第300話 いじめはお好きですか?
キーンコーンカーンコーン。
鐘の音が鳴る。
「起立、気を付け、礼」
「「「ありがとうございました~」」」
「はい、ありがとうございました」
二時限目の授業が終わり、少し長めの休み時間に入った。
三年生になり、数週間が経った。
だが、依然として赤石への悪罵は止まらず、赤石は一人自席で本を読み、勉学に励むことしか出来なかった。
「由紀ちゃん、昨日のドラマ見た~?」
「え~、見た見た~。悪魔くんめっちゃ格好良かった~」
赤石の後方にいる新井の席に、女子生徒が集まって来る。
「やっぱり~、あれめっちゃ良いよね~」
「分かる~、悪魔くんがちょっと強引なところとか本当超好き」
「「分かる~~」」
「いじめてるシーン超良くない?」
「「「分かる~~~」」」
赤石は後ろに女子生徒の声を聞きながら、座っている。
「あと天使君も超格好良くない?」
「え~、さっちゃんメンヘラ~?」
「も~、止めてよ~」
赤石はいたたまれなくなり、席から立った。
望まれていない残留に耐え切れなくなった赤石は外の風を浴びに出た。
渡り廊下を歩く。
校内でも珍しい、左右に窓がある状態。
片方が壁であることが多い校内ではごく限られた箇所でだけ開放的な気分になれる、と赤石は渡り廊下を気に入っていた。
なにより、通路として一本の渡り廊下には様々なドラマ、人間関係があり、赤石は他者を観察してその関係性や内情を想像するのが好きだった。
渡り廊下を歩いていると、前から三人の女子生徒が自分に向かって歩いてきていた。
暮石、鳥飼、上麦の三人だった。
赤石の行く先には女子トイレがあり、暮石たちが女子トイレに連れ立って行っていたことが理解できた。
暮石たちを見て引き返せば、逆に意識していると捉えられる。
どうすることも出来ない赤石は床に視線を落としたまま、暮石たちの隣を過ぎ去ろうとした。
暮石、鳥飼も同じく床に視線を向ける。
「あ」
上麦が赤石に気が付いた。
赤石と暮石たちはそのまますれ違った。
「赤石」
上麦は振り返りながら、赤石に声をかける。
「……」
赤石は振り返り、上麦を見た。
「赤石、違うクラスなった」
上麦が両手の指をくるくると動かしながら、赤石に何かを伝えようとする。
「あかねと赤石……」
上麦は舌ったらずに、聞こうとする。
「白波、行くよ」
「ぁ……」
「……」
赤石は上麦から目を逸らし、そのまま前へと歩いて行った。
「…………」
上麦は前を向き、早足で暮石の後ろについて行った。
「……」
何度か赤石の方を振り返りながら、上麦は暮石たちに帯同した。
「なんかフラれてキレて体育倉庫で暴力ふるった男が同じ学年にいるんだって~」
「え~、超キモ~い」
女子トイレ近くにいくと、トイレから自分を悪罵する話が聞こえてきた。
「ここもか……」
どこに行っても、赤石の悪評が騒がれていた。
赤石は女子トイレとは逆方向に曲がり、どうすることも出来ないまま、自然と人気の少ない場所へと足を向かわせた。
数分歩き、ようやく人の出入りの少ない、湿気の多い暗い部屋を見つけた。
何かの準備室であろう、とあたりをつけた赤石は暫くその部屋でじっと過ごした。
誰かの声を聞くのも、何かに噂されるのも、もうたくさんだった。
「でさ~、なんかいきなり告白されて~」
「え~~」
遠くから女子生徒の声が聞こえる。
「マジでやべぇから」
「本当変わってるよな~」
男子生徒の声が聞こえる。
「死ねばいいのに」
外から聞こえる人間の声が、全て自分を誹っているように聞こえた。
「なんで学校来てるの」
全て自分を責め立て、非難する内容に聞こえた。
「不登校にでもなってくれないかな」
他人の声が、何らかのバイアスを持って変換されている気がした。
あるいは、本当に誰かがそう言っているのか。どこから聞こえたかも分からない誰かの悪罵に、赤石は辺りを見渡す。
誰も、いない。
もしかすると、今まで聞こえていた話も、自分とは全く関係のない話だったのかもしれない。だが、四方八方を敵に囲まれた赤石には、全ての声が敵の声に聞こえた。
「こういうの、何かの病気の症状であったな……」
赤石は独り言ち、外を見た。
男子生徒が、女子生徒が、中庭で喋喋喃喃と笑いあって、話している。
「大変な学生生活だな」
赤石は楽し気に生活を送る学生たちを見やり、湿気った部屋で静かに座っていた。
「……ない」
翌日、朝早く学校に来た赤石は昇降口でたたずんでいた。
自分の上履きが、なかった。
以前見た時は壁の隅に追いやられていた。掃除係が何か間違って置いたのか、と好意的に解釈していたが、ことここにいたっては周りにも見つからなかった。
「どこに行った……」
人と顔を合わさないために普段より一本早い電車で来た赤石は昇降口で自身の上履きを探す。
が、見つからなかった。
数十分の捜索を行ったが、影一つなかった。
「……」
赤石は自分の身に何が起きているかを理解した。
中学時代と同様の状況になっているのだ、ということを理解した。
「…………」
徐々にまばらに生徒たちが学校に来始める時間帯になった。
赤石はスマホを使い、昇降口から学校に連絡した。
「三年一組、赤石です。相良先生いますか?」
「相良先生ですね。少々お待ちください」
職員室に電話がかかり、担任の先生を呼ぶ。
「もしもし~」
「もしもし」
「あら、その声は赤石君かな?」
「はい」
「どうしたの?」
「今日風邪気味なんで学校休んでも良いですか?」
「来れそうにない?」
「はい」
「じゃあ仕方ないね。うん、休んでもいいよ。今日の授業は誰かに取ってもらうように言っておこうか?」
「誰もノートを取ってくれる人がいないので大丈夫です」
「あら~……」
ぱし、と受話器の向こうから音がする。
相良が自身の額を叩いたのだな、と察しがついた。
「それはごめんごめん。うん、じゃあいいよ、休んで。しっかり休むのよ~」
「はい、ありがとうございます」
赤石は昇降口から休みの連絡を行った。
「さて……」
赤石はカバンを背負い、学校を出た。
登校中の生徒と出くわさないよう、遠回りをして駅に向かった。
学校指定の上履きを購入するために、赤石は電車を乗り継いで街中に向かった。
学校指定の上履きを新調した赤石は、家へと帰ってきた。
「あら、どうしたのよ、こんなに早くに。もう学校終わったの?」
赤石は母親から声をかけられる。
「体調が悪いから帰ってきた」
「じゃあ早く寝なさいな」
「ああ」
赤石母親に上履きを見られないように気を付けながら、自室へと向かった。
服を着替え、ドス、とベッドに寝ころぶ。
「……」
上履きは、恐らく何者かに処分された。
赤石をよく思わない何者かが赤石に正義の鉄槌を下してやろうと、そういった考えの下で行われたと赤石は断定していた。
中学時代にもよく起きた現象だった。
人間は、正義を自称する。
悪とされている人間になら何をしてもいい。
正義の自分は悪に何をしても良い。悪だと断じられている人間は何をされても文句を言えない。
半ば、自身の人生の不満やストレスを吐き出すように、他者を罰し、免罪符を用意して自身が正義の執行者になったかのように、他者に鞭を打つ。絶対的に安全な場所からただ自身のストレスを発散するためだけに正義は行使される。
反撃の返ってこない弱者から。見えない場所から、正当化された正義の鉄槌に、襲われる。
悪と断じられた弱者は、正義を自称する者たちに、攻撃される。自身の劣等感を隠すために、自身の人生の不遇を晴らすために、自身のストレスを解消するために。
玩具のように、殴っても良いサンドバッグのように。
悪と断じられた弱者は、ただ叩かれることしか出来ない。
悪の言う言葉には価値がないから。
見えない何者かに声を上げることが出来ない。
それも全て、自業自得の自己責任と転嫁されるから。
名実ともに、元カノに暴力を振るった罪人として、赤石は鞭打たれていた。
櫻井は、停学になっていた。
だが、停学となり櫻井が学校に来ていないことが、より一層赤石への責め苦を苛烈にさせた。
本来罰せられるべきの櫻井がいないことにより、全ての独善者の悪意を、赤石一人が背負っていた。
人間は愚かで醜悪だ。
滑稽で、醜く、みすぼらしい生き物だ。
いかにも真っ当らしい言葉で、いかにも真っ当らしい理由で、自身の暴力を、加害性を正当化した独善者が他者に鞭を振るう。
自分は正義だ。
お前は罰せられるべきだ。
私がお前にその罪の重さを教えてやる。
正義に従う私の行動は、全て正当化される。
力のない赤石は、ただそれに従うしかなかった。
あのまま職員室に抗議しに行くことも出来た。
上履きがなくなった、と相良に言うことは出来た。だが、赤石はそうしなかった。
上履きがなくなったことを告げれば、学校側の対応としてはその事実をホームルームで公開するか、なかったことにするかのどちらかだろう、と赤石は想像していた。
何もなかったことにするのなれば、まだいい。
だが、ホームルームで上履きがなくなったことを公表されようものなら、赤石自身がそれに耐えられる未来が想像できなかった。
生徒たちの前でこれ見よがしに上履きがなくなったことを宣伝され、赤石は苦虫をかみつぶしたような顔をしながら下を向くことしか出来なくなるだろう。生徒たちは赤石を厄介で問題のある低位の生徒と認識し、これまでよりもさらに距離を置くことになるだろう。
自分はいじめられています。誰か助けてくださいと、言っているようなものだろう。
そしてその結果は、必ずしも良い方向に働くとは限らない。
ホームルームでいじめに遭っている、と伝えたところで事態は好転しない。
上履きがなくなったことを知られれば、これよりも一層、赤石に関わろうとするものはいなくなるだろう。
問題を持つ人間に、人間は近寄らない。
いじめに遭っている、と言われる生徒に近づく生徒はいない。これまでよりも一層みじめな気持ちで生活を送らないといけなくなるだろう。
そして教師はいじめを根本的に解決しようとはしないだろう。
いじめられている、という事実だけがただただ大々的に公表され、生活しづらくなり、惨めな思いをする。
ことの隠蔽を図ろうとも、いじめに遭っている、と大々的に公表されても、どちらにしても赤石にとって都合が悪かった。
そして何より、ホームルームで自身の上履きが何者かに捨てられた、と公表されるようなことになれば、精神的な苦痛が計り知れないだろうと思っていた。
元来、赤石は教師を信用していない。
教師がいじめを根絶した、という話は有史以来一度も聞いたことがない。
学校がいじめを隠蔽した話は飽きるほど聞いたことがあるが、いじめを厳罰化するという動きが存在することを認識したことがない。
そして赤石は、教師がちっぽけな自分などのために動いてくれないことを、悟っている。
教師も同じ人間だ。
問題のある生徒に関わりたくはないだろう。問題に関わり、責任を負いたくはないだろう。
校内で発生するいじめは当人が動かない限り、決して解決しない。
教室を超えて須田や高梨の耳にも入れば、その限りではないだろう。元来自分を支援してくれる立場の二人ならば、何らかの行動は起こすだろう。
だが、もう須田にも高梨にも迷惑をかけたくなかった。
なにより、こんな状況になっている自分を見て欲しくなかった。
赤石はこうなったことへの責任を感じている。櫻井を堕とすために、何を犠牲にしても良かった。こうなった今も、須田と高梨に見られなければそれでいいとさえ、思っている。自分がやったことの責任を取っているのだと、赤石は心の中で呟く。
誰も頼れる人のいない、今の教室で、自分一人で解決しなければいけない。
このいじめは、自分で対処しなければいけない。
誰も頼りにはならない。頼りにしてはならない。
赤石は明日から、覚悟を持って行動しなければいけないということを、理解した。




