第321話 不登校はお好きですか?
ゴールデンウィークを少し先に控えたある日――
「……」
コロコロ、と野球ボールを弄んでいる少女が、公園にいた。
「……」
グローブを持ち、壁にボールを当てながら時間を潰す。
そしてその少女を見守るようにして、ベンチに一人の男が座っていた。
男は本を読み、少女を気にかけることなく、ぺらぺらとページをめくる。
少女は男に幾分かの視線を向けながらも、野球ボールを壁に当て続けていた。
「……」
「……」
トン、トン、トントントン、と子気味の良い音が公園に響く。
「……」
少女は男から一定の距離を保ちながらも、壁当てを続けていた。
ボールを投げ、壁に当て、跳ね返ったボールをキャッチする。
ボールを投げ、壁に当て、跳ね返ったボールをキャッチする。
一人ぼっちのキャッチボールに満足をしたのか、少女は公園を出た。
男はそのまま、ページをめくっていた。
後日――
同様にして、少女は壁当てをしていた。
壁にボールを当て、跳ね返ったボールをキャッチする。
色白で、体に不相応な大きめのサイズのスウェットを着用し、乱れた長髪と切れ長の目をした少女は、グローブを揉んでいた。
少女は再び壁当てを始めた。
今日も男は、ベンチで本を読んでいる。
コンコン、コロコロ。
コンコン、コロロロ。
跳ね返ったボールが少女の手元へ、吸い込まれるようにして戻る。
男は少女の挙措に興味を示さず、ゆっくりとページをめくっていた。
既に半分以上を、読み終えていた。
壁にボールを当てた少女は、ちら、と男の方を見た。
壁にボールを当てる。
コンコン、コロロロ。
跳ね返ったボールは少女の手元まで戻らず、男の足元まで転がって行った。
「あ」
少女はあらぬ方向へと転がって行ったボールを取りに、小走りで追いかけた。
男は足元まで転がって来たボールを拾った。
「ボール……」
男はボールを拾い上げる。
そして少女に、投げてよこした。
「……ありがとう」
少女は礼を言うと、再び壁当てに戻った。
コンコン、コロロ。
コンコン、、コロロ。
少女はその日の壁当てを終え、公園から去った。
そして翌日――
少女はいつもよりも早くに公園に来て、ベンチに座っていた。
男が本を読んでいたベンチに、座っていた。
ほどなくして、男が公園へとやって来る。
少女に気が付いた男は少女を一瞥すると、別の場所へと足を向けた。
ベンチから去り、隣にあるブランコに座った。ブランコに座りながら、本を読み始めた。
ベンチに来るものと思っていた少女は少し面食らう。
少女はベンチから立ち上がり、男の方へと向かった。
男は少女を気にかけず、やはり本を読む。
「あの」
男の下まで向かった少女は、男に声をかけた。
「あの」
よく見れば、男の耳にはイヤホンが付いていた。
少女は少し声を大きくして、男に話しかける。少女に気が付いた男は、少女を見た。
「赤石……?」
「……」
赤石はイヤホンを、外した。
「……誰ですか?」
赤石は困惑した表情で少女を見る。
「鈴木」
「車メーカーの」
「ヒューマンの」
鈴木は赤石の隣のブランコに座った。
「私のこと、覚えてる?」
「全く」
「ヒドいな~」
鈴木はきょろきょろと辺りを見渡した。
「同中同クラの」
「……あぁ」
赤石は納得したようにうなずいた。
「女神様か」
「止めてよ、その呼び方……」
鈴木は赤石から視線を外した。
髪の内側を緑と金で染めた鈴木は、ゆっくりと顔を上げた。
「誰かと思ったよ」
「同級生の顔忘れないでよ」
「ほとんど見たことなかったからな」
赤石は鈴木の顔をじっくりと見る。
「不登校だったからな、お前」
「……」
鈴木は視線を落とした。
「そんな顔してたんだな。初めて知ったよ」
「ほとんど学校行かなかったからね……」
鈴木はきぃきぃとブランコを揺らし始めた。
「中学の頃は髪も黒だった気がするからな」
「化粧も髪染めるのも禁止されてたからね、中学じゃ」
鈴木は髪を持ち上げながら、言う。
「久しぶり、赤石」
「……あぁ」
鈴木は赤石を見た。
「最も、お前の顔を見たのも一年で二回くらいだったと思うけどな」
「そんくらいだったかもね、学校行ったのは」
くすくす、と鈴木は笑う。
「高校に入って少し自由になって、髪を染めるのも化粧もオッケーになったわけだ」
「…………うん」
妙な間が、空く。
「……」
「……」
「もしかして、高校にも行ってないのか?」
「……うん」
鈴木は、中学高校と、続けて不登校となっていた。
「引きこもり少女だな」
「ちょっとはオブラートに包んでよ」
「マイペースな主人公だな」
「包み方が独特だね」
鈴木は笑う。
「赤石もいじめられてたよね」
「まぁ人並みには」
「人並み以上だったよ」
数回と行った中学校の中でも、鈴木の脳裏に焼き付いているのは、赤石の不遇な学校生活だった。
そして鈴木と赤石の境遇が似ていることからも、二人は多少顔を見知っていた。
「だれだっけ、あれ。高梨さん? がなんとかしたとかしなかったとか」
「まぁ、そんなところだな」
「ふ~ん」
鈴木はブランコをこぐ。
「赤石は高校で上手くやってるの?」
「全然」
赤石は本を閉じた。
「高校でも?」
「三つ子の魂なんとやらってやつだな」
「あはは」
鈴木は困り顔をする。
「私たち、似てるね」
「ある意味ではそうかも、な」
赤石もブランコをこぎ始めた。
「お、勝負する?」
「不登校女子高生が登校中男子高生に勝てるわけないだろ」
「私中学の頃は野球少女だったから、不登校元野球部女子高生だよ」
「じゃあ負けるかもな」
赤石と鈴木は二人でブランコをこぎ始めた。
「でも、いい年した高校生が公園でブランコに座ってたら、子供たちがこげなくて困るかな」
「今の時代、公園なんて遊具もなけりゃ、ボール遊びも禁止されてるよ。公園で出来ることなんて散歩か井戸端会議くらいだ。子供なんてどこにもいやしないよ」
見れば、公園には赤石と鈴木しかいなかった。
「私たちの学校生活みたいだね」
「だな」
赤石はブランコから飛び降りた。
「で、どうしたんだ、急に」
鈴木もブランコを飛び降りた。
「別に。たまたま見かけたから声かけただけ」
鈴木は赤石を覗き込む。
「元気そうだな」
「元気じゃないよ、全然。高校もまともに行ってないし。全然元気じゃないよ……」
鈴木は手元のグローブを見る。
「女神様、か」
「……そだね」
鈴木は伏し目がちに答えた。
鈴木女神は、悲しげに、笑った。




