第265話 日野京はお好きですか?
「名前、なんて言うんだ?」
「私? えっと、甘利由香」
「へ~、由香かぁ。いい名前だな」
櫻井はにこ、と笑いかける。
「え、いい名前? そんなこと初めて言われた……」
「いやいや、良い名前だよ。もっと自信持てよ」
櫻井は甘利と共に、別室へと向かった。
「で、何が分からないんだ?」
「えっと、重複してる人の申請方法が分からなくて」
「貸してみろよ」
櫻井は甘利から申請書を受け取った。
「百メートルに出る人は?」
「えっと、男子部門が矢野浩平、宮村正二郎、三橋雄馬……」
櫻井は甘利の言葉通り、申請書に名前を書いていく。
「あ、そこ名前違うくて」
「え?」
「あ、ここ……」
甘利の手が櫻井の手に触れる。
「あ」
「あ」
沈黙が場を支配する。
「あ、えっと、なんていうか、雄、そう! 雌と雄の雄に、走る方の馬!」
甘利は話を進め、櫻井は申請書に名前を書いた。
「これで良いか?」
申請書に名前が書けた櫻井は、甘利に申請書を渡した。
「うん、これで大丈夫! ありがとう!」
甘利は櫻井に大きくお辞儀をした。
「いいっていいって、困ってる人放っとくような奴最悪だろ?」
櫻井はあはは、と笑った。
「じゃ、またな」
「う、うん……」
櫻井は手を振り、別室から出て行った。
「優しい人もいるんだ……」
甘利は出来上がった申請書を見て、ほっと一息ついた。
それから数時間が経過した。
「いや~、やっと終わったわ」
須田が部活を終え、帰って来ていた。
「お」
須田の視線の先に、甘利がいた。
「甘利、申請書の書き方分かった? 良かったら今から空いてるから一緒に考えるけど」
「あ、う、ううん、もう大丈夫。ありがとう、須田君! 申請書全部書けたからもう問題ないよ!」
「そっか。まぁ、出来たんなら何より何より。じゃあ気をつけて帰れよ」
「ありがと!」
須田はがはは、と大きく笑い、その場を去った。
「せんぱ~い」
「げ、お前は……」
新井主導の下、縄跳びを行った当日、解散後に櫻井は一人で運動場を歩いていた。一人の女子高生に話しかけられる。
「せんぱ~い、こんなところで会うなんて奇遇っすねぇ~」
「はいはい、奇遇奇遇」
櫻井は女子高生を足蹴に扱う。
日野京、高校一年生。櫻井より一つ下の学年であり、塾で櫻井と面識のある日野は、櫻井とよく会話をする後輩だった。
小さな背に他者を魅了する大きな目を持つ日野は学年でも人気が高く、美しい長髪を自慢にしていた。
「あ、学校で会ったからってつんけんしてるっすね~?」
「べ、別につんけんしてねぇよ!」
「ほら! 今胸見た! やらし~!」
「べ、別に見てねぇよ! だ、誰がお前みたいなそんなぺたんこ胸!」
「きゃー! 先輩最低~!」
「どっちが最低だ!」
けがらわしい、と日野は自身の胸を隠す。
「せんぱ~い、また勉強してて分からないところあったんで、教えてくださいよ~」
日野は自身の制服に手をかける。
「教えてくれたら、こんな所も……」
日野は制服に指をかけ、ちら、と見せる。
「ば~か」
「え?」
櫻井は日野にタオルをかけた。
「女の子がそんな簡単に体見せてんじゃねぇよ」
「先輩……」
日野は櫻井を見る。
「やっぱ先輩って、エッチっすね」
「誰がだ!」
櫻井と日野は歩き始めた。
「でも、そういう先輩のところが好きだったり……」
「ん? 今なんか言ったか?」
「別になんにも言ってないっす!」
日野はちぇ、と唇を尖らせる。
「おぉ~、もしかして京~?」
「え?」
数名の男子高校生が、日野に向かってやって来た。
「日野ちゃん、こんなところで何してんのさぁ。俺らと遊ぶって約束してたじゃん」
「後でっす、後で。今先輩と一緒にいるから」
「いやいや、俺らと遊んでくれよ~、な~?」
「「それ~~」」
男子高校生は、内々で盛り上がる。
「今先輩がいるから、駄目って言ってるじゃん」
「もう約束の時間過ぎてんじゃん」
「じゃあまた明日で! 先輩に勉強教えてもらうから今日はパス」
「え~、じゃあ俺ら男だけで遊べって言うのかよ~!」
「そ~!」
え~~~、と男子高校生は声を合わせる。
「別に先輩なんか放っといてさ、やっぱ俺らと……」
「きゃ」
男子高校生に腕を掴まれ、日野が声を上げた。
「離せよ」
「え?」
櫻井が男子高校生の腕を掴む。
「日野は嫌がってるだろ」
「誰なんすか、先輩あんた。日野とどういう関係なんだよ!」
「どういう関係ってそりゃあ……」
櫻井は日野を瞥見し、
「別にどういう関係でもお前らと関係ないだろ!」
「そんなことないと思いますけど」
櫻井は声を上げた。
「行くぞ、日野」
「え、あ、ちょっと待ってくださいっす!」
「日野……!」
日野は櫻井に腕を掴まれ、そのまま男子高校生から離れた。
櫻井は男子高校生に振り向き、威嚇するように、剣呑な目で睨みつけた。
男子高校生たちはその場で立ち止まるしか、出来なかった。
「先輩って、案外男らしい所あるんすね」
「案外って……俺は男だぞ」
日野の声に気付き、櫻井は苦笑した。
「じゃあ勉強会、すっか」
「了解っす!」
櫻井と日野は学校内の図書館へと向かった。
「先輩、ここの古文の約教えて欲しいんすけど」
「おう、どこだ」
櫻井は図書館で、日野と勉強をしていた。
「これは、女性を落とそうとした男が毎日、物陰から女性を見てるってシーンだな。この時代は男と女性が一緒に会うのは駄目だったらしいからな」
「へ~、先輩詳しいっすね」
日野は日本語訳を書いていく。
「先輩って、努力家なんっすね!」
「べ、別にそんなんじゃねぇよ」
にか、と笑いかける日野に、櫻井は頬を染める。
「それに、女の子が好きな男が毎日物陰から見てるって……なんか」
日野はちら、と櫻井を見る。
「なんか、私らみたいっすね」
「……え?」
日野と櫻井の視線が、交錯する。
「……」
「……」
「えい!」
「痛っ!」
日野が机の下で、櫻井の足を蹴った。
「お、お前何すんだよ! 折角俺が教えてやってるっていうのに……!」
「図書館ではお静かに」
櫻井と日野に、図書委員が声をかけた。
「……んだよ」
櫻井は声を押さえる。
「お前のせいで怒られちまったじゃねぇかよ!」
「知らな~い」
「お前がさっきから訳わかんねぇことばっかり……」
「図書館では、お静かに!」
櫻井が再び注意される。
櫻井と日野は図書館で、勉強会を続けていた。




