第311話 平田家はお好きですか? 4
「へぇ、案外綺麗にしてんじゃん」
赤石は平田の部屋に入り、いの一番にそう言った。
「案外お前って、女らしい所あったんだな」
赤石は目を弓なりにして不敵な笑みを見せる。
「それにしても女の子の部屋に来るのなんて初めてだな。俺なんかが入ってもいいのかな」
赤石は平田の部屋を見回す。
「きっっっっっっっっも、死ねブス!」
平田は手元で掴んだものを赤石に投げつける。
「止めろ、落ち着いて話をしよう」
「じゃあ仲良し面で話しかけてくんじゃねぇよ! キャラでもねぇこと言ってんなよ気持ち悪い。お母さんが言うから仕方なく入れただけだから。調子乗んなよゴミクズ」
赤石は近くにあった収納付きスツールに座った。
「なんで高校来ないのか言えよ」
「……」
平田は次に投げる物を掴んでいたが、放した。
「お前に言う義理ないから」
「どうせ裕也君とかいうやつと何かあったんだろ」
「は、なんで知ってるわけ?」
平田は露骨に顔色を変える。
「まえ公園で裕也君とかいう男と会ってる新井を見たんだよ」
「は、え、なに? は? いつ? は?」
「お前ばっか質問するなよ。俺の質問に答えろよ」
「いや、だからいつって聞いてんだけど? 何、答える気ないわけ? は? 何? え? 意味わかんないんだけど」
平田は急に焦り始める。焦っているのではなく、動揺しているのか、と赤石はあたりをつける。
「俺の質問答えろよ」
「いや、いつってこっち聞いてんだからこっちの質問から答えろって」
「どうせ俺が答えたらそれで俺を追い出すつもりだろ。お前が約束を守ってるところを見たことがない。俺の質問に答えるのが先だ」
「言うから言えって!」
平田が赤石の胸ぐらを掴む。
「本当だな?」
「私も言いたいことあるから」
赤石は平田の手をほどいた。
平田は背後に下がり、ベッドに座る。そしてゆっくりと口を開いた。
「裕也と会ったのはいつ?」
赤石は平田の問いに答える。
「去年の十二月二十四日だな。明確に覚えてる」
「去年の十二月二十四日……」
平田は復唱する。
「会ったのは?」
「公園」
「何時?」
「真夜中。何時だったかまでは覚えてないが二十二時は回ってたと思う」
「他には誰が?」
「知らんが、公園で新井が待ってる所に裕也君とかいう奴がやって来て二人でどこかに行ったな。そこから先は俺も知らん」
「はは……」
平田は笑った。
「あはははははははははは!」
そして大きく、笑った。異様な態度を見せる平田に、赤石は怯える。
「あははは……あはは」
そして力なく、平田はぐったりとベッドに倒れこんだ。
「おい」
平田は布団をかぶり、そのまま布団の中に隠れた。
「おい、やっぱり答えないつもりか」
赤石はベッドの近くまで行く。
「付き合ってる途中じゃん」
「……?」
布団の中からくぐもった声が聞こえてくる。
「全然私と付き合ってる途中じゃん……」
「……」
自分との交際中に裕也君は新井と会っていたのか、という恨み節だとようやくにして気付く。
「なに、それで何も言わなかったわけ、お前?」
「俺が誰に何を言うんだよ」
「裕也と私が付き合ってること知っときながら、裕也とあの女が二人で会ってるのを見て、結局何も言わなかったわけだよね?」
「だから誰に何を言うんだよ」
「はぁ? 何だって言えるでしょ。私に裕也があいつと会ってた、とかあの女に二股かけるなとか、裕也にお前は浮気してて心が痛まないのかとか、なんだって言えるじゃん。なんでそんなことも分からないわけ? なんでそんなことも考えられないわけ? なんで? なんで? 頭悪いの? ねぇ、なんで?」
平田が布団の中から手を伸ばし、赤石の腕を掴む。
赤石は驚き、体を後ろにずらす。
「ねぇ、なんで?」
平田が布団の中から出て来た。真っ赤な顔で涙と洟を流した平田が、出て来た。
「ねぇ、なんで⁉」
赤石はぎょっとし、固まる。平田は赤石の腕を掴み、赤石の肩を何度も叩く。
もう平田には、限界だったんだろう。
堰を切ったようにして、感情が流れ出す。
「なんでお前は誰にも何も言わなかったわけ?」
「まぁ新井に小言は言ったかな」
「それで? 結局あの女裕也と二人で行ってんじゃん」
赤石の肩を叩く。
「なんで? なんで私に、裕也が浮気してるとか言わなかったわけ?」
「なんで言うんだよ」
「またこれ。また男同士の結束とか言い出すんでしょ。浮気してるのを隠すのが男の友情だとか。本当キモい。本当キモい本当の本当の本当の本当の本当にキモい」
平田は赤石の肩を何度も何度も叩く。
「なんでなんでなんで⁉ なんで何も言わなかったの?」
平田はベッドをドンドンと叩く。感情の行く先がないのだろう。何かに当たらないとやっていられないのだろう。赤石は抵抗せず、平田に体を預けることにした。
「なんで私に言わなかったわけ?」
「どうせ俺が何か言っても、お前はキモいとかウザいとか死ねとか嘘吐くな、とか言って俺の言葉を聞きもしなかっただろ」
「意味わかんない……」
「そもそもなんで俺がお前みたいな嫌なやつの彼氏の浮気話をお前にしなきゃいけねぇんだよ。例えそいつが何百人と付き合ってようが俺には関係ない。お前も裕也君も、俺の人生には何も関係ない」
「意味わかんないから……」
「人の話をまともに聞こうとしない人間がなんで他人から欲しい情報がもらえると思ってんだよ。自分が相手から何かをもらいたいならまずは自分から差し出せよ。一方的に搾取して、怒って、傲慢に抑圧して、なんでお前は自分が他人から何かをもらえるような存在になれると思ってんだよ。浅ましいんだよ、お前」
「……ず」
平田は洟をすする。
赤石の肩を無言で何度も叩く。
「俺に彼女がいて、俺の彼女が他の男と遊んでたら俺に言うのか? 言わねぇだろ。どうせ嗤って身内でネタにして学校にばらまいて、そうやって人の不幸をエンタメにしてただろ。他人に何かを求める前にまずは自分の身のフリ考えろよ」
「なんで……」
平田は赤石の肩を叩く。
「そもそも、あの時どうせお前も一緒にいると思ったんだよ。新井と裕也君とでどこか行ってお前らと騒いでんだろうな、って思ったね」
「クリスマスはお泊りしなかったから。夜になる前に解散したから。なんで私と別れた後にあんな女とあってるわけ? なんで……」
平田は力なく殴る。
「もう嫌だ……全部嫌だ……」
平田は再び布団の中に潜った。
「おい、俺の質問答えろよ。なんで学校来ないんだよ」
「……」
「お~い」
赤石は追及の手を緩めない。
「――から」
「……?」
「裕也にフラれたから居場所がないから」
「……?」
妙な文脈に赤石は小首をかしげる。
「なんで男にフラれたくらいで居場所がなくなるんだよ。お前今までも色んな男と付き合ったり別れたり繰り返してきてるだろ」
「裕也のは別れ方が最悪だったから」
「別れ方?」
「……」
平田が黙り込む。
「裕也が私のことブスって言った」
「……?」
赤石にはいまいち、コトの大きさが分からなかった。
「なんだか知らんが、付き合ってるなら仲良くしろよ」
「そんな問題じゃないから……」
「じゃあなんだよ」
「別れるときに、その日に買った荷物も放り投げられて、全部ぐちゃぐちゃになって、へこんで使い物にならなくなって、壊れて、割れて……」
洟をすする音が聞こえる。
「髪の毛掴まれて、乱暴されて、蹴られて、殴られて、痛くて」
嗚咽が聞こえる。
「ヒドいことされた……。ヒドい別れ方だった……」
「……そうか。災難だったな」
赤石はスツールを持ってきた、平田に対面して座った。
「でもどれだけヒドい別れ方でも居場所がなくなったりはしないだろ。それはあくまでお前と裕也君との問題だ」
「彩音もいた。私がヒドいフラれ方して泣いてたことも全部見られた。だから全部言われた。絶対言われた。全部友達に共有された。絶対そう。誰も私のこと気にかけなくなった。誰も私のこと見てくれない。誰も私の話聞いてくれない。誰も私とトイレついてきてくれない。私がいないときに皆私の悪口言ってるの聞いた。もう居場所ないよ……」
「……なるほど」
赤石は段々と事情が呑み込めてきた。
平田は彼氏からヒドいフラれ方をして、そして一緒にいた取り巻きも平田がヒドいフラれ方をするのを目撃した。
今まで高慢で男に困ったような様子もなかった平田が年上の男から乱暴されて雑に扱われるのを目にして、平田は自分たちの上にいるような存在ではない、と思ったのだろう。
平田を見限った取り巻きは女子生徒に平田の醜態を、あるいは動画や音声を用いて流布し、平田の権力は失墜した。元来平田は女男問わず誰に対しても横暴でいたがゆえに、その揺り返しも大きかったんだろう。
元々平田に対して良い気を持っていない生徒たちから、平田の権威が失墜するのを契機に責められ、居場所を失った。
端的に言えば、因果応報なのだ。
「ヒドいフラれ方して、しかも私と付き合ってる最中にあの女に裕也取られてるし」
平田の彼氏は新井に取られた。
それも交際中に。そして平田はそのことにも気が付かずにいた。果たして取り巻きがそれも共有しているかは定かではないが、共有している可能性があるということが、平田には大きな不安材料となる。
「もうヤだ……もうヤだよ……」
「……」
「学校行きたくない……ヤだ……」
「……」
「死にたい……」
平田は布団の中で、うめいていた。




