第30話 尾行はお好きですか? 7
赤石が不良に襲われ、数十分が経過した。
「いたわね」
「いたな」
一時、櫻井と水城を見失った赤石たちは、必至の形相で櫻井たちを探すことで、ついに都市部の駅近くの公園で櫻井たちを発見した。
二人は公園に常設されたベンチに座りながら、話をしていた。
日が落ち、よく分からなかったが、赤石は水城の顔が僅かに紅潮していることに気付いた。
体をもじもじとさせ、今にも告白をしそうだな、と考える。
顔は俯いてちらちらと櫻井を瞥見し、誰が見ても櫻井が傍にいることを羞恥しているようにしか見えなかった。
「結局、今日は聡助がデートしたのかそうじゃなかったのか分からなかったわね」
「そうだな」
水城の様子が気になって八谷の言葉が頭に入ってこないため、何一つ言葉を聞かず、そうだな、と、どの場面でも使える相槌で曖昧に返事をした。
水城はもじもじと上体を捩らせ、櫻井の顔をじっと見つめた。
水城が見つめたことで櫻井も、水城と対面して見つめ合った。
水城は胸に手を当て、夜だというのにその頬の紅潮がまるで見えるかのように、羞恥していた。
水城は深く深呼吸をした。
もう一度きっ、と櫻井に向き直り、口を開いた瞬間――
櫻井がこちらを見た。
完全に、目が合った。
「あ…………」
目が合った八谷は、自身の落ち度に気付いた。
櫻井と水城が何を話しているかを聞こうと身を乗り出したことで、物陰から大きく顔を出していたことに、気付いた。
「恭子! おーい、恭子ー! 恭子だよな? 何してんだ、そんなとこでー!」
それと同時に、櫻井が八谷を呼んだ。
自分と同時に櫻井が大声を出したこともあり、水城は驚き、目を丸くする。
「えっ、えっ、ええ、ええええええぇぇぇ! 恭子ちゃん⁉」
「あっ…………あはは、何やってるの、しおりんと聡助、こんなところで」
八谷は諦めて物陰から出る。
横目で赤石を見ると、既にそこに赤石はいなかった。
「あれ……あいつはどこに……」
ごくわずかな声量で独りごちる。
櫻井は八谷の下に走り寄って来た。
「恭子じゃねぇか、どうしたんだよこんな所で、奇遇だな!」
「そっ……そうね、聡助はどうしてこんな所でしおりんと一緒にい、いるのよ! もしかしてデートとか……私邪魔してるの?」
八谷の心配そうな声を聞き、櫻井は、屈託のない笑顔で笑った。
「あははははははは、違う違う、デートじゃねぇって。妹の誕生日プレゼント買ってたんだけど、ほら、俺男だから女の子が何が好きかとか分からねぇだろ? 水城は幼馴染だし俺の妹のこともよく知ってるから、今日は水城と一緒に誕生日プレゼントを選んでもらってたんだよ。なっ、水城?」
「そっ……そそそ、そうだよ! 私櫻井君に頼まれて誕生日プレゼント選んでたの! それで、電車が来るまでまだ時間があるからここで喋っててそれでさっき……」
しまった、と言いたげな表情を浮かべ、水城は両手で口をふさいだ。
「…………? しおりん、なんか今日変ね。なんだか夜なのに顔が赤いような気がするわよ。もしかして…………」
ごくり、と生唾を飲みこむ音が聞こえるかのような静寂が、場を支配した。
櫻井が、水城が八谷を見る。
「もしかしてしおりん、風邪ひいてるんじゃないの⁉」
「そっそそそそ、そう……かもしれない! ちょっと体がだるいような気がして……!」
必死になって、水城は言い募った。
八谷は慈愛の目で水城を見る。
「それは大変ね! 風邪引くと大変よ?」
「そそそそそ、そうだよね! 大変だよね!」
水城は顔を赤くして答える。
「ところで櫻井君……さっき私が言ったこと……聞こえた?」
「ん? 何か言ったのか、水城?」
「い……いや、何も聞こえてないならいいの! うん! 全然何もいってないから! うん!」
水城は、まくし立てる。
櫻井たちはその場で暫く話を続け、夜の公園に三人の声が姦しく響いていた。
「危なかった……」
赤石は、八谷の近くから戦線離脱していた。
いくら八谷が大丈夫だと思っていても、さすがに夜の公園で二人で発見されるのはマズいということは、分かっていた。
八谷が、あ……とくぐもった声を出していなければ、櫻井に見つかったということは分からなかった。
水城は――
櫻井に、何を言っていたのだろうか。
紅潮した顔、もじもじと上体を捩らせる妖艶な動き、とろりと溶け出しそうな目元、うっとりと見つめるその瞳、そして数文字程度であろうその口の動き。
「…………」
恐らくは、好きです! といった類の言葉を水城が発したのだと、考えられた。
櫻井はその水城の言葉を聞いていたのだろうか。
櫻井が八谷を呼ぶタイミングと水城が櫻井に告白するタイミングはほぼ同時だったんじゃないだろうか。
「…………」
赤石は、考える。
「……………………」
そんなことが、あり得るのだろうか。
丁度水城が喋り出したタイミングと赤石が八谷に気付くタイミングが、全くの同じ。
そんな、そんな天文学的な確率の事象が、あり得るのだろうか。
確率として存在することであるからして、一〇〇パーセント否定することは出来ない。
だが――
だが、それでもあり得ないと言わざるを得なかった。
櫻井は最初から気付いていたのではないか。
『ラ・トルシェ』に入る時も、ほんの一瞬、櫻井に見られた気がした。あれはただのの気のせいではなく、実際に見ていたのではないか。
自分は戦線を離脱して遠くから櫻井を見ていたが、どこかもう一人いるだろ、と言いたげな顔で辺りを見回していたのは、自分のことを探していたからではないのか……。
赤石は、櫻井の恐ろしさに感づく。
櫻井は、自分よりも何手も何手も上の人間なのかもしれない。
自分のようなありあわせの対応をする人間の何倍も、何十倍も全てを計画出来る人間なのかもしれない。
全て櫻井の計画の内、手中で踊らされているだけ、何もかもが櫻井の思い通りになっていたのかもしれない。
自分は、所詮操り人形の役目しか果たせていなかったのかもしれない。
「…………」
赤石は、考える。
今まで櫻井を軽蔑することはあっても、恐れることはなかった。
「俺は……」
俺は、櫻井を正しく認識出来ていなかったかもしれない。
学校での水城の告白も、恐らく公園での櫻井の告白も、全てが計画通りだったのかもしれない。
「…………」
真相は、分からない。
だが、櫻井の狂気に、計画性に、全てをきちんと理解しなければいけないのかもしれない。
櫻井を知らなければいけないかもしれない。
「櫻井は……」
櫻井は、狂気をその一身に集めているのかもしれない。
それこそ、今日見た映画と同じく、美しい白羽をその身に纏い、愛嬌を振りまき他者を油断させるが、その中には歴とした狂気があるのかもしれない。
『狂気の白羽』を、被っているのかもしれない。
「何が……何が真実なんだ…………」
赤石はこの時初めて、櫻井に恐れを抱くようになった。
カシャッ、カシャ。
その日、赤石も八谷も、共に気付かなかった。
尾行をしている際に、その尾行を誰かに尾行されるという、二重尾行の可能性を。
櫻井と水城とを尾行するのに躍起になり、自身が尾行されるという可能性に言及出来なかった。
また、自身が尾行されるはずがない、尾行する意味がない、と高を括っていた。そこに何の価値も発生しないと、承知していた。
「…………」
赤石と八谷との二ショットを撮った人物は口端を上げ、粘ついた笑みを顔に張り付けた。