第285話 正月はお好きですか? 4
「あ、そういえば」
階段を上がる最中、三千路が思い出したように呟いた。
「もしかして今悠人ぱっぱいる?」
「いる」
三千路はくる、と右を向いた。
「ちょっと悠人ぱっぱと会って来る」
「そうか」
赤石、須田、高梨の三人は赤石の私室に入り、三千路は父親の部屋へと向かった。
「パパーーー!」
三千路と上麦を放り、赤石たちは部屋で座り込んだ。
「随分メンバーが減ったのだけれど」
「そうだな」
「三千路さんとあなたのお父さんとはどういう関係なのよ」
「知らん」
「何かただれた関係性を感じるわ」
「そんなものはない……多分」
赤石は部屋の入り口を気にする。
「あなたの父親ってどういう人なのかしら」
「普通のおじさん」
「普通って何よ。統貴、どういう人なのかしら」
高梨が須田に水を向ける。
須田は赤石の私室で今日もまた、持ってきたおもちゃを並べジオラマを作っていた。
「なんか諜報機関のスパイみたいな人」
「ますます想像がつかないわね」
「でっかくて強そう」
「赤石君のひ弱な体からは想像もできないわね」
「悪かったな」
高梨は小首をかしげる。
「鈴奈がいるんだから、お前も行ってきたらどうだ」
「嫌よ、他人の父親なんかになんて会いたくないわよ」
「それもそうだな」
赤石は本棚から本を取り、ベッドの上で読み始めた。
「……」
「……」
「……」
赤石は本を読み、須田はジオラマを改造し、高梨はその場で正座して座っていた。
「もしかして、正月早々に赤石君の家に来たのは悪かったかしら」
「もしかしなくても悪かったと思うぞ」
「悪かったわね。私が美少女じゃなかったら今頃歓待されてなかったところね」
「別に今も歓待されてないだろ」
高梨は床に正座している。
「……」
「統貴、あなたは毎回赤石君の家でそんなくだらないものを作っているの」
「いいだろ。これ十年以上前から作ってるから結構レアなおもちゃもあるんだぜ」
「あなたたちはそんなに昔から知り合いだったのね」
「そうだなぁ」
須田は足を崩した。
「あれは俺がまだバドミントンのことをバトミントンだと思ってたくらいの頃だったかな……」
「何歳くらいか想像がつかないわよ」
「お菓子を持ってたまたま悠の家に遊びに来た時に、欲しいおもちゃが出なくて駄々こねちゃってな」
「あったな」
赤石は遠い目をする。
「そこで悠が、いらないおもちゃならここに飾っていきなよ。僕の部屋を彩るおもちゃの王国の国民になるんだよ、って、言ってから、泣き止んだんだったかなぁ」
「そんなだったか?」
赤石は、くく、と苦笑する。
「あの時、欲しいおもちゃじゃなくても悠の家に置いて行けばおもちゃの王国にいられるんだ、って思ってなぁ、それから今までずっと悠の家に駄菓子のおもちゃ置いてんだよなぁ」
「そんな過去があったのか」
「なんであなたが感心してるのよ」
赤石は万感の思いを寄せる。
「価値のなかったおもちゃに価値をくれた悠は、その時は本当にすごいやつだ、と思ったな」
「年端もいかない子供時代って、おかしな人間を敬ったりするものよね」
「この場合はお菓子な人間だな」
「黙りなさい」
赤石たちはジオラマに視線を向ける。
「悠は俺にとってのヒーローだったな、あれからも、今も」
「……」
「気持ちの悪い時間が続いてるわね」
「お前が言わせたんだろ!」
須田がかはは、と笑う。
「冬休みが明けるわね」
「そうだなぁ」
「まだ一週間くらいあるだろ」
高梨が赤石の部屋のカレンダーをぺら、とめくる。
「いつまで去年のカレンダーなんて置いてるのよ。燃やすわよ」
「燃やすなよ」
赤石はカレンダーを取り、新しいカレンダーをぶら下げた。
「赤石君と出会って、もう長い年月が経ったわね」
「数年ってところだろ」
「そう……ね」
高梨は赤石のベッドに座る。
「随分と大所帯になったわね」
「……」
「最初は俺と悠とすうしかいなかったのになぁ」
須田も赤石のベッドに座った。
「これからもっと増えていくのかなぁ」
「増えないんじゃないか」
「それはまたどうして」
「人間関係なんて風船みたいなもんだ。一度手を離れて行けば、二度と返って来ない。飛ばすのは簡単だが、戻すのは至難の業だ。手に持つ風船が増えれば増えるほど、二度と返って来ない風船も増えるようになるだろうよ」
「またあなたは……」
はあ、と高梨が頭を抱える。
「陰気ね」
「事実だろ」
「私は色んな人と係われて嬉しいわよ」
「そうか」
「……」
階下でオーブンを使う音がする。
隣の部屋でどたばたと騒ぐ音がする。赤石たちは静かに、耳をすました。
「私、今楽しいわよ」
「……そうか」
高梨は、赤石を見ると、に、と微笑んだ。
柔らかな高梨の笑顔に、赤石は胸が跳ねる。
「お父様ともなんとか関係を続けることが出来てるわ」
「そうか」
「早いうちに結婚しろ、とは言われてるんだけれどもね」
「……」
高梨はそのまま倒れるように、どさ、と赤石のベッドに寝ころんだ。
「……」
「分かった、分かったわよ。もういいわ、あなたの好きにしなさい。私の体は好きに出来ても、心まで好きに出来るとは思わないでよ」
「はい」
高梨は顔を隠し、ぷるぷると震える。
「好きにしなさい」
「笑うなよ」
あははは、と高梨は笑い、起き上がった。
「面白いわね」
「お前はな」
「止めて! そんなこと言われたって私は何もしないわよ!」
須田が胸元を手で隠し、赤石のベッドに寝ころんだ。
「はい」
「何なのよ、さっきからはいはいはいはい」
「いいえ」
須田は相手にされず、そのまま起き上がった。
「赤石君、あなた行く大学は決めたの?」
「北秀院」
「地元ね」
「地元な男なんだよ」
「統貴は?」
「俺も北秀院」
「地元ね」
「地元な男なんだよ」
「デジャブ?」
高梨は小首をかしげる。
「じゃあ私もそこにしようかしら」
「お前が……?」
赤石が怪訝な目で高梨を見る。
「お前程度の学力があればどこにだって行けるだろ。なにも北秀院になんてしなくても……」
「赤石君がいるなら統貴も三千路さんも、他にもいるでしょう。なら私もそこでいいわよ」
「止めておけ。お前にはもっと多くの選択肢がある。自らの選択肢を狭めるようなことなんてするな」
「何よ、お友達でしょう?」
「そんな理由で決めようとしてるのか?」
赤石が責めるような口調で、言う。
「何よ、何よ、なんで私ばかり責められるのよ。統貴だって、三千路さんだって、そうなんでしょ?」
「俺はそうだよ」
須田が口を挟む。
「統貴も三千路も、北秀院に行くなら、高い目標なんだよ。俺がちょうど適切で、お前はもっと上に行けるはずなんだよ」
「別に大学なんてどこに行ったって……」
「一緒じゃ、ない」
赤石の語気に、高梨がひるむ。
「どこの大学に行ったって一緒なわけないだろ? カリキュラムだって上に行けば行くほど選択肢が広くなる」
「会社に入ることになったら大学なんて関係ないでしょう?」
「関係ないわけないだろ。少なくとも上に行けるお前はそれだけの傑物だ、と証明できる理由にもなる。どうやったって、絶対に関係してくるんだよ。全く関係して来ないなんてことはないんだよ」
「大学で判断するのは咎められるはずよ」
「それでも、世間はそうなるんだよ。上に行けば行くほど、お前には数多くの選択肢が与えられるんだ。俺たちと一緒にいたいからって、自分の可能性を狭めるな」
諭すように、諦めさせるように、赤石は言う。
「何よ、何よ……」
高梨は一人だけ責められ、いじけたように赤石のベッドを指でくるくるとなぞる。
「統貴が良いのになんで私はダメなのよ! じゃあ私が今から勉強しなかったら良いわけ? そしたらちょうどいいレベルになったね、ってあなたは喜んでくれるわけ⁉」
「なんで俺の言ってることが分かんねぇんだよ。大学まで俺たちに合わせる必要なんてない。お前はお前の道を歩め。お前はお前の進みたいように進め。お前の道は、お前が切り開くんだよ」
「なんなのよ……」
高梨が恨めしそうに、赤石を睨む。
「私だって……私だって統貴みたいにあなたたちと一緒に……」
「お前はすごい奴だ、俺たちになんて合わせなくてもいい。俺みたいな俗物になんて、合わせなくてもいい。お前はもっと高みを目指せ」
「……」
「俺に合わせようとするな。お前はどこに行ったって、一人でだって、上手くやっていける」
「うまくやっていけなかったじゃない!」
高梨が立ち上がり、声を荒らげた。
「お父様の言うことには逆らえなくて、櫻井君の周りでうろちょろしてただけのくだらない女じゃない!」
「……」
赤石は気圧される。
「あなたが……あなただって私のことを誤解してるでしょ! 私は! 私は、あなたが思ってるようなすごい人間じゃない! あなたが思ってるような偉大な人間でもない! ほんの、ほんの普通の女の子なのよ! 普通に可愛いものが好きで、普通に甘いお菓子が好きで、普通に男の子と恋愛して、普通に楽しく遊びたいだけの、普通の女の子なのよ!」
「……なら、お前はお前自身を誤解してるよ」
突き放すように、赤石は言う。
「私も……私も、あなたたちと一緒にいたいのよ! 私だけ離れ離れになるなんて嫌なのよ!」
高梨が連日にわたって人を呼んでいた理由が、赤石は分かったような気がした。
「私はあなたがいないとお父様の言いなりになって過ごすだけだった、ロクでもない、何もできない女の子なのよ! あなたと一緒に大学に行きたいのよ! そんなに言うのなら、私はもう勉強なんてしないわ! あなたと同じレベルまで落とすわ!」
「止めろ。考えすぎだ」
高梨は赤石と対峙する。
「私……私、あなたがいないと友達の一人も出来なかったのよ! あなたが、あなたが私に友達を作ってくれたのよ!」
「俺に恩を感じすぎだ。お前は一人で大学に行ったって、上手くやっていける。お前はもう誰にも縛られない。お前一人で大学の交友関係を、華々しく築けるはずだ」
「違う……出来ない、私にはそんなこと……」
高梨はその場にへたり込んだ。
「私には、そんなことは出来ない……。所詮、あなたのおかげで出来た友達なのよ。あなたがいないと、私には誰もついてこないわ……」
「そんなことない。頑張れ、お前なら出来る。お前はすごい」
赤石が高梨の肩を持つ。
「大学に行ってからも、あなたは私を友達として認めてくれるのかしらね。違う大学に行ったとしても、覚えてくれてるのかしらね……」
高梨は自嘲気に呟く。
「あなたは私がしたいようには、させてくれないのね……」
高梨はうるんだ目で、赤石を見る。
「最終的にはお前の判断だ。でも、自分の能力を低く見積もるようなことはするな。俺はずっとお前の味方だよ」
「そう、かしらね……」
「……」
赤石たちの冬休みは、苦い思い出を引きずったまま、終わった。




