第297話 お返しはお好きですか? 3
赤石はライトで船頭を照らした。
「悠人……」
「……」
赤石は無言で船頭を見る。
「なんで来なかったの!」
船頭が赤石を見て開口一番に、そう言った。
「今来た」
「今までずっと来なかった!」
船頭は赤石の胸に飛び込み、赤石の胸に拳を打ち付けた。
「今来た」
「遅い! 遅いよ……」
船頭は赤石の胸に顔をうずめる。
「あれから何時間経ってると思ってるの⁉ もう夜だし、お腹空いたし、寒いし……」
赤石は船頭に上着を手渡した。
「そんな優しさ求めてないから!」
船頭は赤石から上着を受け取り、羽織る。
「なんでずっと来なかったの⁉ メッセージも既読にならないし、悠人は来ないし、私さっき変な男に連れて行かれそうになったんだよ! 女の子が夜に一人でいることがどれだけ危険なことか分かる⁉ 私たちがどれだけ気を付けて夜出歩いてるか分かる⁉ どれだけ周りに注意してるか分かる⁉ 分からないよね、どうせ悠人は男なんだから! なんで今まで来なかったの⁉」
「……ごめん」
赤石はただ、謝った。
「なんで、来なかったの⁉」
「何もかも、嫌になった。全部ぶち壊してやろうと思った」
「そんなの……私関係ないじゃん……」
自身の落ち度でなかったことに安堵しつつも、船頭は赤石に怒りを抱く。
「なんで勝手に帰ったの⁉ 私の話も全然聞いてくれないで、自分のことばっかり言って、それで、はいさようなら、なんておかしいじゃん! 私の話聞かないのに自分の話ばっかりしておかしいじゃん! おかしいと思わなかった⁉ 自分がおかしいことしてる、って思わなかった⁉ 勝手に人のこと傷つけて、決めつけて、それで良い気になって勝手に帰って、自分がおかしいことしてるって、思わなかった⁉」
「ごめん」
船頭は何度も赤石の胸を叩く。
「悠人に何があったかなんて知らないよ! 知らないし、私には関係ないじゃん! 自分が嫌になったからって、無関係の私に八つ当たりして、怒って、勝手に縁切ろうとしてきて、ひどいよ! ひどいよ……」
「ごめん」
船頭はずるずると、力なく座り込む。
「おかしいんだよ、悠人……。勝手に私に八つ当たりして、勝手に縁切って、人の話も聞かずに。最低だよ、悠人……」
「ごめん」
赤石は船頭に手を差し出した。
「でも、もう帰ろう」
船頭は赤石の手を取り、立ち上がった。
「はぁ?」
「夜も遅い。それにこんな夜に大声で話してたら迷惑になる」
「はぁ⁉」
船頭は額に青筋を立てる。
「全部悠人のせいじゃん! 何があっても悠人が責任取ってよ! 私何も悪くないもん! 全部悠人が悪いもん! 悠人が人として最低だから私こんな目に遭ってるんだよ⁉ 分かる⁉」
「……」
赤石はポケットから財布を取り出した。
「これで……」
一万円を船頭に手渡した。
「はぁ⁉ 何これ⁉ 何、手切れ金か何かのつもり⁉ 何パパ面しちゃってんの!? 受け取らないから、絶対に!」
「いや、タクシー代」
赤石は公園を出て、タクシーを探し始めた。
「帰らないから!」
「このまま公園にいるのか?」
「悠人の家行くから!」
「駄目だ。夜も遅い」
赤石はタクシーを見つけ、手を上げようとした。
「帰らない、って!」
船頭は赤石の手を掴み、下ろさせた。
「危ない」
赤石は一歩下がり、タクシーがそばを通る。
「帰れよ」
「これで終わり? これで終わり? 何の話も出来ずに私が一方的に怒って帰るの? 無理無理無理無理無理。絶対無理。どうせ悠人の家、色んな女が入り浸ってるんでしょ。色んな女連れ込んで寝てるんでしょ!」
「高梨しか泊まったことはない」
「一人いたら何人いても同じだから! じゃあ高梨ちゃんも私も同じじゃん。家行くからついて来て」
「ママに怒られる」
「何突然キャラ変してるわけ⁉ そんなタイプじゃないでしょ!」
「好ましくない」
「いいから、つ、い、て、来、て!」
船頭は赤石に命令する。
「全部悠人が悪いんだから、悠人が全部の責任取らないといけないの当たり前でしょ」
「……」
船頭は赤石を監視して、近くのコンビニへと向かった。
一日暮らせるだけの用意をするため、船頭は籠を手に取り、赤石に渡した。
「夜にコンビニか……」
須田散歩みたいだな、と赤石は漫然と思う。
ピ、ピ、と、商品がレジを通る。夜の二十二時を回った時間帯でも客がまばらにいる。
「これと、これと」
赤石が籠を持ち、船頭が籠に商品を入れていく。
「はい」
赤石はレジへと向かった。
「お金出してよね」
「……」
赤石は財布から一万円札を取り出した。出費、約五千円。福沢諭吉が、樋口一葉になる。
「……」
赤石は神妙な面持ちで樋口を見た。
「早く帰ろ」
「……ああ」
赤石と船頭は、家へと向かった。
「おかえり、また夜中に出歩いて、一体」
「帰った」
「こんちは~……」
赤石が船頭と共に家に帰って来た。
「あら~! またあんた、別の女の子夜中に連れてきて。何を考えてるのよ!」
「やっぱり帰してくる」
「駄目に決まってるでしょ! こんな夜中に可哀想でしょ! さぁさぁ、何もない家だけど上がって上がって」
「お邪魔しま~す……」
船頭はおずおずと赤石の家へと上がった。
「ご飯は食べた?」
「食べてないです」
「あら~、こんな夜中まで塾か何か?」
「悠人のせいで……」
母親と船頭が赤石を睨みつける。
赤石は視線を逸らした。
「悠人、あんた女の子泣かしたらいかんよ!」
「泣いてないんです、泣いてないんです! 私も悪いところがあったかもしれないんで」
船頭が慌てて母親をなだめる。
「じゃあお腹も空いてるでしょう。残り物だけど、今から作るから待っててね」
「ありがとうございます」
船頭は席に着いた。
「あ、あと~……」
船頭は立ち上がった。
「ちょっとお手洗いお借りしても、良いですか?」
「どうぞどうぞ。こんな汚い家にあるものは自由に使ってください」
母親はにこやかに言った。
「悠人! あんた後で何があったか教えなさいよ!」
「……風呂に入る」
赤石は浴室へ、船頭は手洗いへと向かった。
「はぁ……」
赤石は湯につかり、髪をかき上げた。
湿った空気が浴室を満たす。湯気で曇り、視界が悪くなる。浴室の温度が赤石の頬を上気させる。
車が外を走る音と、ちゃぷちゃぷと湯を弄ぶ音が、赤石の耳を心地よく撫でる。
ブーン、と独特の音を鳴らしながら過ぎていく車の音を聞き、赤石は目をつぶった。
夕食を終え、自室でひと眠りした後、赤石は妙に目覚めがすっきりしていた。
一度睡眠を挟むと、今まであったことがリセットされ、何もなかったかのように思えた。それでも頭の片隅に残っているのが、船頭のことだった。
船頭をブロックし、このまま放っておいてもいいのか。どうしても船頭のことがひっかかり、赤石は服を着替え、船頭を迎えに行った。
スイッチが切れたかのようだった。
赤石は櫻井とともに堕ちた。修了式だったのが幸いした。
次に櫻井と顔を合わせるのは、始業式になる。数週間の間、赤石には時間が与えられる。
思い出してみれば、どうして自分はあそこまで船頭に対して嫌悪していたのか、とも思う。だが、やはり船頭の行動に対して思うこともあった。
自分があれだけのことをすることに、自分自身で一定の理解もしていた。
ただ、その時までは言っていないというだけだった。何か言う切っ掛けがあったからこそ、不意に口から出た言葉だった。
「はぁ……」
赤石は髪をかき上げる。
肩までお湯につかり、ちゃぷちゃぷとお湯を掬ったり戻したりする。
「あったかいな……」
車の通る音を聞く。
全身から力が抜けていく。
「悠人~」
浴室に続く手洗い場から、船頭の声がする。
「私も入っていい?」
「良いわけないだろ」
「きゃはは」
船頭は赤石をからかうと、手洗い場から出た。
「疲れた一日だったな……」
赤石は浴室でゆっくりと、心を休めていた。
赤石は服を着替え、浴室から出た。
「おそよ~」
船頭が食事に口をつけながら、赤石に言う。
「やっぱり悠人マッマのご飯美味しいね」
「あら~、いつでも食べに来て良いのよ」
「迷惑だろ」
母は、ほほほ、と笑う。
「上がる」
「ん」
赤石は二階の自室へと上がり、再び床に潜った。
一時間ほどの後に、船頭も赤石の自室にやって来る。
「下で寝ろよ」
赤石はベッドの上でスマホを触っていた。
「お話しできないじゃん」
船頭が床に布団を敷いた。
「……」
「……」
お互い、沈黙になる。
「寝よっか?」
「ああ」
船頭が部屋の電気を消した。
赤石、船頭の二人は布団の上で目をつぶる。
「悠人」
「……」
「今日、何があったの?」
「……」
赤石はスマホを開いた。
そして高校の裏情報が載っている、掲示板サイトを開き、船頭に渡した。
「……なにこれ」
赤石の暴言、櫻井が行った卒業式の破壊行為、そしてその顛末が、詳細に書かれていた。誰が運営しているかは分からない。が、そこに書かれていることは、全て事実だった。赤石も櫻井も、共に貶されていた。
「こんなことがあったんだよ」
「見せて」
「何を」
「櫻井からのメッセージ」
「……」
赤石はメッセージをオフラインで開き、船頭に渡した。
「……嘘」
船頭は布団の上で、櫻井のメッセージを見ていた。
「ごめんね、悠人」
「……」
「私、悠人が櫻井にこんなことされてるって知らなくて」
「知るべきことでもないだろ」
「だから嫌いだったんだ」
「それだけじゃねぇよ」
純粋な、悪意。純粋な、敵意。それ以外は、なかった。
「ごめん、悠人。私、櫻井と一緒に二人で遊園地回って……。悠人は裏でこんなことなってたのに」
船頭は、櫻井と二人で遊園地に行くにいたった経緯を事細かに話し始めた。
赤石はスマホをしまい、暗闇の中で船頭の話を聞く。
「もうどうでもいいよ」
「どうでもよくなんてないよ……」
「同級生なんて一過性の付き合いだよ。過ちみたいなもんだ。いずれ消える人間関係。ただの通過点」
「そんなことないし! 今まで積み上げてきたものは絶対になくならないから! 何回言えば分かってくれるの⁉」
「二十年後も同じことが言えてると良いな」
「二十年後でも三十年後でも同じこと言うから! 今までだって私ずっと言ってきたつもり!」
赤石は壁を向く。
「……怒ってる?」
「別に」
船頭が赤石の隣に、やって来た。
「来るなよ」
「何もしないから」
「立場逆だろ」
船頭がふふ、と笑う。
「辛かったね」
「……別に」
赤石の背後に、船頭がいる。
「なんでどいつもこいつも分からねぇんだ、って思っただけだよ」
「……」
「なんで俺があんなに言われてんのに誰も俺の仲間になってねぇんだよ。偽善者どもが。ふざけんなよ。あいつの味方するのはどう考えたっておかしいだろうが。俺が責められてんのによ」
赤石は壁に向かって、話す。
「苛立ったよ……心底」
「……」
「結局人間は他人の上っ面しか見てねぇんだよ。何を意図してるのか考えもせずに、上辺だけの行動に意味を持たせて勝手に解釈して。さんざ思いつめたって、さんざ考え込んだって、意味ねぇじゃねぇか。馬鹿みたいだ……」
赤石は肩を震わせる。
「泣いてる?」
「……泣いてねぇよ」
船頭は赤石の背中を撫でる。
「辛かったね」
船頭が赤石の頭を撫でた。
「止めろ」
赤石が船頭の手をはねのける。
「だから私も悠人の敵になると思ったんだ」
「敵だろ」
「違うよ。私は悠人を裏切らないよ、絶対に。絶対に」
「……」
船頭は赤石の頭を再び撫でる。
「大丈夫だよ」
「……」
船頭は赤石の頭を撫でた。
「……」
赤石はただ無言で、その場にいた。
「いっぱい裏切られて、いっぱい怒られて、いっぱい責められて、いっぱい我慢して、偉かったね。悠人は一人じゃないよ」
「……」
船頭が赤石の髪を撫でつける。
「頑張ったね」
「……気持ち悪ぃな」
赤石は船頭の手をどけた。
「……大丈夫だよ」
「……」
船頭は赤石に手をどけられるたびに、赤石の頭を撫でた。
「私は悠人を裏切らないよ。絶対に」
船頭は何度も繰り返す。
「大丈夫だよ」
気が付けば、赤石は眠っていた。
「…………」
船頭は赤石の頭を、撫でていた。
「大丈夫だよ」
船頭は目を細め、赤石の華奢な背中をさすった。
「安心、して」
「……」
卒業式の夜は、終わった。




