第301話 破局はお好きですか?
日も沈み、夜の帳が下りたころ、アップテンポな曲が、車内で流れていた。
「……」
「……」
男子大学生である山田が車を運転し、平田とその取り巻き、そして新井が車内にいた。
「ちっ、ちっ、ちっ、ちっ」
平田が舌打ちをしながら、ノリの良い曲にテンポを合わせて体を揺らす。
「朋美、曲変えて」
運転中の山田が、助手席に座っている平田に言う。
「え~、私この曲が良いから」
「……そう」
平田は小刻みに体を揺らす。
「由紀ちゃんはどこで降ろせばいいんだっけ?」
「あ、キリンの公園で大丈夫です~」
「おっけ。朋美、ナビ操作して」
イヤホンをしている平田は、山田の声に反応しなかった。
山田は平田の耳からイヤホンを取った。
「朋美、ナビ」
「も~、止めてよ。私今忙しいから」
平田は再びイヤホンを耳に装着し、スマホを操作しだした。
「…………」
山田は平田を冷めた目で見る。
「由紀ちゃん、キリンの公園ってどこだっけ?」
「あ、ここまっすぐ行ってもらって~」
平田の代わりに、新井が口頭で道案内をする。
数十分の案内の後、公園の前で山田は路肩に車を停めた。
「ありがとう、裕也君~」
車から降りた新井は山田に上目遣いで言う。
「うん。由紀ちゃん、今日はありがとう。楽しかった」
「私もすごい楽しかった~」
山田からもらったお土産を両手に高く掲げ、新井はにか、と笑った。
「じゃあまた遊ぼうね」
「うん、ばいば~い」
新井はにこにこと笑いながら、夜道に消えた。
「……」
「終わった~?」
平田はその間も助手席でスマホをいじっていた。
「終わったよ」
「じゃ、私の家出発して~」
「うん」
山田は運転席に座り、扉を閉めた。
大きなエンジン音とともに、車が発信する。
「……」
「……」
先程まで流れていた曲とは異なる曲が、車内で流れている。
「曲変えた?」
「なんか飽きたから」
平田は山田を見ることなく、スマホに目を落としながら言う。
「……そう」
「ん~」
平田はスマホを高く掲げ、フラッシュを焚いた。
山田が目をしばたたかせる。
「何?」
山田が苛ついた声で平田に聞く。
「ん~、自撮り」
平田は車内で何度か写真を撮る。
「よし」
平田は一人そう言うと、スマホに向かって話しかけ始めた。
「こんちは~」
「え?」
平田はスマホに向かって手を振る。
「どこ、って? 今車~」
「ちょ」
山田は平田の手からスマホをぶんどり、スマホを操作した。
「何してんの?」
「何って、ライブだけど」
「だから俺といる時ライブすんなって言ったじゃん」
「別にライブくらい良くない? 今どき皆やってるっしょ」
山田はライブ画面を閉じた。
「今俺らがいる場所とかバレるだろうが! デジタルタトゥーとか知らねぇのかよ」
「そんなこと言ってたら数百万人規模でデジタルタトゥーじゃん。笑ける」
平田は山田からスマホを取り返した。
「はいはい、ライブやらなかったらいいんでしょ。ライブを」
「…………」
平田は再びスマホに熱中し始めた。
数十分後、平田の家についた。
「出て」
「ん~」
平田はスマホを見ながら、助手席から降りた。
「……」
平田の取り巻き、そして山田も車を降りる。
山田はトランクを開けた。
「…………」
平田とその取り巻きは、スマホに熱中している。
山田はトランクから平田の荷物を取り出した。
「え……」
そして、平田に向かって、荷物を放り投げた。
ズザザ、と不快な音を出しながら、荷物が地面を擦る。
「ついたけど」
山田がトランクに手をかけながら、平田に言った。
「ちょ、何してんの!? なんで私のカバン放り投げてんの⁉ このカバンいくらしたと思ってんの!?」
平田はカバンに駆け寄り、パンパンと叩き、土をはらう。
「こんな時にもカバンかよ」
「……は?」
山田は独り言ちた。
そしてトランクから、この日一日で買った大量の買い物袋を持ち上げ、地面に放り投げ始めた。
「ちょ、何してんの!?」
平田は中身が転がった買い物袋を抱え、散らばった中身を買い物袋の中に入れていく。
「お前、俺が今日一日どういう顔してたか分かるか?」
買い物袋を放り投げた後、山田は平田に向かって言った。
「どういう顔って……」
平田は言葉に詰まる。
答えが、分からなかった。
「今日一日、誰がお前の買った物持っててやったと思ってんだよ?」
「持っててやったって……」
いかにもな言い回しに、平田は額に青筋を立てる。
「そんな言い方なくない? 私だって女の子なんだから、買い物袋の一つや二つ持ってくれたって良くない? 女の子はただでさえ苦労してるんだから、ちょっとくらい譲歩してよ!」
「うっせぇなぁ、お前」
山田が耳をかきながら、半眼で言う。
「何が女の子は苦労してるだよ。あぁ⁉」
山田が平田に近づく。
平田は後ずさり、山田から一歩、二歩、と距離を取る。
「調子乗ってんじゃねぇぞ、ブス!」
山田が平田の髪を掴んだ。
「痛い! 痛いって!」
平田は山田から逃れようとするが、髪を掴まれ、山田から距離を取ることが出来ない。
平田の取り巻きは、怯え、平田と山田を遠くから見やる。
「何が女は苦労してんだよ。お前がここにいれるのはなんでか分かってんのか! 何のおかげか分かってんのか! お前が女だからだろうが! お前が俺といれるのも、他のやつらともいれるのも、全部お前が女だからだろうが! 自分が女であることを最大限利用してるクセに何弱者ぶってんだよ、お前」
「裕也が選んだのに何、その言い方……」
「自分は女をさんざ利用して良い思いしておきながら、いざとなったら女の子は苦労してる、だぁ? 知らねぇよ! 黙ってろ」
「痛いって!」
山田が平田の髪を引っ張る。
ぶちぶちと音を立てながら、平田の髪が少なくない本数抜ける。
「お前は家が貧乏なやつを見つけたら積極的に助けてんのかぁ? 若いうちから病気になってる奴を見たら積極的に看護してんのかぁ? あぁ⁉ それともそれでも女の方が苦労してるから自分は何もしなくても誰かに大事にされるべき存在なのか? 言ってみろよ」
「女の子が苦労してるのなんか本当じゃん! どれだけ女の子の体が繊細で大変なのか、何も知らないのに知ったようなことばっか言わないでよ!」
「俺も病気患ってんだよ」
「……そんなの知らないし」
平田は俯く。
「いいなぁ、自分が苦労してることが外に出てるような連中は。貧乏なやつも病気がちなやつも、親が死んだやつも誰にも知られないまま、苦労してることも知られないまま死んでくんだからよぉ。俺の母親も、もうずっと前からいねぇんだよ。交通事故で亡くしてんだよ。これで十分か? これでお前は俺に尽くす気になったのか? これで俺は苦労してる女よりも可哀想で苦労している人間になったのか? 俺を大事にする気になったのか?」
「…………」
「お前は今まで、誰か苦労してる人間をいたわったことが一度でもあったかよ?」
「…………」
平田は口をつぐむ。
「人間なんて誰でも苦労してんだよ。それぞれ誰にも知られない範囲で苦労して、努力して、やることやって、必死に生きてんだよ! てめぇは自分が女であることを利用して俺らのグループに入っておきながら、何を弱者ぶってんだよ、馬鹿がよ!」
山田は平田の髪を離し、突き飛ばした。
「もういいわ、お前。由紀ちゃんの方がお前なんかよりよっぽどいいわ」
「……」
平田は目に涙を浮かべ、その場にくずおれた。
「お前は今日一日、俺がお前の買った物を持っても、車で送っても、感謝一つ言わなかったな。自分が待遇されるのが当たり前だと思ってんだろ? 今までもそうやって、女を利用して他人からチヤホヤされて、苦しくなったら弱者ぶって、他人を良い風に動かしてたんだろ。人間舐めんじゃねぇぞ。自分だけが可哀想だと思ってんじゃねぇぞ。由紀ちゃん見習えよ、カス」
山田は道端に唾を吐く。
「もうお前とは終わりだわ。連絡先も全部ブロックしとくから。二度と俺らに関わらないで。じゃ」
そう言うと、山田は車を発進させた。
エンジン音はゆっくりと、小さくなっていく。
「…………」
平田の取り巻き、釜井と進藤は恐る恐る平田に近づいた。
「朋美……」
「……」
平田は声を押し殺して、泣いていた。
「大丈夫……?」
「…………」
平田は答えない。
「…………」
「……」
数分の沈黙が場を支配する。
「何もせずに見てただけのクセに何心配したフリしちゃってるわけ」
平田は進藤を見ることなく、ぽつり、と言った。
「本当最悪」
そして二人の顔を見ることなく、平田は歩き出した。
「……」
「……」
二人は平田を追いかけない。
互いに顔を見合わせ、その場に立ち尽くしていた。
「本当最悪……」
平田は目頭を熱くさせながら、唇を強く噛み、夜道を一人で歩いた。




