第320話 平田朋美はお好きですか? 3
「八谷」
「……」
別棟の教室から帰って来た平田は、八谷を呼んだ。
「話あんだけど」
平田が顎で上を指す。
「何あれ……」
「カツアゲじゃない?」
「大丈夫、八谷さん?」
「あの二人も昔何かあったらしいよ」
「ヤバくない?」
平田と八谷に注目が向く。
八谷はガタ、と椅子を引いた。
「上」
平田の言葉に従い、八谷は教室の扉を開けた。
ガラガラ、と開けた先に赤石がいた。
「……」
「ごめん……」
平田から遅れて帰って来た赤石は、運悪く八谷とバッティングした。だが、八谷の顔を見ると、何も言えなかった。
赤石は自席に着席する。
「あいつは行かないわけ?」
「なんで?」
教室内の生徒から疑問の声が上がる。
またややこしいことになっているな、と赤石は平田の背中を見やった。
「ここ」
平田が屋上前の扉に来た。
平田が扉に手をかける。
「……あれ?」
ガチャガチャ、と扉をひねるが、動かない。
「は? なんで動かないわけ? 前まで開いてたのに……」
「そこ、もう開かないわよ」
八谷が生気のない目で言う。
「なんであんたがそんなこと知ってるわけ? 何? 学校の管理者か何か?」
「別に理由は知らないわよ。開かなくなったことだけ、知ってる」
「……あっそ」
屋上に興味を失った平田は方向転換をする。
「ついてきて」
「……」
八谷は平田の後を追った。
先ほどまで赤石と昼食を共にしていた別棟の空き教室へとやって来た。
「座って」
「……」
八谷は適当な場所に座る。
平田は八谷の隣に、座った。
「ねえ」
「……?」
「私のこと、どう思ってるわけ?」
「……」
八谷は視線をきょろきょろと動かす。
「別にリンチしようってわけじゃないから」
「……」
一度目を伏した後、八谷は
「別に……」
小声でそう言った。
「別にって何? 何も思ってないわけ? 何かしら思ってて当たり前だと思うんだけど」
「……何もないわ」
八谷はぽつりぽつりと、言う。
「はぁ? 何もないわけないでしょ? あんた、私があんたに何したかもう忘れたわけ?」
「忘れてなんて……ないわよ」
八谷は苦虫を噛み潰したような表情をする。
「あんた、自分が誰に何されたかもわからずに生きてるわけ⁉ 呆れた……。本当呆れた。今までも、そしてこれからも、あんたはずっと、誰かに何をされてもすぐに忘れて、そうやってのうのうと生きていくわけ?」
「うるさい!」
突如として大声をあげた八谷に、平田はびく、と肩をそびやかす。
「ご、ごめん……」
八谷はすぐに謝った。
「恫喝して謝るって何? 私の前の彼氏もこんなだったんだけど」
「そんなんじゃないから……」
八谷は伏し目がちに言う。
「っていうかあんた最近その性格何なわけ? 二年の前半はあんなに人のこと馬鹿にして、せせら笑って、嘲笑して、見下して、そうやって私たちのことも嫌ってたくせに、何今さらになって可愛い子ちゃんぶってるわけ? マジ意味わかんないんだけど。何? 人を馬鹿にするより、かわい子ぶる方が男ウケ良いとか思ってそんなことしちゃってるわけ? 本当あんた、最初からさいごまでずっとキモい」
「……そんなんじゃ、ないわよ」
八谷は眉間に皺を寄せる。
「でも、私は、悪い子だから……。人に迷惑かけて、ずっと自分の好きなようにやってきて、人のことを考えもせずに、ずっとわがまま放題にしてきたから……。気付いたの。私は馬鹿だったって。気付いたの。私は悪い子だった、って。気付いたの。私は、何の価値もない人間なんだ、って……」
「~~~~」
平田は目を白黒とさせる。
「だから、私は何をされても文句言えないのよ……。私が悪い子だから。私がダメな子だから。私が嫌な子だから。私が最低だから。誰に何をされたって何も文句言えないのよ……。全部、全部私が悪いんだから……」
「~~~~」
平田は髪をむしゃくしゃとかき散らした。
「あ~~~~、もう!」
平田は座っていた椅子を蹴り飛ばし、八谷の胸ぐらを掴んだ。
「あんた、一体何様のつもり? さっきから聞いてたらぶうたれて自分が悪い子だダメな子だ、いい加減にしろよ! ぐちぐちぐちぐち気持ち悪い! お前はいつからそんな卑屈な女になったわけ⁉」
平田は八谷の胸ぐらを掴み、言う。
「あなたには分からないわよ。どうせ、私が何をしたかも何も知らないんでしょ。もう放っといてよ」
「うっさい!」
平田は叫ぶ。
「ぐちぐちぐちぐち気持ち悪ぃんだよ! 自分がどんな人間だったとしても、それが自分をぞんざいに扱う理由にはならないでしょうが! 何なわけ? 自分は悪い子だから何をされても仕方ない。そんなわけないでしょ! 例えどんな事実に気付いたって、自分がされたことはちゃんと覚えとくべきでしょ! なんでそうやって生きる活力すら失ってるわけ⁉ 自分がやられたことはちゃんと覚えてろよ! 自分がやられたことの責任くらい、他人に求めてもいいでしょうが!」
「……?」
八谷は平田の言葉の意味が分からず、困惑の表情を見せる。
「あんたに一体何があったのか知らないけど、昔のあんたじゃないからって関係ないから。良い子になったって、卑屈になったって、あんたがしたことは何も変わらないし、私がしたことも何も変わらない」
平田は八谷の胸ぐらから手を離した。
「……」
平田は八谷を見る。
「はぁ……」
そして大きなため息をついた。
「だから、私は私が昔したことの責任をちゃんと取ろうと思った。あんたみたいに自分が悪かった、だなんてぐちぐち卑屈になったりしない」
平田は八谷に、頭を下げた。
「ごめんなさい。あの時は、私が悪かった。あんたの性格がどうしても気に入らなくて。見下されてるみたいで。嗤われてるみたいで。すごく腹が立った。あんたがすごく嫌いだった。でも、そんな自分も、ずっとみっともなかった。自分を変えようともせずに、自分に矛先が向かないからって、あんたのことをずっといじめてた」
平田は頭を下げたまま、言う。
「でも、こうやって自分に矛先が向かってきて、やっと気付いた。近くにいる皆に教えてもらって、ちょっとは自分を見つめ直してみようと思った。私は私を変えられないし、これからも変えようとは思わない。これからも嫌な女には嫌がらせだってするかもしれないし、キモい男には陰口を叩くと思う。でも、私は、自分がしたことの責任は、自分で取ろうと思った」
平田は顔を上げた。
「八谷、ごめんなさい。私、ずっとあなたに謝りたかった。あんなことして、ごめんなさい。もしかしたらあなたがこうなったのも、私のせいかもしれない。ごめんなさい。本当に。謝ってもあなたの心が返って来ることはないと思うけど、でも、どうか、こんなどうしようもない私を、許して欲しい」
平田は再び、八谷に頭を下げた。
深く。深く。深く。
「…………」
八谷は驚いた表情で平田を見る。
「もしあなたがそれでも満足できなかったら、私は出来る限り償いたいと思う。蹴ってもらっても、殴ってもらってもいい。もう私はこれ以上落ちるところはないから。学校であらぬ噂を広めてもいいし、教室に帰ってから私のことを悪く言っても、陰口を叩いても良い。私は私のしたことの責任を取るから」
「……」
平田は再び、顔を上げ、八谷の目を見た。
「もし良かったら、私のことを許してほしい。そして」
一拍。
「もしよかったら、これからでも、私と、友達になって欲しい」
「…………」
平田は八谷に手を差し出した。
「……」
八谷は迷っているかのように、辺りを見渡す。
「別に動画撮ってるわけでもドッキリしてるわけでもないから。本心。私の」
「…………」
八谷は声を発さない。
「今じゃなくてもいい。でも、もしあなたの心が落ち着いたら、ちょっとでも考えて欲しい」
平田は手を戻そうとした。
が。
引っ込めている平田の手を、八谷は取った。
「私もすぐにあなたのことを好きにはなれない。友達にもなれない。でも、少しだけ様子を見ようと、思う」
次は、平田が驚く番だった。
「ありがとう、八谷」
平田は過去を、清算した。




