第326話 家庭教師はお好きですか?
休日、昼――
「もっと上」
「……」
「あ、行きすぎ、もうちょっと下」
「……」
「あ、そこそこ。そこ最高! もっともっと!」
「ちょっと止めてもらえませんか?」
赤石は自室で未市に数学を習っていた。
「どうした、少年?」
「変な声出さないでください」
「変な声だと思うから変な声なんじゃないかな?」
「はぁ」
未市は赤石の隣で数学の監督をしていた。
「君は勉強を見てもらっている身分で随分とまぁご立派なことをのたまうじゃあないか」
「それはありがたいですけど」
未市は足を組みなおす。
「どこを見てるんだい、少年」
「大学受験です」
未市は足を組みなおす。
「満足したかい、少年?」
「はい」
未市は足を組みなおすのを止めた。
「足組むと体のバランスおかしくなるっていいますよね。止めた方が良いと思います」
「ほう。確かにこの美しいプロポーションが崩れたら大変だ」
未市は足を崩した。
椅子の上であぐらをかく。
「どれどれ~……?」
未市が立ち上がり、赤石の解法を覗き込む。
「あぁ~、立っちゃってるよ、少年」
「?」
「解放の目途が」
「はい」
赤石は問題を解き終えた。
「いちいち扇情的な言い方をしないでください」
「思春期の少年の劣情を煽るようなことをする私は罪人かね?」
「はい」
「全く……男子っていっつもそうよね!」
「そうですね」
未市はぷんぷんと怒りながら椅子に座りなおした。
赤石は再び数学の問題を解く。
「……」
「……」
「エッチな本とか……」
「集中してくださいよ」
未市は赤石の部屋をあさりだした。
「エッチな本ある?」
「ありませんよ、そんなもの」
「エッチなビデオは?」
「だからありません、って」
「なんで⁉ 男子なのに⁉」
「今どき現物なんて流行らないですよ。時代は電子ですから。現物の本とか探すの本当大変なんですよ」
「いっぱいあるけど」
赤石の部屋には本棚があり、本がたくさん並べてあった。
「これ親のやつです。インテリアですね」
「これ特定の一冊取ったら裏に魔法世界とか広がってるんでしょ?」
「魔法の帽子に入寮先決められないんですよ」
「あぁ~」
未市はポン、と手を叩いた。
「この裏にエッチな本が隠されてるんだ!」
「だから隠されてないですって……」
未市は本を抜き取り始めた。
「ちょっと止めてください。散らかさないでください、この部屋を」
「ケチ!」
未市は本をしまった。
「とにかくお姉さんは少年をからかいたくて仕方ないんだよ」
「勉強を教えてください。あと一個しか違わないですよ」
「からかい上手の未市さんだね」
「からかい上手じゃなくていいですから」
赤石は未市が持っていた本を本棚にしまった。
「私も手伝うよ」
「止めてください。ちゃんとルールがあるんで、この本の並びは。先輩は適当に入れそうなんで自分でやります」
「しょぼん……」
「しょぼん、じゃないです」
「スマホだったら顔文字出てる奴だからな」
「顔文字使わないんで分かりません」
「君はあれか、赤いビックリマークを使ったりしないタイプか?」
「女子高生とかでも結構赤いビックリマーク使うって聞きましたよ」
「博識だね、くだらないことに関しては」
「はあ」
赤石は本を並び終えた。
「今日は家庭教師に来てもらってるんですから、大人しく勉強を教えてください」
「年上の美人お姉さんの家庭教師だなんて、絶対そういう目的でしかないじゃないか! 年上の美人お姉さんが隣にいて勉強に集中できる男子なんているか!!」
「集中できなくても集中しないといけないんですよ。この一年が人生でかなり大きい比重を占めてるんですよ」
「大丈夫大丈夫、私が作った北秀院大学パーフェクト入試プランを見れば誰だって受かるさ」
「だといいんですけど……」
「それに、一回や二回浪人したくらいで人間の人生なんてそう簡単に変わりはしないよ」
「……それは心強いですけどね」
赤石はペンを持ち、再び教科書に向かう。
「少年、暑くなってきたわね……」
うふふ、と未市は服を脱ぎ始める。
「どこまで脱いで欲しい?」
「勉強教えてください」
「……」
未市は二枚脱ぎ、畳んで置いた。
「……」
「……」
「赤石君」
「今度は何ですか?」
赤石は若干いらつきながら、未市に返事をする。
「君は今何の勉強をしてるのかな?」
「何って……見ての通り、数学だけど」
「何のために?」
「何のためにって……大学合格するために決まってるじゃないですか」
「そうじゃなくて、何を目的に数学の勉強をしてるかってことだよ」
「……?」
赤石は小首をかしげる。
「いや、だから大学受かるため……」
「北秀院の過去問は見たかい?」
「まぁ、パラパラと」
赤石は未市から受け取った北秀院の問題集を取り出し、めくって見せた。
「北秀院ではどういう問題がよく出題されるか分かるかな?」
「……」
赤石は黙り込んだ。
「やみくもに勉強しても効率的じゃないよ。まずは自分の行きたい大学の過去問から見ると良い。勉強してからその成果をテストで発揮するんじゃなく、テストを見てからそのテストの傾向に備える形で勉強するんだ。勉強からテストじゃなく、テストから勉強。順番があべこべだよ。それに大学の入試配点も見ておいた方が良い。大学ごとに特色があるからね。何の科目がどの程度の比重を持ってるのか確認した方が良いよ。目的とアプローチが逆になってるね、赤石君は」
「なるほど……」
赤石は目を丸くした。
「私の渡したノートを取ってくれないかな?」
「はい」
赤石は未市にノートを手渡した。
「この通り、北秀院の傾向はこんな感じだよ。今のうちからでも、勉強するときは少しは意識すると良いね」
「なる……ほど」
赤石は未市から受け取ったノートを大事にしまった。
「要さんが初めてまともなことを……」
「私はいつだってまともで卑猥さ」
「後半はいりませんけど」
赤石はペンを置き、入試問題を見始めた。
「して、赤石君」
「はい」
「私の頼んだ捜査は順調そうかな?」
「あぁ」
思い出したかのように、赤石は未市を見た。
「あの女子高生が大学生と交際してる、みたいな」
「それさ」
「実は――」
赤石は平田のことと、その周囲のことについて、進展を一通り未市に話した。
「……ふむ」
なるほど、と未市はおとがいをさする。
「ご苦労だったね、赤石君。引き続き頼むよ。こちらでも捜査しておくつもりさ」
「はぁ……」
赤石は頷いた。
「まぁ正直半分くらいは自業自得な気もしますけど」
「君は冷たいねぇ、全く。君の好きな女の子が同じような目に遭ってたらどう思うんだい?」
「俺の好きな人が同じような目に遭っていたら……」
脳裏に浮かんだのは、誰か。
「私のことを想像したね?」
「誰なんでしょうね」
「まだ自分の恋心に蓋をしておくつもりかい?」
「……」
黙秘。
「私のことなら構わないさ、いつだって君の相手をしてあげるよ……もちろん、君の望むがままに……」
「相手の望むがままに奉仕する人間は、相手が自分の望まない人間になった時の反動が大きい気がしますし、いずれ遠くない日にやって来る気がします」
「君はまぁ、随分と悲観的な言い方をするねぇ。なら、好きな人は特定しなくてもいいさ。もし君の好きな子が同じ目に遭って、どう思うかな?」
「……」
赤石はしばらく考える。
「ショック……かもしれないですね」
「ショック?」
「そういう人と一緒になるんだな、という、ショック」
「なるほど」
未市は空中に視線を泳がせる。
「君はあれだね、好きなアイドルが気に食わない人と交際してることを知ると怒るタイプのファンだね」
「何のファンでもないですよ」
「そういうタイプ、ってことさ」
「どうでしょうね……。でも、好きな人がそう言う人を選んだってことには、ショックは受けるかもしれませんね」
「そういえばそういうジャンルのエッチな漫画があったね」
「人間は倒錯してますからね」
赤石は机に向かった。
未市は赤石を、指導した。




