第302話 ジュースはお好きですか?
上履きを捨てられた翌日、赤石は学校にいち早くやって来た。
「……」
昇降口で自分の上履きを見たが、やはりなかった。
赤石は新品の上履きに履き替え、靴をカバンの中に入れた。このまま進めば、靴すらも捨てられる可能性があった。
赤石は朝早くから、憂鬱な気分で教室へと向かう。
「お、赤石ちゃ~ん」
廊下で赤石は、相良とばったりと出会う。
「朝から早いねぇ、赤石ちゃん。調子はどう? 元気?」
相良が膝を曲げ、屈んで赤石に聞く。
「おかげさまで」
赤石はぺこり、と挨拶をするとそのまま歩き始めた。
「ちょっとちょっとちょっと、釣れないねぇ、赤石君」
「そうですか?」
相良という教師の性質を知らないからか、赤石は無意識に相良を警戒する。
「大丈夫? 顔色良くないけど、まだ体調悪い?」
相良は赤石の顔を覗き込んで言う。
存外、人のことをよく見ているな、と赤石は感心する。
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「そっか」
相良は立ち上がった。
「何かあったら私に相談するんだぞ?」
相良はその場で一回転し、赤石にウインクする。
「教師っていうのは、いつだって生徒のことを考えてるもんだからね!」
「……そうですか」
これ以上喋ってボロが出ることを懸念し、赤石はぺこり、と頭を下げそのまま歩き始めた。
「本当に些細なことでもいいからね~!」
後方から聞こえる相良の声に耳を傾けながら、赤石は教室へと向かった。
教室にたどり着き、赤石はガラガラガラ、と扉を開けた。
「……」
赤石の机に、特に変わりはなかった。
何か嫌がらせをされているのではないか、と考えていたが、そこまで邪悪なことはなかった。これも相良の人望か、目に見えて嫌がらせをされるということはどうもないらしい。
机の中には予備の筆箱も、きっちりと入っていた。
赤石は予備の筆箱を取り出し、中身を見てみる。
「…………」
舌打ちを、する。
筆箱の中に入れていたシャープペンの替え芯は原形を保っていないほどに粉々に砕け、ボールペン、シャープペンはぽっきりと折れ、変形していた。
予備で置いておいた筆箱の中身で無事な物は、何一つとしてなかった。
教室の掃除の際に間違えて落としてしまった、遊んでいたら机に当たって中の筆箱に衝撃が入ってしまった。
いくらでも言い訳の思いつきそうな陰湿なやり方に、赤石は眉を顰める。
大方、放課後にお遊び気分で机の中に入っている予備の筆箱を投げつけたりしたんだろうな、という予想がついた。
外見は汚れ、ゴミがいくつも付着していた。
赤石は予備の筆箱をはたき、カバンの中に入れた。
もうこの教室の中で安全な場所はないと、確信した瞬間だった。
二時限目の授業が終わり、少し長い休み時間になる。
赤石はいつものように参考書を用意し、その場で読み始めた。未市からもらった参考書は要点がまとめられ、ノートと合わせて赤石の問題への理解を深めてくれた。
今さらながら手伝って良かったな、と赤石は苦笑する。
「赤石さん」
「……?」
後方から声がかけられる。
振り向けば、花波がそこにいた。
「三年生になってから初めて喋りますわね」
「……」
花波が近づいてくる。
「ね~、花波ちゃん」
「……え?」
花波は女子生徒に呼ばれ、振り向いた。
「これ見て見て~」
女子生徒が花波を手招きする。
「赤石さ――」
花波が赤石の方を見ると、既に赤石は参考書に視線を落としていた。
「早く早く~」
「え……ええ」
花波は言われるがままに、女子生徒の方へと向かった。
それで良い。
自分のために他の交友関係を切ることなんてしなくて良い。自分のために誰かから嫌われることなんてしなくて良い。
赤石は花波の行動を、内心で褒めていた。
四時限目の授業を終え、昼食時となる。
赤石は机の中の教科書や筆箱を全てカバンに入れ、カバンを持って教室の外に出た。
「赤石さん……」
花波は赤石のことを目で追っていた。
赤石はカバンを持って外に出た。
靴さえ隠せば問題はなく学校生活を送れると思っていたため、昼食を持って来ていなかった。明日からは昼食も持ってこなければいけないことを悟る。
赤石は食堂で昼食を買い、一人になれる場所を探して学校を回っていた。
ポトポトと、頭に水がかかるのを感じた。
「……雨?」
上から、液体が落ちてきた。
太陽が出ているのにおかしいな、と思い赤石が上を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。
だが、間違いなく何かの液体が落ちてきた。
「……う」
甘ったるい匂いが、肩越しから匂ってきた。
ジュースを、かけられた。
砂糖の甘ったるい匂いと教室のすぐ下を歩いていることから推測して、誰かが上階からジュースをかけてきた、とみて間違いなかった。
「臭ぇ……」
赤石は頭と服についた甘い匂いを嗅いだ。頭を触ってみれば、清涼飲料水特有の砂糖の感触を覚えた。
「気持ち悪い……」
赤石は砂糖を落とすため、手洗い場へと向かった。
出来るだけ人の少ない手洗い場へと向かい、赤石は頭を軽くすすいだ。
「タオル……」
何も持っていなかったことを思い出す。
赤石はカバンを置き、その中からタオルを探した。
「タオルも持たずにこんな所で水浴びですか?」
「……」
花波が赤石の隣で、腕を組んでタオルを持っていた。
「タオル、必要なんじゃないですか?」
「……ある」
「人の善意は取っておくものですよ」
花波は無理矢理赤石にタオルを渡した。
「汚くなるから良い」
「汚くなってこそタオルの意味があるってものですわ」
「へえ」
花波は赤石から返されたタオルを持って、赤石の頭を拭こうとする。
「止めろ」
赤石は花波を退けた。
「なんでですの?」
花波はきょとん、とした顔をする。
「なんで私のことを避けるのですの?」
花波は続けて質問する。
「なんで私が話しかけても無視するんですの? なんで誰にも助けを求めないんですの?なんで誰の手も借りようとしないんですの?」
そのまま矢継ぎ早に、赤石に質問する。
「巻き込まれるぞ」
「何にですの?」
「そこそこ大変な目に遭ってんだよ」
「だから?」
「巻き込まれるぞ、って言ってんだよ」
「それで?」
「関わらないでくれ」
「何故?」
「人を巻き込みたくない」
「お友達っていうのは、そんな関係性ですの?」
「そうだろ」
「私は違うと思います」
花波は赤石を睨めつける。
「お前は俺が何をしたのか知ってないのか?」
花波はタオルを持ち、赤石の頭を拭き始めた。
赤石は力なく、体を預けた。
「聞きましたわ」
花波は赤石の髪を拭く。
「壊れない友情関係を望んでいたのではありませんくて?」
「罪を超える擁護をする人間は友達ではないぞ。本当に友達だと思っているのなら、相手が犯した罪の清算をさせるように諭すべきだ」
「でも鳥飼さんの嘘なのでしょう?」
「嘘かどうかは分からないだろ。仮に鳥飼の話が嘘だとしても、俺は必要以上に悪意を振りまきすぎた。あいつらの反応は正しい。俺が悪い。罪に対して、正しい罰が下されている」
「確かにあなたは言いすぎでしたわね……」
花波が思い出すように、天を仰ぐ。
「でも鳥飼さんの話が嘘なのだとしたら、それは赤石さんを嫌った人間がそうするべきだけで、私が赤石さんと関わらない理由はありませんくて?」
「嘘ならな」
「嘘ですわ」
「どうかな」
赤石は嗤う。
「罪には罰が必要だ。俺はあの時ああしたことを後悔してないよ。人間は嫌いだし櫻井も嫌いだし、あそこで言ってなかったとしてもいつかは言ってた」
「それで迷惑をかけたくないから無視をしていた、と?」
「ああ」
花波が赤石の頭からタオルを取り、赤石の首元を掴んだ。
「友人関係は絶対では?」
「身勝手な行動で迷惑をかけるようなやつは友人でも何でもないね」
赤石は首元の花波の手をほどいた。
「はぁ……」
花波はため息を吐いた。
「どうやらあなたと私では友人の定義が違うようですね」
「そのようだな」
「少し反省なさい。また話しかけにいきますわ」
「…………」
花波はそう言って、その場から去った。
「飯食うか……」
赤石は近くの空き教室へと行き、昼食を取った。




