第317話 平田と花波はお好きですか?
ゴールデンウィークが終わり、学校が再び始まった。
ガラガラガラ、と扉が開かれる。
「え……」
「来たんだ……」
平田朋美その人が、そこにいた。
久しぶりの登校に、生徒たちから視線が注がれる。
「お、おはよう」
平田は取り巻きに挨拶をされる。
「……」
一瞥をした後、
「ん」
一言そう言い、荷物を机に置いた。
噂を流した相手が誰なのかは知っている。誰が広めたかも知っている。
白けるな、とそのまま黙殺した。
「……これ」
平田が赤石の下までやって来た。
「……?」
赤石は肩を叩かれ、振り向いた。
平田を見た赤石は眉を顰める。
「何その顔」
平田は赤石がつけているイヤホンを取った。
赤石は地理の学習のため、ティックチューブで時事解説を見ていた。
経済と時事には大きな関係があり、経済や資源の問題で国家間の問題になっているケースも多くあるな、と赤石は学んでいた。
「なにこれ」
平田はイヤホンをつけ、音声を聞く。
「時事解説。何の用」
赤石は平田からイヤホンを取り返した。
「前にお前がウチに来た時落としていったの」
平田は赤石に百三十円を渡した。
「落としてない」
「お金に名前でも書いてるわけ? 落としたかどうかなんて分かるわけないじゃん」
ウケる、と平田は手を叩く。
平田が赤石と喋っている状況に、元々同じクラスだった生徒たちが驚き、目を見開く。
「え、何、ゴールデンウィークに会ってたってこと?」
「あいつら仲悪いんじゃなかったの?」
「なんか滅茶苦茶赤石がキレた、みたいなこと聞いたことあるけど」
「援助交際か何かなんじゃない?」
赤石と平田は好きなように言われる。
赤石は気にせず、話を続けた。
「家計簿つけてんだよ。俺の金は五年以上、一円たりとて差異が出たことがない」
「貧乏人すぎじゃね」
平田は百三十円をポケットにしまった。
「で、何の用だよ。そんな会話の取っ掛かり無理矢理探し出してきて」
目論見がバレた平田は顔を赤くする。
「お前……」
赤石は平田の目を覗き込んだ。
赤く腫れ、少し張っていた。
「泣いたのか?」
ゴールデンウィークで平田に何があったのか、赤石はおよそ理解した。
「お前、本当デリカシーない」
「……確かに」
余計なことを言ったな、と反省した。
議論をするときに相手の言葉尻を捉えたり、揚げ足を取ったりするのは不健全である、と赤石は考えている。
相手に対面しているのではなく、いかにして相手を貶めてやろうかという薄汚い試みに思えて赤石は倦んでいた。
「茶化すようなことを言ったな。悪い」
「ま、別にいいけど」
平田は口元に手を当て、赤石から視線を外しながら話す。
「あのあとお母さんと話した。お母さんにあんなに言われたの初めてだったし、今まで私お母さんと向き合えてなかったから、良い機会になった。ありがとう」
平田はぺこり、と会釈した。
「そうか。良かったな」
赤石は平田から視線を外した。
再びイヤホンをつける。
「話聞けよ」
「聞いただろ」
平田が赤石のイヤホンを取る。
「だから、ありがとう、って……」
「分かったよ」
赤石は困り顔で対応する。
「でもお母さんが私のためって言って暴走するのも正直うんざりしてたから……」
「そうだな」
平田の母は、平田のために死力を尽くす母親だった。そしてその力の使い方が、結果的に平田を苦しめることになり、他者からの排斥の原因にもなっていると赤石は踏んでいた。
「モンペっぽかったもんな」
「ちょっと、止めてくれない、こんなところで」
平田は赤石の肩を殴る。
「まあ、あれもお前を思ってのことだろ。これから会話を続けて、関係性を良くしていけばいいんじゃないか。折角天から言葉をもらったんだから、力に頼らずに、ちゃんと会話して、対話して、お互いに理解を深めていけばいいんじゃないか。お前にとっても、たった一人の母親だしな」
「ま、コミュニケーション不足だった面は否めないかな」
平田は髪の毛をくるくると遊ばせる。
「何の話してるんですの?」
赤石を挟んで平田の対面側に、花波がやって来た。
花波は赤石の席に来ると同時に、もう片方につけていた赤石のイヤホンを奪い取った。
「耳が痛い」
「あなたはそうやって他人のことばかり見下してるから誰とも仲良くなれないんですのよ。まずは他人を認めて、自分のことを開示しないといけないんじゃないんですの? そうやってうずくまってても、誰もあなたのことを分かってなんてくれないと思いますわ」
「メンタル的な耳の痛さじゃなくて。というかお前が言うなよ」
花波は赤石を見下げる。
「は、誰?」
平田は顔をしかめる。
赤石は右のイヤホンを平田に、左のイヤホンを花波に奪われた。
「二年の時同じクラスだったろ。花波、金持ちお嬢様」
「ごきげんよう」
花波はスカートの端をつまみ、片足を斜め後ろに引き、膝を軽く曲げた。
「西洋風な挨拶じゃなくて」
「は? 知らないから。途中で転校してきたやつ?」
平田は喧嘩腰で言う。
「ばっちり知ってんじゃねぇか」
「私こそあなたみたいな女は知りませんわ。あなた、随分と赤石さんに言いこまれてたんじゃありませんくて?」
「お前も知ってんじゃねぇか」
平田と花波は赤石の上でにらみ合う。
「よくもあれだけ赤石さんに言われて今さら赤石さんに話しかけるつもりになりましたわね」
「は? お前だって赤石がぶちぎれてから距離取ってだろうが。今さらしゃしゃんなよ、ガキ」
「私はちゃんと話してましたわ。そう約束しましたから」
ね、赤石さん、と花波は赤石の顔を覗き込む。
「はい」
赤石は会釈した。
「これで満足ですの? あなた、よくあれだけ言われて臆面もせずにまた赤石さんに話しかけられましたわね?」
「は? そもそも私はこいつが言ったこと許したわけじゃないから。何もしてないのに一方的にキレてきて、何なわけ? 誰かこいつのこと許したとか言った? なに勝手に誤解してるわけ? きっも。櫻井の太鼓持ちは黙っとけよ」
「あなたこそ周りに良いように言われて浮かれてもてあそばれてたんでしょう? 何を自分は違うかのような顔をして自慢しているわけですか? そして私も別に赤石さんがやったことを許したわけでもありませんから。ただそう約束したからここにいるだけです」
赤石はカバンから模擬試験の時にリスニングテストでもらった安物のイヤホンを取り出し、スマホにつなぎ、時事解説を再び聞き始めた。
「ならなんで今さらになって突然話しかけに来たわけ? 許してないのに話す? 意味わかんないんだけど」
「あなたが赤石さんのことが嫌いなのに話しに来たのは一体どういう了見ですの? あなたこそ自分の言ってることが矛盾してることに気が付いていませんの? 浅ましいですわね」
「私は前うちに呼んだからその時の話してるだけなんですけど」
「嫌いなのに家に呼んだとか意味が分からないのですけど。頭大丈夫ですの?」
「私が呼んだわけじゃないから。勝手に来ただけだから」
「赤石さんがあなたみたいな女の家にのこのこと行くわけがありませんわ。そんな見え見えの嘘吐かれても面白くないんですけれど」
「それは色々と事情があっただけだから」
「一体何の事情があったら赤石さんがあなたの家に行くことになるんですの? そもそもあなたずっと学校休んでたはずですわよね? なんで赤石さんと親交を深めようとしてますの? 意味分からないんですけれど。次は赤石さんが消費の標的ですか?」
「お前の方が意味分からないから。なぁ⁉」
平田は新たにつけられた赤石のイヤホンを奪い取る。
「どっちが悪いんですの!?」
花波は残っている赤石のイヤホンを奪い取る。
「……どっちも」
赤石は後方を振り返った。
クラスメイトが赤石たちを見て、唖然と口を開いていた。
『そして争いが終わった国の王様はこう言いました』
花波と平田もつられて赤石の視線の先を見る。
『あの国の海底の燃料資源、うちのものにならないかなぁ』
時事解説の音声が、教室に小さく響いていた。




