第331話 すれ違いはお好きですか? 1
赤石、平田、八谷、花波。
急造で出来上がった昼食のメンバーはいつしか固定化し、赤石たちは昼食を共にするようになっていた。
いつものように渡り廊下を歩き、赤石は昼食を取る別棟へと向かう。
「久しぶりね」
「…………」
棟を繋ぐ連結部の渡り廊下に、高梨がいた。
赤石はふ、と顔を上げ、再び視線を下げ、歩く。
「……」
「……」
赤石は高梨を黙殺して前へ進む。
「あなたは返事も出来なくなったわけ?」
「……」
赤石が高梨の横を通り過ぎようとしたとき、高梨が赤石を呼び止めた。
赤石は足を止め、振り向く。
「赤石……」
高梨の後ろから、上麦が出て来た。
「赤石、元気?」
上麦がおずおずと尋ねる。
「……」
赤石は上麦をも黙殺し、そのまま足を進めた。
「ちょっと」
高梨が赤石の腕を掴む。
「人が話してるのに返事もせずに立ち去ろうだなんて、一体どういう神経してるのよ、あなた」
高梨は眉を顰める。
「赤石」
上麦も赤石の腕を掴んだ。
「元気?」
上麦は再び質問する。
「知らねえよ」
ぶっきらぼうに答える。
「あなた、そんな言い方はないでしょ。こっちがわざわざ足を運んでやって来たっていうのに、一体どういう了見よ?」
「何しに来たんだよ。来て欲しいなんて言ってない。お前もさっさと鳥飼の下に戻ったらどうだ、上麦?」
嫌味ったらしく、見下したように、言う。
「白波なんで怒ってるか分からない。聞きに来た」
「鳥飼に聞けばいいだろ」
「あかね話してくれない。赤石の話も聞かないとだから」
「敵の話なんて聞く必要ないだろ」
赤石は上麦の手を弾く。上麦がたたらを踏む。
「あなたね!」
高梨は赤石の胸ぐらを掴む。
「良い気になってるんじゃないわよ。なんであなたのことを心配してやって来た白波に、そんな真似が出来るわけ?」
「敵の一味だろ。何考えてるか分かったもんじゃないね」
赤石は高梨に胸ぐらを掴まれながらも、皮肉に言う。
「どうしてあなたは敵か味方かだなんて一面的な考え方しか出来ないわけ? 白波はこうやって、何が起こったかを聞くために、わざわざ出向いてあなたの下に来たのよ⁉ どうして白波の気持ちを分かってあげられないわけ? どうして白波の気持ちを汲んでやれないわけ? どうして白波のことをそんな無下にするわけ? 白波の気持ちにもなりなさいよ!」
「俺が堕ちて満足なんじゃないか」
赤石は鼻で笑う。
「この……」
高梨は赤石の右頬を叩いた。
「次は左頬か?」
赤石は左頬を差し出す。
「……!」
高梨が赤石の左頬を叩いた。
「次は何を差し出せばいいんだ?」
「一体どこまで落ちぶれたのよ、あなたは」
赤石はへらへらと笑う。
「何が来てやった、だ。こっちはお前らのせいで散々な目に遭ってんだよ。何を悠長に現場監督官面してやがんだよ。こっちの身にもなってみやがれ」
「だから何があったか聞こうとしに来たって言ってるんじゃない!」
「むかつくんだよ、お前のその上から目線の言い方がよ。こうなったのも全部お前らのせいだろうがよ。だったらちょっとは申し訳なさそうに聞きに来いよ」
「…………」
上麦は青い顔で俯いている。
「赤石」
上麦が赤石の手を持つ。
「またカレー食べよ? カレー作って? 一緒にカレー食べれない? 仲良くしよ?」
「仲良くしたいならまずはお前らから歩み寄れ」
上麦は視線を泳がせる。
「白波何したら許してくれる?」
「謝れ」
「謝るから。白波謝るから仲良くしよ?」
上麦は廊下で膝をつく。
「ちっ……」
高梨が赤石を突き飛ばした。
「そんなことしなくて良いわよ、白波。白波は何も悪くないんだから」
「のこのこ敵連れてきてんじゃねぇよ」
赤石は胸ぐらを直した。
「何をあなたはさっきから、自分は悪くないだなんてスタンスを取ってるのよ。全部あなたの責任でしょ!」
「全部は言いすぎだろ」
「私は言ったはずよ。止めておけって言ったはずよ。あなたがすることじゃないって言ったはずよ」
「はいはい聞き飽きた聞き飽きた」
赤石は故意にあくびをする。
「あなたを苦しめてるのは、全部あなた自身の我欲でしょ! あなたがあんなことをしなかったら、こんなことにはなってなかったはずよ!」
「俺が何もしなくても結局似たような境遇になってただろ。敵がいるんだから反抗しなきゃ搾取されて死ぬだけだ」
赤石は上麦を見る。
「高梨、止めて。白波謝ったら話進む。進展するから」
「謝る必要なんてないわよ。あなたに謝罪を促そうとしてるのが赤石君の一番醜い所よ。相手を屈服させたくて仕方がないのよ。他人を敵か味方でしか判断できないのよ。だから駄目なのよ、赤石君は。人間なんて、部分的には味方であって、部分的には敵でもあるのよ。そうやって皆折り合いつけて生きていくのよ。でも赤石君は相手を敵か味方でしか見ることが出来ないのよ。ゼロか百かでしか相手を見ることが出来ないのよ。つくづく大馬鹿者だわ」
高梨は赤石を睨めつける。
「どうしてあなたはそんな考え方しか出来ないわけ」
「そういう性格で生まれてきたんだから仕方がない。どうしようもない。多様性ってやつだな。認めろよ」
「私の忠告を聞いておかないからこうなったっていうのに、自分に向き合おうとしていないのにそんな放言は許されないわよ」
「……」
「……」
赤石と高梨がにらみ合う。
「二人止めて。赤石教えて。何あったか。白波聞きたいだけだから。謝るから。ごめんね。辛かったね。だから何あったか教えて」
「嫌だ」
赤石は譲らない。
「言いたくない」
「なんで言いたくない? なんで? 白波知りたい」
「敵と話したくない。何されるか分からない」
「白波敵じゃない。皆仲良くしたいだけ。赤石分かるはず。白波嘘吐かない」
そんなことは、ずっと前から知っている。
上麦が何をしたくてやってきたのかも。上麦が嘘を吐かないことも。上麦に話せば全て楽になることも。
何もかも、分かっている。
上麦に話せば好転することは分かっている。
だが。
言いたくない。
一度敵と認定した人間に自分の胸の内を吐露したくない。
鳥飼と繋がっている上麦に吐露したくない。
敵の味方は敵。
ゼロか百か。
鳥飼の側についている人間に、自分の胸の内を明かしたくない。
敵に、ほだされたくない。
それはちっぽけで小さな、守る価値もないような、赤石の矜持。
だが、それが赤石を赤石たらしめてきた思想であり、矜持であった。
核となる考え方。
勝ち方。
戦い方。
生き抜き方。
生き様。
何を信じて生きて来たかの、人生の道標。
そうすれば好転すると分かっていてもそうできない。
矜持が、思想が、こだわりが、間違いが、赤石を縛る頸木になる。
「白波分かんない。赤石が何考えてるか分かんない」
「分からなくていい」
「なんで何も言ってくれない? なんで言いたくないの?」
「お前が敵だからだ」
上麦は困った顔をする。
「どうしたら敵じゃなくなる?」
「鳥飼の取り巻きだろ。どうせ俺の言ったことを曲解して鳥飼に伝えて、余計に事態が悪化するだけだ。だから何も言わない」
「白波そんなことしない。赤石知ってる。白波はあかねにちゃんと事実伝えて仲直りしてもらう」
「仲直りなんてしなくていい。仲直りするくらいなら暗黒の高校生活だって何度でも送ってやるよ」
「なんで……白波分かんない……」
上麦は赤石の行動を理解できず、悩む。
「絶対良くなるから」
「悪意を持って俺を殺そうとしてる人間の味方が信用出来ねぇっつってんだよ」
「あかねはそんな……」
「そんな人じゃない、か? 結局お前もあっち側の人間だろ。何かあればあかねは悪くない、何かあっても、あかねも悪意があってやったわけじゃないから。根は善い人だから、か? 勘違いとすれ違いだから許してあげて、か? ふざけんな」
熱が入る。
「やられた側はただ許すことしか出来ねぇってのか? 嫌だね。相手を害した側が一方的に許されるような展開になんて持って行きたくないね。なんでお前らは一方的に許されるだけの人生なんだよ。舐めんなよ」
「あかねが何か怒られたら許せる? あかねがバツされたら許せる?」
「自分の裁可で相手の罪を処断してる気がして、それはそれで気分が悪い。俺には他人を裁断する権利なんてない」
「じゃあどうしたらいい……」
上麦はうるうると瞳をうるませる。
「……」
赤石は少し、硬直する。
「……別に、どうもしなくていい。このままでいい。何も変わってないし、これからも何も変わらない。小さなすれ違いがあったとしても、関係性が壊れたとしても、直す必要なんてない。人間同士の小さないざこざなんてものは一生修復しなくていい。壊れたものは壊れたままでいい。消えたものは消えたままにしておけばいい。壊すのは簡単だが、直すのは困難だ」
「……ヤダ。ヤダヤダヤダヤダヤダ! 白波皆仲良くしたい!」
上麦がだんだんと地団駄を踏む。
「……」
赤石は上麦の感情にアてられ、たじろぐ。
もういっそ開き直って全部身を任してしまおうか。
もう全部白状して楽になってしまおうか。
そんな感情が胸の内に表出する。
「おっそ。何やってるわけ?」
別棟から赤石の下に、平田がやって来た。




