第279話 花波の家はお好きですか? 3
「赤石さんたちとお友達になれて嬉しいですわ。今度から私はあなたたちと一緒に行動を共にしても良いんですわよね?」
「おもちろんだよ!」
三千路が親指を上げる。
「ありがとうございます、皆さん」
花波は頭を下げた。
「では手始めに赤石さん」
「……」
「水が欲しいので、私の分をくんできていただいてもいいですか?」
「……」
赤石は花波を瞥見する。
「あなたが好きなのはこういう関係なのでしょう? 嘘偽りのない、正しい関係」
「はぁ……」
赤石は立ち上がり、ウォーターサーバーへと向かった。
紙コップを探し、水を入れる。
「ありがとうございます、赤石さん」
花波の言葉を聞きながら、赤石は筆舌に尽くしがたい不安を、抱えていた。
自分の身の回りに人が増えていくことが、赤石は怖かった。何か大きな揺り戻しがあるんじゃないかと、不安に思わずにはいられなかった。
人間は嫌いあい、憎しみあう。
そしてその批難の対象になるのは絶対に自分だと、自覚していた。
自分に良くしてくれる人が増えれば増えるほど、到底他者に許容されないであろう自身の心を開示することが、どんどんと怖くなっていった。
今まで自分に良くしてくれた人たちが自分のもとからいなくなり、自分の悪辣な心を開示した途端に手のひらを返し、嗤い、蔑み、貶め、ありとあらゆる困難を突き付けてくるのではないかと思い、ならなかった。
醜く汚い自分の心が近くにいる誰かに開示された時に、誰も自分を擁護してくないのではないか。誰も自分のことを愛してはくれないのではないか。皆自分のもとから去ってしまうのではないか、そう思うのが、怖かった。
自分の周りに人が集まるたびに、赤石の心には段々と恐怖と不安が増えていく。
どこかで周りにいる人を間引かないといけない。どこかで減らさないといけない。赤石は躍起になって、他人に嫌われるようにしていた。
いつか、どこかで大きな問題を起こし、周りの多数の友達から悪意を受けることが、怖かった。
そして自分は今まで自分が好意的に接していた多くの友達から悪意を受けて、自分の心が壊れてしまわないか、怖かった。
だから、赤石は自分の身の回りに多くの人を置かない。離れていく人が少なければ、自分の心に負うダメージも少ないから。
背負った心の痛みが小さければ、いつか戻って来ることが出来る。
自分の身の回りに多くの好意を持つものを置くということは、同時に自分に多くの負荷をかけていることにもなる。
赤石は自分の心が壊されることが、怖かった。愛されなくなることが、怖かった。
きっと愛されなくなるだろうという、自身の醜い心を、赤石は知っていた。
「赤石さん?」
赤石は花波の前に水を置いた。
「寝る」
赤石は三千路が座っていたマッサージチェアへと向かった。
「ちょっとお兄さん、さっきまで私が座ってたんですけども」
三千路がニタニタと笑いながら赤石の下へとやって来る。
「何すねちゃってんのよ、悠人くんはぁ。全く、可愛いんだから」
「うるさい」
「勝手にマッサージオンしちゃう!」
三千路はリモコンを押し、マッサージを起動させる。
「ごめんね花波ちゃん、悠人がすぐすねるおこちゃまで」
「そういう所も好きですわよ」
「全く、悠は」
三千路がテーブルへ向かい、変わるようにして花波がやって来る。
「嫌でしたか? 赤石さん」
「別に」
「私はあなたを裏切りませんわよ。絶対に。何に誓ってもいいですわ」
「櫻井大好きなお前の言葉に何の価値もないな。他人を裏切らない人間なんていないし、人間は憎しみあう生き物だ」
「理性ある限りは、誓ってもいいですわよ」
「勝手に誓ってろ」
赤石は不貞腐れた表情で話す。
「あなたは本当に」
花波はくす、と笑う。
「人を愛していますのね。人を、信じたいのですね」
「……普通だよ」
花波はくすくすと笑った。
「私もあなたと一緒ですの。絶対に裏切らない人間関係が、欲しいんですの」
「……そうだな」
赤石と花波はマッサージチェアの傍で話していた。
「では皆さん、また」
赤石たちが花波の家から出る。
「ばいば~い、楽しかったよ」
「私もですわよ」
花波は嫣然と微笑む。
「あの!」
赤石たちが背後を向いた時、花波が声を荒らげた。
「次は、いつ会えますの?」
「……」
三千路が須田と赤石を見る。
「多分年末年始くらいじゃないかな~」
「ええ、分かりましたわ」
「またね~~」
三千路と須田が手を振り、赤石たちは帰路についた。
「おうおう、兄ちゃんや、不服そうやねぇ!」
三千路がドスのきいた声で赤石に近寄る。
「別に」
「も~、いつまですねてんの~。おこちゃまなんだから~」
ほらほら~、と三千路が赤石の頬を指でつつく。
「新しい仲間が一人増えた、ってことで!」
「ああ」
赤石たちは雑談をし、帰った。
年末。
十二月三十一日――
「いやぁ、また水城の家来れるなんて嬉しいなぁ」
櫻井は首に巻いていたマフラーを取り、水城の家のソファへと座った。
「櫻井君」
「ん?」
水城が深刻そうな顔で、櫻井の下へやって来た。
「あ、紅藍さん……!」
水城の後ろから、紅藍がやって来る。
「どうしたんですか、二人で?」
「櫻井君、前は何もないフリしてたんだけど、言わないといけないことがあるの」
「い、言わないといけないこと?」
櫻井と水城はお互いに対面した。
「実は私の家、お父さんとお母さんが離婚します」
「…………え?」
櫻井は息を飲んだ。
「も、もしかしてそれって、俺のせいなんじゃ……」
「全然全然! 全然櫻井君のせいなんかじゃないよ!」
「俺が水城と付き合ったから、水城のお父さんが」
「全然違うよ! ねぇ、お母さん!」
「そうだね」
紅藍は赤く腫れぼったい目でにこ、と笑う。
「そして、私はお母さんと一緒に住むことにしました」
「あ……あぁ」
突然の告白に衝撃を受けた櫻井は小さな声でそう答える。
「ごめんね、櫻井君、こんなこと急に言って……」
「いや、俺はいいんだけど、紅藍さんが……」
「ごめんなさいね、こんなおばさんがみっともない」
紅藍は目頭を拭う。
「紅藍さんはおばさんなんかじゃ、ない! 綺麗で立派で素晴らしい女性ですよ!」
「櫻井君……」
櫻井が紅藍の両手を握り、励ます。
「確かに離婚することは残念です……。でも、それは水城のお父さんに見る目がなかっただけですよ! 見る目がないから、こんなに綺麗な人をみすみす逃すんだ! 紅藍さんが気に病むことなんて何もないですよ! 俺は、俺は紅藍さんの味方です! 一生!」
「櫻井君……」
紅藍は頬を赤く染める。
「紅藍さん、水城、俺は絶対に二人を裏切らない! これからは三人で仲良くやっていきましょう。紅藍さんは何も心配する必要ないですよ。紅藍さんは何も悪くない。大丈夫、俺たちなら出来る!」
「櫻井君……」
櫻井は紅藍と水城の肩を抱いた。
「一緒に頑張って行きましょう」
櫻井はにこ、と笑った。




