうして止められないの?」
「人間が嫌いだから」
「人間……嫌いなの?」
「嫌いだね。心底」
赤石はそう吐き捨てる。
「なんで?」
「嘘ばっか吐くからな。自分の薄汚い我欲と下心のために嘘を吐いて、人を騙して欺いて、それであたかも自分が善人を気取ってやがる。独善者共は全員大嫌いだ」
「そんな悪い人ばかりじゃないよ」
京極は悲しそうな目をする。
「そんな悪い人ばかりだね。この世に存在する人間は全員、偽善者か罪人かのどちらかだ」
「じゃあ、僕も?」
「きっと、な」
「僕はどっちなのかな?」
「判断できるほどお前のことを知らない」
「……そっか」
京極は片方のローファーを脱ぐ。
「平田さんのことも、そう思ってるの?」
「平田は真っ向から悪人だろ」
「じゃあ僕のことも、信じられない?」
「信じられるような要素なかっただろ」
「僕のことを信じないまま、僕と接してたの?」
「信じることと距離を置くことは別だからな」
「ふ~ん……」
京極はもう片方のローファーを脱いだ。
「人間が喋る言葉には必ず嘘があって、裏がある。言葉の裏には、自分が得をしたい、他人を貶めたい、そんな下衆な願望があるもんだと思ってるよ。だから俺は自分が信じた人には出来るだけ嘘を吐きたくないし、だから自分を曲げたくない。俺が俺の思想を実践してなけりゃ嘘だね」
「……そっか」
京極は興味を失ったかのように、突き放すように、そう言った。
「……きっと、君は、人が好きなんだと思うよ」
京極は靴下を脱いだ。そして赤石の手の上に、置いた。
「え?」
「君は、人が好きなんだよ。だから、許せない。赦せない。人が自分を裏切ることを許せない。人が好きだから、自分が好きな人が自分を裏切ることが許せない」
京極はもう片方の靴下を脱ぐ。
「だから自分から人を嫌いになろうと、そうやって躍起になって、他人のことを悪人だと思い込もうとしてるんじゃないかな。平田さんだって、そうなんじゃない?」
京極は平田を見た。
脱いだもう片方の靴下を、赤石の手の上に置く。
「嫌いだと分かってても一緒にいる。悪い人だと思ってても一緒にいる。それが、赤石君の本質なんじゃないかな? 嫌われても良いから、自分が好きな人と一緒にいられる。違うかな?」
京極が赤石を覗き込む。
「赤石君は、きっと君が思ってるよりもずっと人が好きなんだと思うよ。好きだけど、裏切られたくない。愛してるけど、突き放されたくない。一方的な君の愛が満たされないから、君は最初から人を遠ざけようとしてるんじゃないかな」
京極はタオルで足を拭いた。
「僕はね、最初見た時、聞いてた君の人物像と随分違うな、と思ったよ」
京極が赤石を見る。
見透かすように。見定めるように。品定めを、するように。
「何かを恐れてるのかな? 何かに怖がってるのかな?」
怯えるような、視線を。
射貫く、ように。
「ちょっと気になっちゃった、かもね」
京極はもう片方の足を、拭いた。
タオルが、泥で、汚れる。
黒く、茶色く。
「哀れな小動物みたいだよ」
京極はそう言うと、赤石から靴下とローファーを受け取った。
「じゃあ、先に行くね」
京極は靴下とローファーをカバンの中に入れ、そのまま立ち上がった。
残された赤石と平田は京極の背中を、見送った。




