第313話 平田家はお好きですか? 6
赤石は平田の部屋から出て、リビングへと降りてきた。
「あ、悠人くん」
洋子がクッキーと紅茶を用意して赤石を待っていた。
「朋美は……」
「すみません」
赤石は頭を下げた。
「僕の力ではどうにもなりませんでした。力不足でした」
赤石はぺこりと頭を下げると、玄関へと歩き出した。
「紅茶でも飲みませんか?」
「……いただきます」
赤石は机についた。
「朋美はやっぱり学校には行かない、と?」
「はい。言葉を尽くしましたが駄目でした」
赤石は紅茶を飲む。
「そうですか……」
洋子は残念そうにうつむいた。
「……」
「……」
「……」
無言の時間が続く。
「あの」
洋子が口を開いた。
「良かったら、これからも来てくれませんか? 朋美と友達には、なってくれませんか?」
洋子はおずおずと聞く。
赤石は紅茶を置いた。
「最初も言いましたが、僕は朋美さんが嫌いですし苦手です。何か少しでも粗相をしたらすぐに責められて除け者にされて、自分の言うことを聞くまで輪に入れない、といったことをされると僕もかなり精神を削られそうです」
「そうですか……」
「これはとても失礼なことなんですけど」
「はい?」
洋子は小首を傾げた。
「失礼ですけど、お母さんにも問題の発端があるんじゃないかと思います」
「……え?」
赤石は剣呑な目で、洋子を見た。
「端から見ればお母さんはすごい善人で子供思いの良いお母さんに見えます」
「そんなそんな……」
洋子は頭をかく。
「でも、実態はそんなこともないのかな、と思いました」
「…………」
洋子はじっと聞く。
「愛が暴走してるな、と思いました」
「…………」
洋子はじっと見る。
「朋美さんを駄目にしているのは、お母さんの影響もかなり大きいと思います」
「……それは」
洋子が口を挟む。
「それは一体」
洋子はキッチンへと向かった。
「包丁とか出されると僕はすぐに逃げますよ」
「そんなつもりじゃ……」
洋子は誤解されたくない、と赤石の下に戻って来た。
「クッキーが少なくなったから」
「……じゃあお願いします」
赤石は洋子の様子を慎重に見守り、何かあればすぐに逃げられるように、逃げるための動線を作る。
だが赤石の思いとは相反して、洋子はクッキーを持ってそのまま帰って来た。
「一体私の、何が駄目なんですか?」
洋子は怒り半分、不安半分といった表情で赤石を見る。
「これから、僕がお母さんに一方的に言います。別にそれをどうとらえてもらっても構いませんが、これは僕の悪意ではなく善意から来る言葉と言うことを念頭に置いてもらえれば嬉しいです。自分勝手なことを言ってますが」
「……はい」
「お母さんのために、と言う気もないですが、嫌になったなら席を外してください。僕はそこで帰ります」
「……分かりました」
赤石と洋子はお互いに着座した。
「僕の中では、相手に対して厳しいことを言うことが出来る人間こそが本当の善人だと思ってます」
「……」
洋子は頷く。
「例えば、気に入らない相手がいたら、普通その人とはもう関わらないようにしよう、と思うはずです」
赤石は一本指を立てる。
「友達が他人に迷惑をかける所を見た。嫌になったからもう関わらないようにしよう。普通はそうすると思います。何かを言えば自分が嫌われて被害を受ける可能性があるから」
赤石は指を下ろす。
「でも自分が嫌われて、被害を受けたとしても相手に問題点を突き付ける方が、僕は愛があると思います。その子は誰かに指摘されるまで、自分の間違いに一生気が付かないまま間違いを重ね続けることになります。自分の周りから人が消えている理由が分からないまま、苦しみ続けることになると思います。それが今の朋美さんです」
「……」
「たとえ自分が嫌われたとしても、それで相手が少しでも良い方向に変わってくれるならそれで良いとすら、僕は思います」
「……」
「相手の言うことを全て肯定して、相手が欲している言葉を与えて、そうやって阿諛追従するのは相手のためにもならないですし、自分のためにもきっとなりません。僕は自分が嫌われるのを怖がって、間違ったことを言うのが苦手です。でも決してお母さんを貶めようだとか嫌がらせをしようという意図がないことだけは理解してもらえると嬉しいです」
「分かりました」
洋子はぎゅっとこぶしを握り締める。
「お母さんは、朋美さんを甘やかしすぎだと思います」
「甘やかし……すぎ?」
洋子は小首をかしげる。
「今までお母さんは朋美さんに対して怒ったことはありますか? それは間違ってる、と意見したことはありますか? 例えどんな間違ったことをしても、朋美さんの言うことを全部肯定して来たんじゃないですか?」
「……」
思い当たる所は、あった。
「そういうお母さんの態度が、朋美さんを増長させたんじゃないかと思います」
赤石は二階を指さす。
「二世とかって、結構な割合でわがままで増長するような傾向があると思うんです。大きな功績を残した人の子供がわがままな問題児なんて例をよく見かけますけど、変ですよね。そんなすごい人の子供がダメ人間だなんて。王様の子供がわがままで自分勝手で国民のことを思いやらない、なんてこともよく聞きますけど、それは誰も王様の子供を叱る人がいなかったからなんじゃないですかね」
赤石は紅茶に手を付ける。
「僕の持論ですけど、人間っていうのは誰かに怒られて、叱られて、悲しんで、泣いて、喚いて、騒いで、嗤われて、卑下して、反省して、苦しんで、そういう感情を積み重ねていくことで成長していくと思うんです。人間の心っていうのはそういうネガティブな、負の感情を積み重ねていくことで成長していくと思うんです。叩かれることで心が成長して、育っていくと思うんです。でもお母さんは、朋美さんの言うこと全てを肯定して、ただただ可愛がり続けた」
洋子は肯定する。
「そうやって朋美さんを甘やかし続けたから、朋美さんは今みたいにわがままで、自分の言うことが聞き入れられなかったらすぐに癇癪を起こして、自分の言うことを聞かない他者を排斥するようになったんじゃないですかね」
「朋美……」
洋子は天を仰いだ。
「朋美さんは好きですか?」
「もちろんです」
「だったら」
赤石は洋子の目をじっと見る。
「娘さんを叱ってください」
「……」
「怒ってください。泣いてください。悲しんでください。悪いことをしたときはちゃんと叱ってください。間違ったことをしたときはちゃんと指摘してあげてください。そうしないと朋美さんはこれからもいつまでも、ずっと、自分の思い通りにならないことに癇癪を上げ続けて、自分の思い通りにならない人間を排斥し続けると思います。結局、最終的に朋美さんがたどり着くのは、一人ぼっちで誰もそばにいない孤独だと思います」
「……」
洋子は身じろぎ一つせず赤石の話を聞く。
「もちろん、子供がのびのび生活できないような恐怖を与えて育てるのは違います。でも、間違ってる時にはちゃんと間違ってると言わないといけないと思います。悪いことをしたらちゃんと謝るようにさせる。それが普通だと思うんです。今の朋美さんには、それが出来ない」
「……」
赤石はふ、と外を見た。
「嫌な言い方しますね」
「……はい」
赤石は視線を戻す。
「お母さんが本当に愛しているのは、朋美さんですか? それとも自分自身ですか?」
「そんな……朋美に決まってます!」
洋子は机をダン、と叩いた。
「朋美さんを否定することで自分が朋美さんに嫌われてしまうとは思いませんでしたか? 自分が朋美さんに嫌われることを怖がりませんでしたか? 僕は、本当に朋美さんのことを思うなら、もし自分が嫌われたとしても、朋美さんをきちんと叱るべきだと思います。例えそれで朋美さんとの仲が悪くなったとしても、お母さんは朋美さんを叱るべきだったんじゃないかと、思います」
「……」
赤石は立ち上がった。
「ま、あくまで僕の持論ですけどね」
紅茶カップをキッチンへと戻しに行く。
食器を洗いに行った。
「それに、お母さんのやり方も手段を選んでいないところが非常に悪質だと思います」
赤石はカップを洗いながら言う。
「先生から聞きましたけど、お母さん、僕がプリントを届けるように迫ったらしいですね」
「それは……朋美が心配で……」
おろおろとしながら洋子が言う。
「娘さんが心配だから僕に来て欲しかったんですか? じゃあなんで先生にそんなこと言ったんですか? 直接僕の母親に言えば良いですよね」
「それは……」
きっと、怖かったんだろう。
母親に嫌われるのが。
赤石は洗ったカップを置き、蛇口から水を止め、洋子の下へと歩み寄った。
「お母さん。悪質な力を行使すると、自分の身の回りにも悪影響が及びますよ」
「……」
赤石は再び着座した。
「力っていうのは、人を脅して自分の言うことを聞かせるためにあるもんじゃないです。権力、圧力、暴力、そういう力は、人を脅して自分の思う通りにさせるためにあるもんじゃないです。力を持っている人間は、自分の持っている力に対して自覚的にならないといけない」
洋子も着座する。
「お母さんは自分が生徒の母親である、という力を行使して、無理矢理学校へ指示した。きっと今までもそうやって力を振るってきたんじゃないですか?」
「それは……」
洋子は立ち上がって抗弁しようとしたが、やはり座った。
「力は行使するものじゃなくて、守るものです。力を持っている人間がその力を悪用してどうするんですか。お母さん自身は、そうやって自分の力を悪用して朋美さんを守ってきたつもりなのかもしれませんけど、朋美さんにとってはそれが悪影響になってるんですよ」
「そんなこと……」
「そんなことあるんですよ。お母さんが学校に強く言えば、学校はお母さんの意見に従わざるを得なくなる。それがお母さんの持ってる力ですから。自分の正義を他人に強要して、力で相手を屈服させて思い通りにしても、そこに真実の信頼も友愛も生まれませんよ。朋美さんもいままで力で守ってきて、その結果周りに誰もいなくなってますよ」
「……」
「お母さんのやってることは、朋美さんを守ってるようで、むしろ攻撃してます。お母さんが力を悪用するから、周りにいる子供たちはいやいや朋美さんと付き合ってたかもしれません。お母さんがうるさいから、といやいや朋美さんと付き合ってきたかもしれません。子供たちは、朋美さんのお母さんは面倒くさいから朋美さんとは意見だけ合わせて近寄っちゃ駄目だ、って言われてても何の不思議もないんですよ」
「そんな……」
洋子はよろよろとよろめく。
「お母さん、もう力を行使するのは止めてください。朋美さんを守るのは……いや、傷つけるのは止めてください。お母さんの愛の方向性はおかしいです。自分が傷つかずに娘から愛してもらおうとは思わないでください。ちゃんと自分が傷ついてでも、娘さんを救うような行動をしてください。お願いします」
赤石は頭を下げた。
「自分が傷だらけになっても、たとえ嫌われたとしても、娘さんとちゃんと向き合って、ちゃんと話して、何が駄目だったかを知ることが、大切なんじゃないですか?」
赤石はカバンを背負った。
「僕からはこれで全てです。所詮高校生のガキが言ってることなんで、話半分に聞いておいてください。僕を嫌いになったなら、それでも良いです。でも、朋美さんのことを本当に思うのなら、少しでも考えてもらえれば嬉しいです」
赤石は廊下を歩く。
「ゆ、悠人くん」
洋子は玄関まで見送る。
「今日はお世話になりました。朋美さんが学校に来るのを待っておきます」
「あ、あの……」
洋子はきょろきょろと辺りを見渡す。
そして洋子は赤石の手に、ある物を渡した。
「母親として、また朋美に、この家に、遊びに来てください」
赤石の手のひらには、小さな指輪が置かれていた。
「これは……」
「朋美が小さいころに作った、お友達リングです」
「お友達リング……」
赤石は怪訝な顔をする。
「結局、今まで誰にも上げることはなかったですけど、悠人くんには持っててほしい」
「……」
赤石は嫌そうな顔をする。
「勝手に渡して、また怒られますよ」
「……その時は、返しに来てください」
「……そうですか」
赤石は苦笑した。
「お元気で」
「……」
洋子と赤石は挨拶をした。
「お母さん」
その日の夜。
洋子はリビングで平田を待っていた。
「あいつもう帰った?」
「帰ったわよ」
「はぁ……本当気持ち悪かった。あんなのいれないでよ、もう二度と」
「……」
洋子は口を開こうとして、閉じる。
「本当あいつ気持ち悪いから。あ、あと私もう学校行かないから。お母さん、遊び行くからお金ちょうだい」
「お金ね……」
洋子は財布を探す。
そして財布を手に取った。
「……こんな夜中に、どこに行くの?」
「別にどこでも良くない? 適当なところ見つけて泊まるからお金出して」
「……」
洋子は平田の前まで歩んだ。
「え、なに?」
平田は洋子を前にする。
そして。
パァン、と乾いた音がした。
「………………え?」
「…………」
平田は右頬に感じた熱に驚き、目を丸くする。
「いい加減にしなさい、朋美!!」
「え……え?」
平田は右頬を手で覆う。
「夜中に外なんて出歩いて、悪い男の人に見つかったらどうするの! 女の子が夜に外に出歩くことがどれだけ危ないことか分からないの⁉」
洋子は震える手を必死に支えながら、平田に言う。
「な、なんで……? 今までずっとお金出してきてくれたのに……」
「お母さんは……お母さんは、朋美の、朋美のためを思って、今までお金を出してきたつもりです。大変なパートにも出かけて、好きな洋服もバッグも香水も音楽もライブも友達とのお出かけも、全部全部諦めました。朋美が生まれてきてからは何もかも封印して、朋美のためだけに頑張ってきたつもりです!」
「だって、それは……」
平田はあまりの衝撃に事態を飲み込めず、目を白黒とさせる。
「でも、それが朋美のためにならないとようやく気付きました」
「だって、なんで……」
平田はうわごとのように呟く。
「今日来たあいつに言われたんだ」
「違います」
平田は赤石を思い出す。
「あいつに何か言われてそうやって私のことをいじめようとしてるんだ! 友達もあいつも、お母さんも! 皆で寄ってたかって私のこといじめようとしてるんだ!」
「違います!! 私が自分でこれが良いと思って、こうしてるんです! なんでもかんでも人のせいにして、悠人くんのせいにして、勝手に人を悪者にして自分は悪くないとなんて思わないで!!」
洋子は再び平田の頬をひっぱたいた。
「痛い……」
平田は叩かれた左頬を手で覆う。
「なんで…………」
「今までも危ない思いしてきたんじゃないの⁉ こんな夜にお金持って出歩いて、危ない思いして来たんじゃないの⁉ 何かあってからじゃ遅いのよ! なんで……なんで私の言ってることが分からないの……」
洋子は涙をこらえきれず、その場にくずおれる。
「お、お母さん……」
平田は涙目で洋子を見る。
「お母さんまで私のこと嫌いになったの?」
平田は怯えたように、洋子を見上げる。
「お母さんまで私のこと嫌いになったら、誰が私のこと守ってくれるの! なんでそんなこと言うの⁉ もう嫌だよ……」
平田は顔をうずめる。
「朋美、ごめんなさい。ごめんなさい。今まで私が間違ってました。私はあなたのためを思って、あなたの好きにさせてきたけど、それが朋美を駄目にしてるなんて思わなかった。ごめんね、朋美、ごめんね……」
「お母さん、お母さん……! なんで……!」
洋子と平田は抱き合った。
「ごめんね、ごめんね。もう朋美を甘やかさないから。お母さん、朋美と必死に生きてくから。だから、二人で、考えよ。ごめんね、朋美……」
「お母さん…………ひっ……ぐすっ……」
二人はリビングで、抱き合っていた。




