第291話 修了式はお好きですか? 1
「ふぅ……」
修了式当日――
高校二年の赤石たちは修了式を迎えようとしていた。これが終われば、赤石は三年生になる。
「赤石君、私の服装は問題ないかな?」
朝早くから準備をしにやって来た赤石、未市、岡田の三人はお互いに服装をチェックしあっていた。
「はい」
赤石は未市の一瞥した後、そう答える。
「もうちょっとよく見てくれないかな?」
未市は赤石の顎を持ち、くい、と自分に向ける。
「問題ないと思いますが」
「ちゃんと見てくれないかな。今日は私の人生でたった一度の晴れ舞台なんだ。私のこの綺麗な顔、綺麗な体、そしてこの綺麗な服に泥の一つでもついていたら大変な不名誉になるだろう?」
「はあ」
赤石はじろじろと未市を見てみるが、やはり特段これといって何もなかった。
「まぁ大学の卒業式とか成人式とか結婚式とかまだまだいっぱいありそうなもんですけど」
「お黙り!」
未市は赤石をビンタする。
「ぼ、暴力反対!」
「君が分からないことを言うからだよ」
「分からないことを言ったら暴力を振るってもいいんですか!」
「美少女は暴力を振るっても問題ない。そんな基本的な法律も忘れたのかい?」
「会長が美少女かどうかはジャッジが必要だと思いますが」
「もっと折檻が必要なようだね」
未市は笑顔で赤石に近づく。
「未市さんが世界一です」
「分かればいいんだよ、分かれば」
赤石は胸を撫で下ろした。これが白雪姫に出てくる鏡の気持ちか、と得心がいく。
「ほら」
未市はその場で一回転する。
「私の服に縮れた毛でもついてみたまえ。末代まで痴れ者の恥知らずと馬鹿にされること間違いないだろうよ」
「だから本当に何もついてないですって」
赤石は未市から目を逸らす。
「ほう。少年、思春期と見たね。この大きなおっぱいが怖くて仕方ないか⁉ ほうれ、ほうれ」
未市は自身の胸を揺らす。
「品がないですよ。止めてください」
「自分のやりたいことも出来ずに何が人生か。私は今まで自分の人生に一欠片の悔いも残したことはない!」
未市は空に向かってガッツポーズを取る。
「岡田さんも何とか言ってくださいよ」
「もう遅いから」
ははは、と岡田は無感情に笑う。
「これが自分のやりたいことをやれなかった人間の末路だよ、赤石君」
「そんなことないですよ。ねえ、岡田さん」
「いや、そんなことあるよ。僕はね、この高校に入学してからそこの会長にずっと振り回され続けたんだ……。これでもかというほどね……! 憎くて憎くて仕方ないよ」
「そんな、止めてくださいよ修了式でギスギスして」
赤石が未市と岡田の間を取り持つ。
「この人は僕のことを奴隷か何かだとしか思ってないんですよ。今までも散々無茶なスケジュールを僕にばかり押し付けてきて……僕がどれだけ苦労したことか……」
「信頼してるからじゃないか」
「やりがい搾取には騙されませんよ!」
なんだかんだと言って三年間つるんできた仲なら大丈夫そうだな、と赤石は微笑む。
「岡田は私の裸の隅から隅まで見られたんだからな。本来なら私がお金を取ってもおかしくないはずだ!」
「見てません、そんなもの! 汚らしい!」
「き、貴様、乙女の……それも女子高生の柔肌に向かって汚らしいとはなんだ! 異性に裸を見られた女の子の気持ちが分からんのか!」
「見てないって言ってるでしょ!」
「私の裸まで見られて……もうお嫁にも行けない……!」
よよよ、と未市は泣く。
「私はもう岡田と結婚するしかないのか⁉」
未市は泣きながら赤石を見る。
「結婚しません! 会長と結婚するくらいなら奈良の雌鹿と結婚します!」
「そんな殺生な! 私の魅力は鹿以下だというのか⁉ しかも奈良という限定した土地の中で! 私はこんなメリハリボディだというのに!」
未市は自身のボディラインをなぞる。
「人間の価値は外見だけで決まるものじゃないんです」
「うぅ……」
岡田はその間もてきぱきと準備をする。
「赤石君、私はどうすれば……!」
未市が赤石を頼る。
赤石は未市の肩をぽん、と叩いた。
「多分何とかなるんじゃないですかね」
「適当すぎる!」
未市は立ち上がり、再び胸を張った。
「赤石君も私の裸を見た関係性だからね。私に結婚を迫られた時は断ることは出来ないよ」
「そんなシーンありました……?」
全く身に覚えのない告白に、赤石は目を白黒させる。
「虚言癖なんですよ、そこの会長は」
「岡田、赤石、十年後に社会的に地位を得ているほうと結婚してもいいぞ!」
「それは僕たちが決めることですから!」
岡田は憤慨しながら、よいしょ、と立ち上がった。
「赤石君、私の体を隅から隅まで、余すことなく見てくれたまえ! そう、私のリビドーが暴発する前に……!」
「そんなだから会長こんな扱いになるんですよ」
「恥じらいなど乳歯と一緒に捨ててきた! さぁ、私の綺麗な体に汚い何かがないことを確認してくれ!」
赤石は未市の無茶に強いられながら、動画の準備をしていた。
未市との準備を終えた赤石は教室へ戻って来た。
「早いですわね、赤石さん」
教室には、花波だけがいた。
「そうだな」
「おはようございます」
「ああ」
「おはようございます」
「……」
「おはようございます」
「おはよう」
花波はにこ、と笑う。
「今日は修了式ですわね?」
「そうだな」
「赤石さんは今までどちらへ?」
「今来た」
「ダウト、ですわ」
赤石は小首をかしげる。
「電車はこの時間にありませんわよ?」
「なんでもいいだろ」
「隠し事は嫌いですわ」
「人間なんだから隠し事の一つや二つあるもんだよ」
赤石はカバンからスマホを取り出した。
「人と話す時にスマホをいじる人は嫌いです」
花波は赤石のスマホを取り上げた。
「出しただけだろ」
赤石は花波からスマホを取り返し、カバンにしまった。
「高梨さんとは嘘偽りのない関係性なんではありませんくて?」
「高梨は長いからだ、って言っただろ」
「私にも嘘を吐かないでください」
「なんでだよ」
「私は正しい関係性を作りたいんですの」
きっ、と花波が赤石を見る。
「女と作っとけよ」
「性別で区別するのはナンセンスですわ」
「い~や、違うね。別の生き物なんだから区別するべきだ」
「そんなことはありません。性別が友愛の障壁になってはいけません」
「なるね。間違いなく。男は力があるから重い物を持つ。女には持たせない。これは世界の絶対遵守のルールだ。力が違う以上、お前は俺たちに常に恐怖心を抱くはずだ。そしてこっちはそれを分かった上で行動することを求められる。この世界っていうのはいつだって、与えられた役割を遂行するように求められてるんだよ」
「そんなの、あんまりですわ」
花波がしゅん、と落ち込む。
「皆仮面を被って生きてんだよ。皆与えられた役割を遂行しようと必死なんだろ。与えられた、求められた人間性を演じることを強制させられて、矯正させられて、自己表現という場を失っていく。俺だってお前だって、ずっと閉じ込められてるんだよ。学生という立場なら、学生である演技をしろ。男なら男の演技をしろ。女なら女の演技をしろ。演技をするためのものは与えられているはずだ。これが世界が俺たちに強制しているルールだろ」
「私はそうは……思いません」
花波は段々と声を小さくする。
「だから男と女は分かり合えないし、友達にもなれない。世界がその役割を与えていないから。俺たちはずっと演技をして生きていくんだよ。他人の想像している自分を演じ続けて生きていく」
「ならそれが、あなたが誰かに求められた性格ですの?」
「……かもな」
赤石は押し黙った。
「そんな人生は、とてもつまらないと思います」
「つまらないよ、俺は既に。お前もだろ」
「……」
花波と赤石はお互い同じく扉を見ながら会話する。
「私、最近リスカしてませんの」
花波は手首の生傷を赤石に見せてきた。
「リスカすることで私が私でいられたんですの。でも、最近はしてませんの」
花波が赤石を見る。
「あなたが与えてくれた居場所ですわ」
「自分で勝ち取った居場所の間違いだね」
「あなたが私に居場所を与えてくれた」
「自分に居場所を勝ち取る力があった」
「あなたのおかげですわ」
「お前の力だ」
「私には居場所がなかった」
花波は続けて言う。
「全て私の心の弱さで、私の間違いだったんですわ。あなたはいつだって正しくて、いつだって私に道を示してくれましたわ」
「そんな人間はこの世界には存在しない。自分が正しいと思っているような連中は総じて馬鹿だと思うね」
「あなたは正しくない、と」
「少なくとも、な。俺は誰かに正しいと思われるようなことはしていない。いつだって人間は間違って、間違いを認めて成長していくもんなんだよ。自分が正しいと主張して自分の考えにそぐわない人間を叩いて、説教をして、そんな独善者は嫌いだね。他人に迷惑をかけないように生きていきたいもんだよ。間違いの数だけ心が成長していくと思うね。だから存分に間違うべきだし、正しさは押し付けるものでもないはずだ。迷惑もかけていない何者かを嘲笑して正義の力ですりつぶしてやろう、だなんてのは極悪だ」
「そうです……の?」
花波は赤石の手を包んだ。
赤石はびく、と花波から距離を取る。
「私はあなたを肯定しますわ」
「……気持ち悪いな」
花波は再び赤石の手を包んだ。赤石は今度は、逃げなかった。
「お友達が増えましたから、嬉しいんですの。私はあなたに感謝したいんですの」
「俗に言う、ちょろいんっていう奴だな」
「なんですのそれ?」
「自分がどん底に落ちてる時に救ってくれる男に好意を示す奴のことだよ。どん底に落ちてる時にだけいい顔をしてくるような奴にロクなやつはいないと思うけどな。どん底に落ちる前にこそ、救ってやるべきだ。落ちるまで待ってるような奴に信頼するのは間違ってると思うね。UFOキャッチャーじゃねぇんだから」
「ふふ、そうかもしれませんね」
扉がガラガラ、と開く。
「……っ!」
暮石だった。
花波は赤石から手を離す。
「お、おはよう……」
「おはようございます」
「……おはよう」
暮石はびくびくとしながら、自席に座った。
「……? 暮石さんと何かありました?」
「……かもな」
暮石の態度に奇異なものを感じた花波は赤石に小声で聞く。
また余計な誤解を増やしたのかもしれない、と赤石は目を細めた。
そしてホームルームがやって来る。
「お前ら、今日は修了式だぞ。泣くなよ~」
神奈が教卓で生徒を前にして、言う。
生徒たちは神奈の声に、弛緩した空気を作る。
「……」
櫻井は、欠席していた。




