第293話 修了式はお好きですか? 3
「そ、聡助……⁉」
唐突な櫻井の登場に、体育館全体がどよめきだす。
「これが三年生の出し物?」
「ここから出し物が始まるのか?」
「眩しい……」
「あれ誰?」
「何が始まるの?」
生徒たちから、困惑と期待の声が聞こえる。
櫻井の登場を三年生の出し物と思っているもの、そして異常事態と思っているもので反応が異なる。
「美穂姉―――――――――!」
櫻井は扉の前でそう叫んだ。
ずかずかと体育館に入り、神奈を目指す。
「そ、聡助……」
神奈は複雑な表情で櫻井を見る。
「君、櫻井くんだね」
「はい」
櫻井は未市の下までやって来た。
「何の用かな?」
「言いたいことがあります」
未市は櫻井と対峙する。
「俺は……俺は、どうしてもやらないといけないことがあるんです! だからそのマイクを貸してください」
「…………」
未市は目をつむった。
「どうしても! 俺には、やらないといけないことがあるんです! 今を逃したらもう次はないんです。俺は後悔を残したくないんです! 人生の後悔を残したくないんです! 俺の大切な誰かが不幸になるっていうのに、俺はそれを黙って見過ごすことなんて出来ねぇ。俺は俺の大切な人を、助けたいんです!」
「……」
未市は天を仰いだ。
「いえ、あなたが何も言わなくても俺は言います」
櫻井は未市からマイクを奪取した。
櫻井が登壇し、息を深く吸う。
「美穂姉―――――――!」
「なんだね、これは」
「これが三年生の出し物?」
未市が出し物の計画をほとんど漏らしていなかったことが災いし、教師たちも連携が取れない。そして未市はただ茫然と、その場で立ち尽くしていた。
あるいは、破天荒な未市が教師に何を告げることもなく新しい演出をしてきたのか、と教師たちも勘繰りを入れる。
櫻井の言葉を信じたのか、はたまた呆気に取られているのか。未市はただただその場で立ちすくんでいた。
「未市さん、これって……」
「私の出し物ではありませんね」
「嘘……」
教師が青ざめる。
「中止! これは出し物ではありません! 今すぐあの生徒を止めてください!」
教師が声を張り上げる。
「なに……?」
三年生の出し物だと思って静観を決め込んでいた教師たちが動き始める。
「美穂姉、俺の話を聞いてくれーーーー!」
櫻井が声を上げる。
生徒たちからも、教師たちからも困惑の声が上がり、体育館は悲鳴と笑い声とでいっぱいになる。
「あの生徒を捕まえろ!」
教師たちが登壇している櫻井に向かって歩き出す。
「俺は! まだ何の力もないただの学生だけど!」
櫻井は教師たちから逃げながら、マイクで神奈に言葉を放つ。
「だけど! でも、俺は美穂姉が転勤することに賛成できない! だって、だって――」
教師たちが櫻井に追いつく。
「美穂姉が、寂しそうな顔をしてたから!!」
櫻井はマイクを持ち、叫んだ。
教師が櫻井のすぐそばまで来た時、櫻井は体育館の二階を見た。
「皆!」
「「「了解―――!」」」
シュウウウウ、という怪音とともに体育館に煙が充満し始めた。
「な、なんだこれは……!?」
火事か、と教師たちは口元をふさぐ。
「ゲホ、ゲホゲホゲホ!」
櫻井に追いついた教師たちは煙を吸い、涙を流す。咳き込み、体を震わせる。
櫻井はポケットからガスマスクを取り出し、装着した。
「ありがとう、凪!」
「きしししし、上手くやれよ、さー坊」
体育館の中で煙を発生させたのは櫻井の塾の知人、子守凪。子守はキシキシと笑い、教師たちの足止めをする。
「もし、それが美穂姉の望んでることじゃないんだとしたら、俺はそれを止めたやりたい! 美穂姉が悲しむ顔なんて見たくねぇ!」
櫻井の声が神奈に刺さる。
「思えば、美穂姉はあの時から変だった! ずっと美穂姉は、自分がやりたくねぇことをやらされてるんじゃねぇのかよ! あの時から俺はずっと、美穂姉の笑顔を見てねぇ!」
「煙が……ドアを開けろ!」
教師たちが涙を流しながら入り口のドアを開けようとする。
扉に手をかけたが、
「な……開きません!」
「なんでだ! さっきまでは開いてただろ!」
「でも開かないんです!」
教師たちが扉を開けようとするが、やはり扉は開かない。子守が扉に細工をし、子守の指示なしには扉は簡単には開かないようになっていた。
「どうなってるんだ、一体!」
「これは有害なガスですか⁉」
「「きゃーーーーーーーーーーーー!!」」
困惑と笑い声でいっぱいだった体育館は、いつしか悲鳴に変わっていた。
生徒たちは混乱し、教師もまた混乱していた。煙を吸わないように床を這い、誰も身動きが取れない。
「何よ、これ」
「……」
赤石たちも床に伏せ、事態が収束するのを待つ。
「君がやったのか⁉」
口元を布で覆いながら、大柄な教師が櫻井につかみかかる。
「この煙はなんだ⁉ 有害な物か⁉ 今すぐこれを止めなさい!」
「美穂姉!」
櫻井は教師を押しのけ、神奈の前まで来た。
神奈もまた、伏せている。
「俺と一緒に、行こう!」
櫻井は神奈に手を差し出した。
神奈の返答を待たず、背後から複数の教師が現れ、櫻井につかみかかった。
「く、くそっ!」
櫻井が教師に押さえつけられ、もがく。
「この煙はなんだ⁉ 何が起こってるんだ⁉」
教師たちは大慌てで櫻井に聞きだす。
カーン、と教師たちの頭に鈍器が振り下ろされる。
「あらあら、まぁまぁ」
石巻がフライパンを持って背後から現れる。
「うふふふふ、背後も気を付けないといけませんよ」
石巻はちゅ、と教師たちに投げキッスをする。
「ごめんなさいね、少し気絶してもらうだけだから」
「私も手伝うぞ!」
仁藤、石巻の二人がノビた教師たちを隅に運ぶ。
「悪ぃ、二人とも!」
櫻井は再び神奈の前に立った。
「先輩!」
体育館の二階から櫻井に照明が焚かれる。
水城と日野が櫻井に照明を当てていた。
「皆……」
櫻井は感極まり、目を潤ませる。
「さー坊」
「聡助」
「櫻井君」
「先輩……」
櫻井の取り巻きたちが櫻井の成功を祈る。
「美穂姉、俺と一緒に行こう!」
櫻井は神奈に手を差し出した。
「聡助……お前、こんなことしてタダで済むと思ってるのか?」
「大丈夫。俺はどうなったっていい。美穂姉が辛い思いをしないことの方が、はるかに大事だから」
「お前……」
神奈は困惑の表情で櫻井を見る。
「美穂姉、行こう!」
櫻井は神奈の手を取り、すぐさま駆け出した。
「櫻井君!」
子守から鍵を預かった姫野が扉を開けた。
「ありがとう、姫!」
櫻井は神奈とともに、扉の外へ出た。姫野は櫻井が外に出たことを確認すると、再び扉を閉めた。
体育館の中では、何が起こったかも分からず悲鳴を上げる者、ただその場に伏せている者、状況を理解し、呆然とする者、櫻井の一連の行動を見ていた者、様々な様相を呈していた。
阿鼻叫喚の嵐が体育館を包む。
「死にたくない! 死にたくない!」
パニックに陥った生徒たちが櫻井の声をかき消し、行動をくらませていた。
赤石と高梨は膝で這い、体育館の隅に避難し、小窓を開けた。
「催涙弾か」
「といったところかしらね。実際は何か分からないけれど」
ケホケホ、と高梨が咳き込む。目に涙を浮かべる。
「こんなところでお前の泣き顔が拝めるとはな」
「馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ」
ケホケホ、と高梨は咳をする。
「ちょっと行って来る」
「こんな状況でどこに行くのよ」
赤石は未市の下へと向かった。
煙が濃く、まだ視界の悪い中、赤石は未市のいた場所まで向かった。
体育館の煙は徐々に薄くなってきている。数百名の人間の混乱に耐え、体中を揉まれながら赤石は未市の下へと向かった。
「…………」
未市はそこで、立ち尽くしていた。
ただ上を見て、その場に立ち尽くしていた。
「先輩」
ゲホゲホと赤石は咳き込みながら赤石は未市の傍に座った。
「先輩」
赤石は未市の袖をくいくい、と二度引っ張る。
煙が充満する中で未市は座ることすら、していなかった。
「先輩……?」
赤石は口元をハンカチで押さえながら立ち上がった。
未市の顔を、見る。
未市は涙を流し、洟を流し、ただ天を仰いでいた。
「先輩、体に異変が出てますよ」
赤石は未市にティッシュを渡した。
「悪いね」
高梨は赤石を気にせず、洟をかんだ。
それでも未市は座ろうとはしなかった。
「これが、私の卒業式か……」
未市の涙が催涙弾によるものなのか、そうでないのか、赤石には判断できなかった。
「辛いな……」
未市はぼそ、と呟いた。
「櫻井君が私の下に来た時からずっと、もう普通の卒業式は送れないんだと理解したよ」
未市は赤石の声を聞かず、ただ一人、言う。
「あそこで私が櫻井君を排斥したとしてもこうなってただろうね。少なくとも、皆が平常心で動画を見ることは出来なかっただろうね」
「そうですね」
「……」
未市は袖で目元を拭った。
「いいさ、どうせ全部私の自己満足だったんだ。たった一度の高校の卒業式を華やかに締めくくろうと、そう思っただけさ。ただの私の自己満足だったんだよ」
未市は拳を握りしめる。
「でも、それでも」
未市は言葉に詰まる。
「普通に動画を見るような卒業式が、送れてれば良かったと、そう思うよ……」
「……」
「これも私の卒業式の華やかな思い出になるのかな……」
「……」
「皆に楽しんでほしかっただけだったんだけどな……」
「……」
「辛いな……」
「…………」
赤石は、何も言うことが出来なかった。




