第272話 動物園はお好きですか?
「は~」
冬。
冬休み真っ只中、水城は凍える手をさすりながら、目的地へと急いでいた。
「櫻井君……」
櫻井とのデートの決行日、水城は頬を赤く染める。
「あ」
目的地の時計塔の下で、櫻井はポケットに手を突っ込みながら、一人たたずんでいた。
「櫻井君……!」
「み、水城……!」
水城は笑顔で手を振り、櫻井の下へと向かった。
「ごめん、櫻井君、待った?」
水城は上目遣いで櫻井を見る。
「いやいや、全然。今来たばっかり」
「ごめんね、遅くなっちゃって~!」
「女の子の準備は時間がかかるんだから、そんな気にするなよ」
櫻井は水城の頭をぽんぽん、と撫でる。
「ちょ、ちょっと櫻井君……!」
水城は唇を尖らせながら、髪型を直した。
「女の子なんだから髪型も気にするんです!」
「悪い悪い、じゃあ行くか」
かかか、と笑いながら、櫻井は歩き始めた。
「でも三十分も前なのに櫻井君がいてビックリしちゃった。本当に、いつからいたの?」
「来たばっかりだよ」
櫻井は水城を見やる。
「もう、本当櫻井君って優しい……」
「ん、何か言ったか?」
「別にぃ~!」
水城は櫻井の腕に飛びついた。
「ちょ、水城、止めろって、こんなところで!」
周囲の男女から、櫻井たちは視線を浴びる。
「彼氏彼女だから別に見られても平気なんです~!」
「大胆になったというか、なんというか……」
やれやれ、と櫻井は肩をそびやかす。
「今日どこ行く?」
「ん~、今日はちょっと行きたいところあるかもなぁ」
「え~、どこどこ?」
「まぁついて来いって」
櫻井は水城の手を取り、歩き始めた。
「櫻井君も十分大胆なんですが……!」
「あはははは」
櫻井と水城は時計塔の下を離れた。
「ここは……!」
「そう、動物園!」
電車に揺られ、櫻井と水城は動物園にたどり着いた。
「水城、昔動物園に一緒に行ったことあっただろ?」
「うん、一年生の時だよね」
「あの時は恭子とか由紀とかに邪魔されちまったけど、今は二人きりだからな」
「櫻井君……」
「それに、水城のこと楽しませてあげられなかったしな……。だから、今日は目一杯楽しもうぜ!」
「うん!」
櫻井と水城は動物園を回り始めた。
「見て、櫻井君! 首長い!」
「水城、これはキリンって言ってな、首が長いのが特徴なんだぜ」
「し、知ってるよ! 知ってて言ったの!」
「え~、本当か~? 本当は知らなかったんじゃないのか~?」
「し、知ってるよキリンくらい! 馬鹿にしないでよね!」
「あははは、ごめんごめん」
頬を膨らませて怒る水城の肩を掴み、櫻井は慰める。
「お、あっちはチンパンジーか」
「あはは、あれ櫻井君じゃない?」
「ウキー、ウキー!」
「あははははは! そっくり!」
「何言ってんだよ、馬鹿!」
「あはははははははは!」
水城は腹を抱えて大笑いする。
「見て櫻井君、象さん!」
「でけ~なぁ」
その後も櫻井たちは動物園の中を見回った。
「あれチーター?」
「いやいや、さすがに違うだろ」
「あれ、ハシビロコウじゃない!?」
「ハシビロコウ?」
「え、櫻井君ハシビロコウ知らないの!? すごい有名だよ!」
「嘘だ~」
動物にエサをあげ、パンフレットを見、笑い、写真を撮り、一日を幸福に過ごした。
「いや~。楽しいなぁ」
「うん、櫻井君と一緒だとやっぱりすごい楽しい!」
「俺も俺も」
櫻井はパンフレットを開き、目を落とす。
「次はどこ行こっかな~」
水城は櫻井の持つパンフレットを覗き込んだ。
「水城はちょっとそこで休憩しててくれよ」
「休憩?」
櫻井は近くのベンチを指さす。
「そろそろ色々歩いて喉乾いただろ? 俺飲み物買ってくるから」
「私も行くよ」
「大丈夫大丈夫、全部俺に任せとけって。水城に負担をかけたくないんだよ」
「そ、そこまで言うなら待ってよっかな!」
水城はステップを踏み、体を左右に小刻みに動かす。
「か、可愛い……」
「え?」
「な、なんでもねぇ!」
櫻井は口元を腕で隠し、水城から視線を外した。
「じゃ、じゃあ俺ちょっと飲み物買ってくる」
「待ってます!」
そしてそのまま逃げるようにして、櫻井はその場を去った。
水城はベンチに座り、櫻井は飲料を買いに向かった。
「…………」
自動販売機を横切り、櫻井はフードコートへと向かった。
「アイス欲しいんですけど」
「かしこまりました。何味がよろしいですか?」
「ん~、バニラとチョコ……」
「バニラとチョコでございますね、かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
途端、櫻井は口を閉ざした。
「な、なんで……」
視界の先に、新井の姿を捉えた。山田たちと共に動物園を歩く、新井の姿を、捉えた。
「なんで由紀があんな奴らと一緒に……」
新井が動物園に行くということを、櫻井は聞いていない。
「由紀、由紀!」
櫻井は走り始めた。
「お客様!?」
ソフトクリームの注文を待たず、櫻井は走り始める。
「お客様、ご注文の品が出来上がりました!」
「くっ……」
呼び止められ、櫻井は店員からバニラとチョコのソフトクリームを受け取る。
「由紀!」
目を離したすきに、新井たちは櫻井の視界から消えていた。
「由紀……なんであんなやつらと……」
櫻井はバニラとチョコのソフトクリームを持ったまま、水城の下へと帰った。
「櫻井君、遅かったね」
「あ、あはは、ごめんごめん」
櫻井はバニラとチョコのソフトクリームを持って、帰って来た。
「あれ? 飲み物は?」
「ドッキリ、大成功~!」
櫻井は笑顔でソフトクリームを掲げた。
「飲み物と見せかけてアイス買ってくる作戦だぜ!」
「も~、何それ~」
水城はまんざらでもない顔をする。
「どっちが良い?」
「ん~。私バニラがいいかな。櫻井君は?」
「俺はチョコで」
「あ~」
水城は櫻井の鼻をツン、とつつく。
「もしかして私がバニラ選んだからチョコ選んだな~?」
「あははは、水城にはバレバレだったか」
櫻井は眉をかく。
「も~、私に気遣いすぎだよ。櫻井君も好きなほう選んでよ」
「俺はこれが一番なんだよ」
「じゃあ、交換しながら食べようね?」
「お、おう……」
櫻井はそわそわしながら、バニラのソフトクリームを、水城に渡した。
「どうしたの、櫻井君?」
「ん、いや、別に……」
「変な櫻井君……!」
その日一日、櫻井はそわそわとしたまま過ごした。
「じゃあ、ありがとう、櫻井君。今日は楽しかった」
「俺も楽しかったよ。ありがとう、水城」
家の前まで送ってもらい、水城は玄関で櫻井に手を振る。
「またデートしようね?」
「で、デートって……」
櫻井は照れくさそうに頭をかく。
「ふふふ、櫻井君、私たち彼氏彼女なんだよ?」
「お、おう……」
櫻井は依然として照れくさそうにする。
「じゃあ今日はありがとう、櫻井君。また連絡するね」
「あぁ、またな」
水城は櫻井に手を振り、家の中へと入って行った。
「ふふふ……」
浮足立ったまま、水城はリビングへと向かう。
「彼氏彼女……ふふ」
水城はその五感の良さ、関係性に満足し、頬を緩める。
「彼氏彼女~」
ご満悦にリビングに入って来た水城の前に、母親がいた。
「うっ……ひっ、うっ……」
水城の母親、紅藍は父親の茂と対面し、泣いていた。
「え、お母……さん」
「し、志緒……!」
水城の言葉を聞いた紅藍は咄嗟に立ち上がり、机の上のものを隠した。
「え、な、何? 何なの……?」
ただごとではない雰囲気に、水城はたじろぐ。
「な、何でもない、何でもないの! 何でもないから!」
「今さら隠しても、いずれ知ることになるだけだろう」
茂は厳しい顔で紅藍と水城を交互に見る。
「や、やだ、お父さん、何? いつものお父さんじゃないよ……怖いよ……」
剣呑な目をする茂と、泣き腫らし真っ赤な目をする紅藍に、水城はただならぬ雰囲気を感じる。
「志緒、よく聞け」
「あ、あなた!」
紅藍は大声で叫ぶ。
「何、何なの……? お母さん、何隠してるの!?」
紅藍は背に、くしゃくしゃになった紙を隠している。
「止めて、止めて!」
紅藍は茂に懇願するが、茂は止まらない。
「お父さんとお母さんはな、今年限りで夫婦を止める」
「え…………」
その場の空気が止まったかのように、水城は動きを止めた。
「今年限りで、お父さんとお母さんは離婚する」
「…………」
水城は、茂と紅藍を交互に見た。
「……え?」
言葉が、出ない。
「な、なんで! そんな素振り全然……!」
「志緒が知らなかっただけで、もうお父さんとお母さんは限界だったんだよ。どっちにつくかは考えておいてくれ」
「そ、そんなの突然すぎるよ! そんなこと突然言われたった困る!」
「……」
「お父さん!」
茂は階段を上がり、部屋へと戻った。
「ごめん、ごめんね、志緒……!」
紅藍はくしゃくしゃになった紙を、涙でさらに濡らしながら、水城に謝る。
「ごめんねぇ、志緒……!」
紅藍の手には、離婚届が、握られていた。




