第296話 お返しはお好きですか? 2
「……」
赤石は家の扉を開けた。
「おかえり~、今日はえらく早く帰ってきて。学校は終わったの?」
「ああ。寝る。起きるまで起こさないで」
「はいはい。全く、うちの息子はすぐに寝る」
赤石はそう言うと自室に向かった。服を脱ぎ、カバンを置き、ベッドにもぐりこむ。
「……」
赤石は天井を見ながら、布団にくるまった。
まるで一年の時を過ごしたかのような濃密な時間を、赤石は思い出していた。
修了式の出来事。未市が立ちすくんでいたこと。櫻井が式を乗っ取りに来たこと、船頭との決別。
今日一日で起こった出来事とは信じられなかった。
処理しきれない量の出来事に、赤石の頭はパンクする。
「……」
もぞ、と赤石はカバンからスマホを取り出した。
連絡が、来ていた。
船頭からの連絡。
『悠人が来るまで待ってるから』
赤石は既読にし、船頭をブロックした。
他にいくつかの連絡が来ていた。
『卒業式ではダメだったけど、教室で見ることに成功した! 私はやはりさすがだ!』
未市から連絡が来ていた。
卒業式で動画を流すことは出来なかったが、教室で動画を流した、との連絡が来ていた。未市は転んでも、ただでは起き上がらない。
『最高に大盛況だったよ。君の脚本のおかげだよ。ありがとう』
そして、腹回りを露出した写真とともに、サービス写真だよ、とメッセージが送られてきた。
「良かった……」
卒業式で流すことは出来なかったが、完全な無駄にはならずに済み、赤石は胸を撫で下ろす。
『ちなみにこの動画は卒業生全員に渡すつもりだ。君にも、もちろん。将来赤石先生の意欲作として価値が出るかもしれないね。最も、私のえっちぃ特典もついていることだけれども』
未市のいつもの冗談を見て、赤石は安心してスマホを切った。
「…………」
天井を、見る。
ぐらぐらと天井が揺れている気がする。
天井を見ているうちに、赤石は気を失うようにして、眠りに入った。
「……」
起きたら、夜の十九時になっていた。
「ご飯よ~」
母親の言葉で目を覚ます。
赤石は階下へ降り、リビングへと向かった。
「はいはいはい、ご飯よ~」
父親は既に、席についていた。
「はい、いただきます」
「いただきます」
「……ます」
赤石たち一家は料理に手を付け始めた。
「そう言えば今日スーパーに行った時~」
母親が話し始める。息子、父親の頷きも待たずに、母はひたすらに始める。
赤石一家の日常だった。
「悠人」
徹が赤石に声をかけた。
赤石は珍しいこともあるもんだ、と父に顔を向ける。
「学校で、何かあったのか?」
「……まあ」
徹は妙なところで勘の鋭い所があった。何も見ていないようで、息子の違いには機敏に気付く節があった。
「そうか……」
徹はそれ以上は、何も聞いてこなかった。
「ごちそうさま」
「はい、ごちそうさま」
赤石は食器をシンクへと持って行き、洗って自室へと向かった。
「…………」
再び自分のベッドへと入った。
何故だか今日は、妙に眠くなる一日だった。
赤石は床に入り、再び眠りについた。
「悠人……」
夜の十九時を回っても、船頭はまだ公園にいた。
食事を取らず、眠らず、公園のベンチで一人待ちぼうけていた。
「……」
スマホに目を通す。充電も残り少なくなりつつある。
どこかのタイミングでこの場所を離れてしまえば、丁度そのタイミングで赤石が来るかもしれない、と考えると、どうしてもこの場を離れられなかった。
意地と矜持とが船頭をその公園に縛り付けていた。
「……」
何度も何度もスマホを確認する。
赤石からの返信は返って来ていない。赤石に送ったメッセージは既読にすら、なっていない。
「……」
そわそわとする。何故送ったメッセージが既読にすらならないのか。
船頭はそのまま、待ち続けた。
二十一時を回った。
「…………」
夜の帳が降り、三月と言えど、冷たい風が肌を刺す。
「寒い……」
薄着で来ていた船頭は縮こまるようにして丸まった。
木の陰で寒さをしのぎ、寒風に耐えながら腕をさする。
「さむ……」
ザ、と音がした。
土を踏みしめる音が、した。
「お、遅いって! 待って――」
船頭が顔を上げ、音のする方を見れば、
「はぁ?」
数人の男たちが、やって来ていた。
「え、何? 何してんのこんなところで」
男たちは船頭の顔を覗き込む。
「え、何? 俺らのこと待ってたってこと? やべ~、こんな夜中にヤバすぎだろ。じゃあ取り敢えず行こっか」
「人違いでした」
船頭は手で制し、男たちの要求を拒む。
「いやいやいや、こんな夜中に一人で公園って、どう考えても誘ってるじゃん? いいからさっさと行こうぜ」
「おい裕也、もういいって、面倒くさいことなるだろ」
「いやいやいや、連れて行くしかないっしょ」
男は船頭に近寄る。
「来ないで!」
船頭はスマホで明かりを照らし、電話をするフリをする。
「警察呼びます!」
「……ちっ」
男は舌打ちをした。
「あ~、くっだんね。こんな夜中に一人でいるのに何もなしかよ。さっさと帰れや」
男は船頭の顔を再び見た。
「ってか、よく見たらブスだわ」
「おい裕也~」
男たちが笑う。
「由紀ちゃん待ってんだから早く行こうぜ」
「分かったよ。じゃあな、ブス! あははははは」
男はそう言うと、高らかに笑い、公園を去った。
「はぁ、はぁ……」
船頭はその場にずるずると座り込んだ。危機は去った。だが、船頭の心は寒風と恐怖とで、折れそうになっていた。
「遅いよ……」
船頭は再び体を丸め、木に寄りかかった。
時刻は、二十二時を回った。
「……」
スマホの充電もなくなり、船頭はその場で膝を抱え、無心で地面を見続けていた。
ザッザッ、と土を踏みしめる音がする。
船頭は何とはなしに、音のする方を見た。
「……」
「……」
赤石が、そこにいた。




