第37話 クラスメイトはお好きですか? 5
赤石はクラスメイトからの視線が気になり、机に突っ伏した。
腕の隙間から横目で周りを見る。
水城は八谷の机の落書きの紙を全て取り、クラスメイトに対して再度同じことを言った。
「皆ひどいよ! 恭子ちゃんはそんなに悪いことしてないよ……!」
水城は必死で、クラスメイトに言う。
だが、一人の力では世論は動かせない。
「じゃあ何、水城さん。あなたは、そこの八谷が私たちにあんなに高慢に接して馬鹿にしてきてるのに櫻井君にべったりくっ付いて、それで赤石ともデートしてて、それでも許せるって訳? 答えてくれる、マジで?」
「そ……それは……」
水城は、言葉に詰まる。
正論だな、と思った。
実際、平田の言っていることは正鵠を射ている。正論であると、そう思った。
既に平田はクラスの世論を掴んだ。
誰しもが、自分が次の標的にならないようにと目をそらし、平田に同調した人間は束になって陰口を叩いていた。
元々八谷が気に入らなかった人間が多数なんだろうが。
嫉妬によるところもあるのかもしれない。
櫻井は……櫻井なら八谷を助けてくれるんじゃないか、と赤石は櫻井に目を向ける。
「…………」
櫻井は、目を伏せ自分の席で俯いていた。
八谷は自分のことを好いていると思ったのに赤石とデートをしているとは思わなかった。自分のことだけを思わないような女なら庇ってやる必要もない。
そう思っているのか。
どうなんだ。
そう、思っているのか。
なぁ櫻井。お前は八谷を何だと思ってるんだ。
櫻井もその取り巻きも俯き、完全に平田が場を収めた。
八谷に敵愾心を持っていた生徒は案外多く、それだけで自分が妙に攻められているかのような気分になる。
「もうすぐ授業始まるのに八谷の奴来ね~じゃん。また他の男見つけて今頃外でやってんじゃねぇの、マジ?」
「「「ぎゃははははははははははははは」」」
平田の嘲笑に、取り巻きが同調して嗤い合う。
平田の取り巻きたちは陰口を大きくして、更に八谷を責め立てる。
場違いな空気が教室内に流れ、偽善的な正義が教室に蔓延している。
人は、強者に付き従う。
既に切っ掛けをつかんでいる、八谷と赤石の排斥の風潮は弱まる気配がない。
赤石は八谷が何をしたのか、今何をしているのか、不安に駆られた。
だが、自分には関係がない、関係がない、と言い聞かせるようにして、乗り切る。
八谷は、その日学校を欠席した。
今日も、学校がある。憂鬱な学校が。
赤石は帰宅後八谷に連絡をしたが、なしのつぶてだった。
八谷はもう学校には来ないかもしれない。そんな茫漠とした不安感が募る。
机に落書きを貼られることは、なくなった。
だが、依然として平田からの呪詛は浴びていた。その身を呪詛で覆われ、段々と体の一部分が壊死していくような、そんな気持ちに襲われる。
それでも赤石は関係ない、俺には関係ない、と言い訳めいた言葉を内心で繰り返し、じっと平田の嘲笑が終わるのを待っていた。
言い返したところで自分へのいじめが終わるわけではない。
言い返しても何も状況は改善しない。むしろ、いじめが加速する可能性すらある。
何もしないことが、今の自分にとって、合理的な解決方法だった。
仕方がない、どうしようもない、ただひたすらに待て。
赤石は、自分に言い聞かせる。
合理的に、合理的に生きるべきだ。
平田が赤石に呪詛をまき散らしていたその時、教室の扉が開いた。
そこには、八谷がいた。
「おっ、来たじゃ~ん。八谷、マジ。皆ぁ~、盛りのついた八谷が来たし~、マジ」
八谷は平田の言葉を聞くや否やビクッと肩を震わせ、恐怖を湛えた瞳で平田を見る。
平田は八谷の下に歩み寄った。
「ねぇ~、八谷ちゃ~ん。あんた、昨日どうして学校来なかったのさぁ~。学校来ないと卒業できないよ? 分かってまちゅか、クズの八・谷・ちゃん」
八谷を嘲笑し、八谷の頭をパシパシと叩く。
叩かれると同時に八谷は肩を跳ねさせ、俯いてぎゅっと拳を握る。
八谷は、心根が弱い女だ。
すでに、平田に恐怖心を抱いていた。
八谷は頭を叩く平田を、怯えた目で見る。
「は? 何、その目。マジイラつくんだけど」
「調子乗らないでよね」
「あんた気持ち悪いのよ本当」
「散々私らのこと貶しといて、赤石にも櫻井にもべったりくっついてんじゃん。何なのあんた」
平田を皮切りにして、取り巻きが口々に八谷を口撃する。
泣いてこそいないものの、八谷の目には既に大粒の涙が溜まっていた。
今ここで八谷を助ける方法は、ない。
平田に文句を言っても意味がない。
どうしようもない、どうしようもないんだ。
平田に扱き下ろされる八谷を傍目に見ながら、赤石は拳を握る。
耐えろ、耐えるんだ。八谷、お前も耐えろ。
合理的に考えろ。どうしようもない。もう落ち着くまで耐えるしかない。
赤石は内心で言い訳をする。
自分への言い訳を、免罪符を。
赤石は何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も言い訳をする。
自分は悪くない。言い返したとしても事態は悪化の一途を辿るのみだ。
もうどうしようもない。
仕方ない。
ひたすらに、自分の本心を偽る。
「ねぇ~、八谷ちゃ~ん。あんたどう思ってるわけ? そういえばあんた私らのこと気に入らないんだよねぇ。自分より劣った人間だと思ってるんだよねぇ」
「…………」
八谷は何も喋らない。
喋れば事態が悪化すると、そう理解しているのだろう。
「じゃあその自慢の顔に落書きしちゃおっか?」
平田は、マジックペンを取り出し、八谷の髪を掴んだ。
「痛っ…………」
「おい黙っとけよ八谷あんた! うるさいんだって!」
苦悶の声を漏らした八谷を、平田の取り巻きが諫める。
平田の威信の陰で、その取り巻きも徐々に影響力を強めていた。
「はい、髭書きま~す」
「ぎゃははははははは、きっも~」
「キモイ~」
平田は八谷の顔に髭を書き、眉毛を付け足し、ひたすらに滅茶苦茶にしていった。
「はぁ~、これであんたも気持ち悪くなったわ~。ねぇ八谷ちゃ~ん、これでもモテるの~?」
侮蔑と嘲笑、ありとあらゆる悪感情を込めて、言葉を発する。
そこでついに、八谷の我慢の限界が来た。
「っ…………」
八谷は目元を押さえ、教室から駆けだした。
「「「ぎゃはははははははは!」」」
平田たちが、嗤う。
その美貌をもってして自信に満ち溢れていた八谷を泣かすことが出来たことを誇り、嗤う。
八谷が教室を出た瞬間、櫻井が八谷と鉢合わせした。
頼む。櫻井、お前しかいない。
八谷を、八谷を止めてくれ。追いかけてくれ。
お前が何とかしてくれ。お前しかいない。頼む。
赤石は必死に櫻井に内心で頼み込む。
だが、赤石の願いは聞き届けられなかった。
櫻井は八谷と目が合ったが、即座に目をそらし、俯いた。
その事実に気付いたのか気付いていないのか、八谷はそのまま走り去った。
櫻井…………。
自分の期待が全く当て外れになったことに、愕然とする。
なぁ櫻井、お前は言ったよな。困っている人がいたら助ける、って。
八谷は今困っていないのか?
なぁ櫻井、頼む。八谷を、何とかしてくれ。
八谷が俺と一緒にいることに不満を持った。そんなことじゃ、ないよなぁ。お前はそんなことで人を判断する人間じゃないんだろ?
なぁ櫻井、頼むよ。何とかしてくれ。
八谷が俺を好きだって勘違いしないでくれ。八谷が好きなのはお前なんだ。
赤石は必死に自分を押し殺して、合理的に、我慢した。その希望を櫻井に託し、自分は一切動こうとしなかった。
教室の中では平田たちの笑い声が響き、陰口が横行し、ひどい惨状がその場に広がっていた。




