第34話 クラスメイトはお好きですか? 2
「赤石、私の班ピーラーが壊れたから貸してくれない?」
「……?」
八谷は赤石に下へ赴き、声をかけた。
八谷が高梨に注意されて以降見ていなかった赤石は、突然の事態に驚く。
今まで人の多い場所で八谷が自分に声をかけたことがなかったな、と思い出し、俄かに周りの反応を伺った。
「お……おい赤石、お前男嫌いの八谷さんと知り合いなんか!?」
三矢が目を丸くして赤石に問い尋ねた。
そういえば最初出会ったときは男が嫌いと公言していたような気がするな、と赤石は追想した。
「知り合いと言えば知り合いかもな。ピーラー貸して良いのか?」
「いや……ピーラーは別にええけども」
三矢はピーラーを八谷に貸した。
「ご苦労ね、赤石。じゃ」
八谷は捨て台詞を残して踵を返した。
校内でも五本の指に入る美女と言われている八谷は、赤石の思っている以上に男からの畏怖羨望を集めていた。
「……………………」
「……」
「………………」
八谷が戻って数瞬、突如として静寂が訪れた。
ふと周りを見てみると、多くのクラスメイトが作業の手を止めて赤石たちの班を見ていた。
その顔に恐怖や畏怖、敵愾心や嘲笑、軽蔑など、ありとあらゆる感情を湛え、口を閉ざしていた。
カチャカチャ、と食器や野菜がぶつかる音だけが家庭科室を支配する。
一つのクラスが一堂に会しているとは思えないほどの静寂が、訪れた。
葉擦れの音すら聞こえるほどの静寂。静謐。
強制されたかのような沈黙。
「…………………………」
なんだこれ……。
赤石は、言いしれない不安感を感じていた。
なんだ、これは。
何故全員手を止めてこちらを見ているのか。
男嫌いで有名らしい八谷が男に話しかけたことが珍しい、それは分かった。
だが、それだけでここまでクラスメイトの視線が集中するだろうか。何か、何か他の要素をも包含していそうな、意味ありげな視線。
何かが、何かがおかしかった。
「何しよんねん赤石、早よ手動かさんかい! 手がお留守やぞ!」
「痛っ」
三矢は手を止めて周囲を見回している赤石の手を叩いた。
三矢と山本、この二人の放送部員は周囲の視線や、突如静寂になった家庭科室を不思議には思わないようだった。
三矢の大音量の注意を皮切りに、静寂が破られた。
他者の視線をなんとも思わないことは美点でもあり、汚点でもあった。
今回は、そんな三矢のあっけらかんとした態度に救われた。
赤石は言われるがままに手を動かし、一時不気味なほどに静寂を喫していた家庭科室は、また先の喧騒を取り戻した。
料理を作り始めて、数十分が経過した。
「出来たな」
「出来たでござるな」
赤石たちの班は、料理を完成させた。
指定された料理は、炊き込みご飯や玉子焼き、具材の多い味噌汁や肉と野菜の炒め物だった。
実食する。
「…………」
「…………」
「……」
誰も、料理の感想を言わなかった。
三矢が口を開いた。
「……せやな。なんて言うか……普通やな」
マズい訳でもなく、かといって美味い訳でもなく、一般人がそれなりにレシピを見て作った一般人の料理、というのが赤石たちの所感だった。
赤石は家事が上手い訳でもないが、下手な訳でもなかった。それは、班員もまた同じだった。
赤石たちが実食していると、櫻井たちの班から声が聞こえてきた。
「最高にまずいわね」
「…………恭子、俺は美味いと思うぞ!」
「きょ……恭子ちゃん、気にしないでね!」
櫻井たちは、およそ米とは思えない米を、食べていた。
表面に艶はなく、炊飯をしないで生で食べているかのような見目の米だった。
「八谷さん。あなた、ちゃんと私の言う事を聞いていたのかしら。どうして四合のお米を炊くのに二合分の水しか入れていないの」
「ご…………ごめんなさい」
八谷は椅子の上で縮こまり、俯いていた。
櫻井の弁当を作った時はそういえば二合分の水の量で炊いたな、と思い出す。
どの量の米でも二合分の水で良いと思ったんだろうな、と八谷の内心を推し量る。
あの時にもう少し詳しく説明しておけばよかったな、と思ったが後の祭りだった。
「ど…………どんまいどんまい! 恭子っち料理できるんじゃなかったの?」
「うっ……」
新井が、八谷の傷口を抉る発言をする。
言外に、あの弁当はお前が作ったんじゃないだろう、という含意が含まれているように、赤石は感じた。
「まっ……まぁいいじゃないか皆! ほら、あれだって! アルデンテってやつだろ!」
「アルデンテとは言えないわね。それに比べて聡助君、あなたが作った料理は信じられない程美味しいわね」
「まっ……まぁ家でよく料理作ってるから家事は得意なんだよな~」
高梨に褒められ、櫻井は笑いながら頭をかいた。
「出た……」
赤石は櫻井を見やりながら、小声でぼそ、と呟いた。
ラブコメの主人公にありがちな家事スキルが上手い、という属性を目にする。
考えてみれば、家事スキルの向上は女を落とすためのテクニックとしては非常に合理的なものかもしれない。
一人で行う趣味とは異なり、家事となればそれを披露する機会は無限にあるだろう、と推測する。
仮に櫻井が女の為に時間をかけて家事スキルを磨いたのだとしたら、それはそれで一種の努力でもあるな、と直感した。
結局、料理を台無しにしてしまった八谷はずっとしおらしく、縮こまって食べていた。
「じゃあお前ら帰りのホームルーム以上だ、かいさーん」
学校が終わり、放課後になった。
赤石は鞄を持って帰ろうとするが、
「なぁなぁ赤石、ちょ、マジちょっと残ってくんね? ちょっとでいいからさ」
「……誰だ。嫌だ」
赤石は一人の女子生徒に声をかけられた。
だが、何に巻き込まれるのか判然としなかったため、即座に断った。
焦げ茶色の髪に浅黒く焼けた肌、そしていつも周りに数人の女子生徒を帯同させている女子生徒は、名を平田朋美といった。
普段から声が大きい平田に、赤石は苦手意識があった。
平田の口ぶりからして、何をされるのか、と警戒する。
まさか櫻井のラブコメに巻き込まれるうちに自分もラブコメ主人公体質になったのか、といささか不審に思う。
だが、平田の目を見た赤石は、即座にその考えを切り捨てる。
面白い玩具を見つけたような、何かを壊してしまいそうな、そんな空恐ろしい欲望が、その瞳の中に宿っていた。
自分に何らかの過ちがあったか、と赤石は一人思念する。
取りつく島もなく断られた平田は、こめかみに青筋を立てた。
「いや、あんたそんなこと言って帰ろうとしても無駄だから、いやマジで。ガチめに。今帰るって言うんなら、あんたのあの画像拡散すっから、マジ」
「…………何の話だ」
全く心当たりがないことを言うが、それでも平田の持っている画像が何なのか判然としないため、強気に出ることが出来ない。
虚勢である可能性が高かったが、まだ何を考えているか分からない平田を無視して帰ることは、どう考えても得策ではなかった。
「………………分かった」
赤石は、了承した。
「最初からそう言っとけば良かったし。じゃあついて来いよ」
「……」
赤石は平田に追従し、教室を出た。
赤石は平田に別の教室に連れていかれ、その教室には既に四人の他の女子が集まっていた。
リンチでもされるのか、と警戒する。
平田は四人の女子の真ん中に赴き、机の上に腰掛け椅子を足置きにした。
座る椅子に土足で足を置く平田に驚いた。
一体この椅子に普段は誰が座っているのか。考えようもなかった。
だが、口にはしなかった。
言ったところで何が変わる訳でもなく、目の敵にされるだけだと悟ったための合理的思考だった。
平田はにやにやと嗤いながら、喋り出した。
「赤石、ド直球で聞くんだけどぉ、あんたって八谷と付き合ってんの?」
「…………は?」
突然すぎる質問に、赤石は唖然とした。
「付き合ってるわけないだろ」
誰がどう見ても八谷は櫻井に好意を寄せているのにも関わらず、どうしてそんなことを言うのか。
赤石は即座に断言した。
「じゃあさぁ、あんたら一体何の関係な訳? 友達とかいう訳?」
平田は高圧的に、赤石を追い詰める。
友達か……と聞かれれば、赤石は悩むしかなかった。
友達では、ないような気がした。櫻井への恋を成就させるためだけに必要とされている存在。その報酬として、人脈を貰う。
既にその前金というべきか、八谷や他そこそこの人間との脈は出来ていた。
友達というよりは、どちらかというとビジネス関係に近かった。
そして何よりも。
赤石は、人を友達と言うのが好きではなかった。
理由は、赤石自体分からなかった。何故人を友達と言うのが嫌なのか。自分のことが、全く分からなかった。
曰く、友達という言葉で決めつけることで、それ以上の関係性を求めることが出来なくなるからなのかもしれない。
曰く、友達ということで仲が悪くなっても友達である、という関係性に縛られ続けなければいけないと感じたからかもしれない。
曰く、友達と言うことで、互いに友達同士であることを認識しようね、という精神が気に入らなかったのかもしれない。
曰く、友達でないと言えば関係性が崩れることから、友達だ、と言わされたくなかったのかもしれない。
理由は、分からなかった。
だが、赤石は友達という言葉が好きではなかった。
唯一、須田という親友を除いては、人を友達などと言うのは、躊躇われた。
赤石は、口を開く。
「友達では……ないな」
「友達じゃないのに二人で出かけてるとか……ウケる。あんたらじゃあ体の関係だけってわけ?」
ぶはははは、と大きな笑い声を教室内にこだまさせ、近くの四人の女子生徒も手を叩き、嗤う。
赤石は平田を睨めつける。
だが、そんなことよりも何よりも、平田がどうして自分と八谷とが付き合っていると思ったのかが、知りたかった。
「何で俺と八谷が二人で外に出てると思ったんだ?」
赤石は純粋な質問を、平田にぶつけた。




