第292話 修了式はお好きですか? 2
「じゃあ今日も出席取るぞ~。赤石」
「はい」
神奈が生徒の名を読み上げていく。
「新井」
「はい」
神奈は淡々と、読み進める。
「櫻井」
「……」
「は欠席……か」
神奈は少し寂し気な顔をして、出席簿に記録した。
修了式当日、櫻井は、ここにはいない。
何があったのか、いや、何があろうと自分には関係ない、と赤石は窓の外に目をやった。
「はい、以上だ」
神奈は出席簿をぱたん、と閉じた。
「これでお前らの先生をやるのも最後になります」
神奈は改まった顔で赤石たちに話し始めた。
「この修了式が終わればもう私はこの高校にはいません」
「……」
「お前らと過ごしたこの一年間、修学旅行だとか文化祭だとか体育祭だとか色々問題もあったし、大変なこともいっぱいあった。でも私は、お前らの先生になれたことを嬉しく思う」
神奈は教室の端から端を悠然と見渡す。
「ありがとう、お前ら。そして、さようなら。今日で私はこの高校の先生を辞めます。おつかれさん!」
「……」
ぱちぱちぱち、と小さな拍手が鳴る。
「先生、いかないで……」
「ぐす、ひぐっ……」
神奈の転勤を悲しむ声がする。
「泣くな泣くな、高校生にもなって」
神奈も目を潤ませ、充血した目で生徒たちを慰める。
「さ、あと十分くらいで修了式に向かうぞ。それまではお前ら、大人しく待機しとけよ~」
神奈はそう言うと、教室から出た。
「先生ともお別れですわね」
「そうだな」
「……泣いてますの?」
「どこを見てそう思ったんだよ」
花波が後ろから赤石に声をかける。
「一年間も一緒にいて、随分と不義理なことですね」
「どうせ先生が出なくても一年もしたら俺らから高校卒業だろ」
「愛がないですわね」
「なくて結構」
花波との雑談をしているうちに修了式の時間となり、神奈が帰って来る。
「よ~し、お前ら廊下に並べ~。体育館行くぞ~」
赤石たちは廊下に出た。
「寒~~!」
「寒すぎ!」
女子生徒たちが互いに背中をさすりあう。
「女子ってほんまああいうの好きやんな」
「そうだな」
三矢と赤石が女子生徒を見ながら呟く。
「赤石きゅん、俺たちも……」
「キモい」
「そんなぁ……」
ほろほろほろ、と三矢がその場にしなだれる。
「三矢殿、邪魔になりますぞ」
「今から立つわい!」
三矢は立ち上がった。
「本当男子ってああいうことするよね」
三矢を見て女子生徒たちが嫌そうに言う。
「言葉が返って来たな」
「おかえり!」
三矢は抱きしめるように両手を広げた。
「きも」
三矢の愛はそっけなくかわされる。
「体育館行くか」
「よし、行くぞお前ら~」
神奈を最後方にして、赤石たちは体育館へと向かった。
「赤石君」
「ん」
向かう途中、廊下が人でごった返す。
高梨が赤石の耳元で囁く。
「人が多いわね」
「そうだな」
「働き始めたらこんな風に人に揉まれる満員電車に乗らないといけないのかしら」
「場所によるだろ」
「嫌ね、セクハラされそうで」
「そうだな」
高梨が近くにいる男子生徒に怪訝な目を向ける。
「男子生徒だけ隔離する法律を作ってくれないかしら」
「恐ろしい世界を作ろうとするな」
「美少女菌がついちゃうわ」
「善玉系で菌を扱う奴は初めて見たよ」
高梨が頬を膨らませる。
「赤石君、守ってくれないかしら」
「何から何を」
「隕石から地球を」
「だとしたら無理だ」
「汚らわしい男の手から美少女を」
「神奈先生の所に行って来る」
「殺すわよ、あなた」
高梨が赤石に厳しい目を向ける。
「あなたが神奈先生を美少女として認識していたことが驚きだわ」
「同級生でそんなことを言えば確執が出来るだろ」
「大丈夫よ、私は公的に美少女だから」
「私的だろ」
「確かに詩的ではあるけれど」
「多分思い浮かべてる漢字が違う」
高梨は髪をかきあげる。
「むさくるしい男の地獄を抜けて早く体育館につきたいところだわ」
「人は確かに多いな」
赤石たちは体育館へとたどり着く。
「生徒の皆さんは順番に並んでください」
体育館で生徒向けのアナウンスがされる。
赤石と高梨も自クラスの指定席へと座る。
「……ちっ」
「……」
赤石の隣には新井が座る。新井は舌打ちをした。
赤石は新井を瞥見し、静かに座る。
「席に座ってお待ちください」
学校中の生徒たちが席に座るまで、赤石たちは静かに席に座っていた。
教師たちは体育館の二階に上がり、カーテンを閉め始める。
明りに包まれていた体育館が薄暗くなる。徐々に暗くなり、生徒たちも全員体育館へと入った。扉が閉められ、体育館は暗闇に包まれる。
「あ~、あ~」
マイクの調整が入る。
「生徒一同、起立」
修了式が、始まった。
生徒たちが一斉に立ち上がる音がする。
「それではただいまより、修了式を始めます」
暗闇の中で舞台に光が当てられた。
「今回のプログラムを読み上げます」
舞台の上で生徒が修了式のプログラムを読み上げる。
修了式の終了間近、三年生による動画が映し出されることを、赤石は知っている。だが、プログラムでは三年生の挨拶、としか発表されなかった。
「以上で修了式のプログラム発表を終わります」
生徒が降壇する。
「着席」
修了式にお決まりの、何度も起立と着席を繰り返す儀式に赤石はうんざりとする。
「まずは、ご来賓の方々のご紹介を始めます」
見たこともない四十代頃の男性、女性が生徒たちに言葉を残していく。
赤石は話半分に聞き流し、未市の動画がどうなるかばかりに気を取られる。
考え事を続けながら、修了式が少しずつ進む様子に、いくばくかの緊張をしていた。
自分の考えた脚本はどうだっただろうか、受け入れられる演出だろうか、生徒たちは反応してくれるのか、不評ではないか、三年生を送るものとしてふさわしかったのか。
ぐるぐると考えながら、起立と着席を繰り返す。
「次に、校長先生のお話です」
校長が登壇する。
校内でも話が長いと有名な校長が登壇する。生徒たちの顔に不平不満の色があらわれる。
「え~、皆さん、結婚に必要な三つの袋をご存知ですか」
結婚の話から始まり、校長はその後三十分話し続けた。
「以上です」
校長が降壇する。
「着席」
今回は貧血で倒れる生徒がいなかったな、と赤石は辺りを見渡しながら着席する。
「次に、今回で転勤される先生方のご紹介をいたします。ご登壇ください」
今回の修了式で転勤する教師たちが登壇した。
そして神奈もその中に、いた。
「転勤される先生方からの挨拶です」
転勤予定の教師が順に挨拶をする。
「江東です。今回転勤することになりました」
一人五分ずつ、学校内で覚えている出来事、生徒の個性、時代の流れなどを述べていく。
「え~、今回転勤する神奈美穂です」
そして神奈がマイクを手に取った。神奈も同じく、当たり障りのない述懐をする。
「以上で先生方からの挨拶を終わります」
教師からの挨拶も終わり、ついに三年生の出し物の順番が回ってきた。
自分がやることではないとはいえ、赤石はどぎまぎする。
「今回三年生の挨拶ですが、三年生から出し物があります」
「え~~~」
「嘘……」
「聞いてねぇ」
体育館内が若干のざわめきに包まれる。
「三年一組、未市さん、ご登壇ください」
「はい!」
普段のお茶らけた態度とは裏腹に、生徒を導き、長としての威厳と誇りを持った未市が、胸を張り立ち上がった。
未市が登壇しようとしたその時、
「この修了式、ちょっと待ったーーーーー!」
体育館の入り口の扉がガラガラ、と開かれた。
暗闇に目が慣れていた生徒たちは、唐突に入って来た大量の光に目を細める。
「この修了式、待ってもらう!」
櫻井聡助その人が、体育館の扉を開けて、そこにいた。




