第324話 鈴木女神はお好きですか? 3
家の前でもじもじとしている鈴木の下に、赤石と船頭がやって来た。
「押さないの?」
船頭が隣から鈴木の顔を覗き込む。
「……」
鈴木はもじもじと黙っている。
「ここって、誰かの家?」
船頭は赤石の顔を覗き込む。
「……」
赤石は突然、インターホンを押した。
「ちょっと、勝手に駄目だって!」
船頭が赤石の手を払う。
「頑張れ」
そういうと赤石は公園に引き返した。
「えぇ⁉」
船頭は赤石の後ろからついて行く。
渋々ながら、船頭も公園へと戻った。
鈴木は赤石とインターホンとを交互に見やり、あわあわと焦る。
『はい』
そして、インターホンから返事があった。
「あ、あの……」
『はい』
「あの……」
声が、出ない。
「な、奈々ちゃん、いますか⁉」
『…………はい』
インターホンが、切れた。
しばらくして、ガチャ、と扉が開く。
「奈々……ちゃん?」
「……ひさしぶり」
眼鏡をかけた、体躯よりも余裕のある着こなしをした女子高生が、家から現れた。
ゆるくやわらかな雰囲気を持つ少女は、少し不安げな顔をしながらゆっくりと歩いてくる。ボリュームのある髪が、歩くたびにふわふわと揺れる。
「……」
「……」
お互い、言葉が続かない。
「あ、あの、あの、ね」
「……外で話そっか?」
「……うん」
小宮の提案に乗り、鈴木は公園の中へと入って行った。
二人で別々のブランコに乗る。
「全部聞いてた」
「え?」
小宮から出た言葉に、鈴木は頓狂な声が出る。
「全部って……」
「引っ越し、しちゃうんだね」
「……うん」
小宮は少しブランコを漕ぐ。
「……」
「……」
鈴木の答えに、返答しない。
小宮はブランコを止めた。
「私たちが遊ばなくなってから、長いこと経つよね」
「……うん」
小宮が鈴木の目を見る。
「怒ってる……よね」
鈴木も小宮の目を見る。
「怒って……ないよ」
「嘘。怒ってる。あれからめーちゃん、公園に来なくなったもん」
「そ、それは……」
鈴木は目を白黒させる。
「奈々ちゃんに迷惑かけたくなかったから……」
「やっぱり許せなかったんだよね……」
「違うよ。違うもん。本当に違うの。あの、引っ越しするから。だから。ひとこと言いたくて」
「……」
小宮はブランコから下りた。
「……ごめんなさい」
そして鈴木に、深く謝罪した。
「や、止めてよ奈々ちゃん」
「ごめんね、ごめんね」
小宮は何度も謝罪する。
「大丈夫だから。大丈夫だから……」
「ごめんね、ごめんね」
小宮はただひたすらに、頭を下げる。
「あの頃は私もまだ子供だったから、めーちゃんの名前の意味なんて何も知らなくて、皆が馬鹿にしてるから私もめーちゃんのこと避けるようになって」
幼少期、鈴木と小宮はずっと二人で遊んでいた。
竹馬の友のごとく中を深めた二人は、鈴木の名前が普通でないことを切っ掛けに、疎遠になっていった。
周りの人が鈴木を馬鹿にするから。
周りの人が鈴木から距離を取るから。
親が鈴木と距離を取るように勧めたから。
小宮は周囲からの目もあり、鈴木と付き合うのを止めた。
「名前なんて自分でつけたものじゃないのにね。めーちゃんのお母さんお父さんも変な人だから近づかないようにしなさい、ってお母さんに言われて」
鈴木家は母親、父親共に指定の日以外にゴミを出す、観覧版を回さない、通路に荷物を日常的に置いている、などの細かな挙措が問題となり、周囲の住民から煙たがられていた。
気品のあふれる家に住まう小宮家は、新しい物を取り入れない。
少数の選択をする人間から距離を取る、極めて一般的な慣習を持っていた。
公道で奇声を発する人間に近づくな。
電車の中で一人で呟いている人間と関わるな。
奇抜な服をした人間と関わるな。
そんな、普遍的で、一般的な、ありふれた、ルール。
当たり前に大多数の人間が学んでいる、常識。
変な名前の子供とは関わるな。
変な親と関わり合いになりたくない。
子供のネットワークが親のネットワークにも伝染することを、恐れた。
そして事実、鈴木の親は変わり物として周囲から孤立していた。
「めーちゃんが悪いわけじゃないのに、めーちゃんのせいじゃないのに、皆に言われて……ううん、お母さんにもお父さんにも、周りの空気にも、私は耐えられなかった……」
小宮はバツの悪い顔をする。
「奈々ちゃんのせいじゃないよ、奈々ちゃんのせいじゃないよ」
鈴木は小宮の背中を撫でる。
「あの時めーちゃんが一番つらかったのに。めーちゃんの近くにいれたのは私だけだったのに、私がいなくなったから、めーちゃんは孤立しちゃって……」
小宮は溜めていたものを吐き出すかのように、言う。
「私がめーちゃんから距離を取ったせいで、めーちゃんは一人ぼっちになって、学校にも来なくなって、全部私が悪いのに、めーちゃんは引っ越しもすることになって、私どうしたらいいか分からなくて、いっそのこと全部なくなってめーちゃんもどこか遠くに行ってくれたら良いなんて思ったこともあって、私どうしたら良いか分からなくて――」
息を、切らす。
「最低だ……」
小宮は手で顔を隠す。
「怒ってないよ、怒ってないよ」
鈴木は小宮を包む。
「大丈夫だよ、怒ってないから」
「私のこと、今でも友達だって、思ってくれてる?」
小宮が涙目で鈴木に尋ねる。
「思ってるよ、思ってるよ」
「ごめんね、ごめんね。私がめーちゃんをこんな風にしたんだ。ごめんね、ごめんね、ごめんね」
「違うよ。奈々ちゃんのせいじゃないよ。私の……全部私が悪いから」
「ごめんね、こんなにめーちゃんのこと追い詰めちゃって……。ごめんね……」
小宮は顔を覆い、さめざめと泣く。
「私たち、友達だよね?」
鈴木が聞く。
「今までも、これからも友達なんだよね?」
鈴木が、聞く。
「うん、うん……」
小宮が涙をこぼしながら頷く。
「友達だよ、私たちは友達だよ。ごめんね、高校生になるまでめーちゃんに話しかけられなかったこんな私を許して……」
「大丈夫だよ、大丈夫」
小宮と鈴木は二人抱き合った。
「……」
赤石は本を閉じた。
「あの二人って……」
「元々子供のころから、この公園で楽しそうに遊んでたんだよ。鈴木の名前がおかしい、親が変わり者、ってことが広まってから小宮が鈴木を避けるようになって、鈴木は孤立した。親の都合は子供の都合ってことだな」
赤石と船頭は公園から出た。
「分別のつかない、名前なんて、親なんて関係のない子供時代だからこそ仲良くなれた。でも、分別がつくようになって、社会に染まるようになって、小宮は鈴木と離れるようになった。小宮の家は上流階級の一角。自分たちの子供が、風変わりな親の子とつるむことを快くは思わなかった。社会的な立場が、二人を引き離したんだよ」
「それって……」
すごく、可哀想。
だけど、分かる。
「鈴木は確認したかったんじゃないかな。今でも小宮は自分のことを友達だと思ってくれているのか。自分は名前のせいで小宮にも嫌われてしまったのか。引っ越すからこそ、知りたかった。幼少期のころ、毎日のようにここで遊んでたあの友達が、今も友達のままなのか。鈴木にとってたった一人、かけがえのない親友だった小宮が、まだ自分のことを思ってくれているのか」
「……」
「鈴木も自分の親が浮いてることを自覚してたんだろうな。社会的な立場が違うから。生きてきた環境が違うから。友愛ってものは、そんな環境に大きく振り回されるし、それを超えた友愛は、より強固なものになる……のかもな」
「悠人とデートしたいとかじゃなかったんだ……」
「俺を踏み台にして、小宮に手を伸ばしたかったんだろうな。公園の近くに住んでるから、小宮の家まで声が聞こえることを期待してたんだろ。薄い関係の俺に話しかけて、自分の声が小宮に届いてほしかった。そしてあわよくば、小宮が公園に来てくれて、自分に接触してくれると、信じたかった」
「そうなんだ……」
船頭は後ろを振り返る。
「良かったね、女神ちゃん」
「……そうだな」
日の当たるベンチで、赤石は一人本を読んでいた。
車が道路を通る音が、妙に耳に心地良い。
赤石は本を片手に、船を漕ぐ。
「もしも~し」
「……」
声をかけられた赤石は、静かに覚醒する。
「空いてますか~?」
「どうぞ」
「これはどうも」
鈴木が赤石の隣に座る。
「赤石君、ありがとうね。おかげで奈々ちゃんとお話が出来たの」
「良かったな」
「全部赤石君のおかげだよ。赤石君がいなかったら私は今頃……」
「違うね。勝手に首を突っ込んで自分のおかげだ、自分がやってやった、自分がいたから、そんなことを言うような輩には鉄槌だ。誰かがいたから解決したわけじゃない。自分が誰かを変えて見せたなんて思うのは傲慢だね」
「私の……力?」
「ほんの少しの後押しがあっただけで、あとは鈴木の力だよ」
「これが……チカラ?」
「はい」
赤石は本を再び読む。
「あと、私まだ引越ししないことにした」
「……」
赤石が息を飲む。
「そうか」
「もうちょっと、自分の名前と、お母さんお父さんと、話し合ってみようって、思うの。大学に入ってからでも遅くないよね? 私、大学に出たらちゃんと自立しようと思う」
「……そうか」
「大学も奈々ちゃんと同じ所目指してるんだ」
「頑張れ」
鈴木は楽しげに言う。
「これから勉強三昧だなぁ~」
鈴木は伸びをした。
「今から奈々ちゃんと買い物行くんだ」
「そうか」
小宮家から、お洒落をした少女が現れる。
小宮が鈴木に手を振る。
「奈々ちゃん!」
「めーちゃん!」
小宮と鈴木が近寄り、両手を合わせる。
楽しそうに、話をする。
「……」
赤石は本を閉じ、公園の出口へと向かった。
「どこ行くの? 赤石も行くんだよ!」
「……」
赤石は目を丸くする。
「行こ、赤石?」
「……分かった」
赤石たちは買い物へと、出かけた。




