第263話 遊園地デートはお好きですか? 2
「お母さん、お母さん!」
雑踏の中、一人で泣いている少年が、いた。
「大丈夫か?」
「お兄ちゃん、誰……?」
少年に駆け寄った男、櫻井は柔和な微笑みを湛える。
「俺は櫻井聡助、これといった特徴もない、平凡な男だ!」
櫻井は少年の前で大見得を切る。
「あはは」
少年は手を叩いて笑った。
「聡助?」
「え、来たのかよ、ゆかり!?」
「私一人であそこ並んでるわけにもいかないし……」
船頭は後ろから少年に近づく。
「この子は……」
「ああ、親とはぐれたみたいだな」
櫻井は膝を曲げ、少年と目の高さをそろえた。
「君の名前は?」
「ぼ、僕、トモヒロ。小田智弘!」
「そうか、トモヒロ君か。ここで何してたんだ?」
「え、えっと、お母さんが、お母さんが……」
そして少年はまた大きな声で泣き始めた。
「大丈夫大丈夫、よ~し、俺に任せとけよ」
櫻井はトモヒロを担いだ。
「よ~し、出発だぁ!」
「うわぁ!」
櫻井はトモヒロを肩に担いだまま、歩き始めた。
「それにしてもゆかり、お前まで来て良かったのかよ?」
「仕方ないし」
船頭は目を細め、トモヒロを見た。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんは恋人?」
「ばっ、馬鹿! そんなんじゃねぇよ!」
櫻井は顔を赤くして否定する。
「べ、別に俺はそんな風に思われてたりしないし、そんなこと言ったら相手にも迷惑になっちまうだろ? そうだよな、ゆかり」
「え、えっと……」
「別に俺なんて、そんな大した人間じゃねぇんだしさ」
櫻井はあはは、と笑った。
「トモヒロはお母さんとはぐれちゃったのか?」
「うん……お母さん……」
トモヒロは再び目に涙を溜める。
「大丈夫大丈夫、お兄ちゃんに全部任せとけ! 俺がなんとかしてやるからな!」
「お兄ちゃん……」
トモヒロは肩の上から、櫻井を見る。
「じゃあトモヒロがどこでお母さんとはぐれたのか、探してみるか!」
「う、うん。ありがとう、お兄ちゃん!」
櫻井はトモヒロを肩に担いだまま、園内を歩く。
「誰か~、誰かこの子の親御さんはいませんか~?」
櫻井は声を上げながら、親を探す。
「誰か~」
周囲の人間は一瞬櫻井のことを気にした後、すぐさま興味を失う。
「誰か~」
櫻井はそのまま数時間、園内を歩き続けた。
「トモヒロ!」
櫻井がトモヒロを肩に乗せて数時間経った頃だった。
「お母さん!」
「トモヒロ、あんた何やってたの!」
二十代後半と思しき女性がトモヒロを見て、走り寄って来る。
「あの、お母さんですか?」
「はい、すみません、すみません」
母は櫻井に何度も頭を下げる。
「トモヒロがご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございません!」
「いやいや、大丈夫ですよ。俺たちもトモヒロのおかげで楽しめたし。な?」
「う、うん」
櫻井はトモヒロを下ろした。
「すみません、ありがとうございます。本当にありがとうございます。これ、少しですがお礼に……」
母親は財布を開き始めた。
「いやいや、いいんですよ。トモヒロ君もお母さんと会えてうれしかったと思います。俺は全然そういうの気にしないんで、トモヒロといてやってください」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
母は何度も頭を下げ、ゆっくりと去って行った。
「ふぅ……」
櫻井は額の汗を拭った。
「いやぁ、悪ぃな、ゆかり。俺困ってる人とか見るとどうしてもいられなくてさ」
「ううん、すごいと思う」
櫻井は快活な笑顔を向ける。
「ごめんな、ゆかり。俺のせいで」
「全然」
短針は三の字を指していた。
「あぁ~、遊ぶ時間なくなっちまったな。取り敢えず飯でも食うか?」
「うん」
櫻井と船頭は食事をした。
「じゃあ最後だし、観覧車でも乗るか」
「うん」
櫻井と船頭は二人で観覧車に乗った。
夕焼けが櫻井と船頭を照らす。
「いやぁ、本当にごめん!」
観覧車の中で、櫻井は船頭に謝った。
「俺のせいでこんなことになっちまって!」
「いや、聡助のせいじゃないから」
「いや、全部俺のせいだよな! 本当ごめん!」
櫻井は何度も謝る。
「夕日、綺麗だな」
「うん」
櫻井と船頭は観覧車の中から、沈み行く夕日を見ていた。
「でも、俺はゆかりと来れて楽しかったよ。ありがとう、ゆかり」
「……うん」
櫻井は船頭に笑いかけた。船頭は優しく微笑む。
「私も聡助のこと誤解してたのかも」
「いやいや、俺なんてつまらない人間だよ、全く」
櫻井と船頭は観覧車の中で、静かな二人の時間を過ごしていた。
「じゃあゆかり、またな!」
「うん」
駅に着き、櫻井と船頭は別れた。
「はぁ……」
船頭はため息をつきながら、帰途に着く。時刻は十九時を回っていた。
「やあ、ゆかりちゃん」
駅で霧島と出くわす。
「ずっと待ってたわけ?」
「いやぁ、後ろからつけてただなんて、そんなことはないよ」
「つけてたんだ……」
「まさかぁ、あははは」
霧島は明るく笑う。
「どうだったかな、今日の聡助は?」
「……」
船頭は沈黙した。
「やっぱり聡助と悠人君は同じだと思ったかな? あるいは、聡助の方がやっぱり悠人君よりもずっと善人だと思ったかな?」
「……どうだろう」
船頭は視線を下げた。
「その反応は、やっぱり聡助に悪い感情は持たなかった、っていうことだね。やっぱり、悠人君の言ってたことは間違ってたってことだ。そりゃあそうさ、悠人君の言っていることに騙されてるだけなんだから、ゆかりちゃんは」
「……」
船頭はやはり、黙る。
「聡助が好きになっちゃったのかな」
「私の勝手でしょ、黙ってて」
「おやおや、これは手痛い」
「私帰るから」
船頭は霧島を置いて、帰り始めた。
「聡助が良いと思ったんじゃあなかったのかい? 悠人君じゃあ絶対に経験できないことが経験で来たんじゃないのかい? 違うかな?」
「…………」
船頭は振り返らず、進み続けた。
翌日――
「悠~人~君!」
「……」
「悠~人~君!」
赤石の家の前で、船頭が赤石を呼んでいた。
「悠人君!」
ガラガラガラ。
扉が開く。
「あ、悠人――」
「……」
赤石の父親、赤石徹が、そこにいた。
「え、あ……」
「……」
徹は扉を開けたまま、無言で中へ入って行った。
「あ、あの、お邪魔……します」
船頭はおずおずと、赤石の家へ入る。徹は足早に、階上へと上がった。
「ゆ、悠人~……」
船頭は扉を閉め、ゆっくりとあたりを見渡す。
暫くして、赤石が下りてきた。
「悠人!」
「ようこそ、錦野グレースホテルへ」
「どこ?」
赤石は階段を降り、船頭に前を歩かせた。
「久しぶり、悠人」
「ああ」
赤石はリビングに入り、椅子に座った。
「じゃあ私ここ座るね」
船頭は赤石の隣に座る。
「話しづらいだろ、あっち行け」
「悠人があっち行ってよ」
「はぁ……」
赤石は船頭の対面に座った。
「いきなり来るな」
「ご、ごめん」
赤石は半眼で船頭を見る。
「でも、急に来たくなって。ない、そういうの?」
「ない」
時刻は十一時。船頭と赤石は二人きりでリビングにいる。
「お母さんは?」
「ママ会に行った」
「お父さんは?」
「上。あと、今から宅配が来る」
「え、嘘。だからお父さんが開けたの?」
赤石と徹は二人で食事をとる予定だった。
「か、帰ろうかな」
「食って行けよ」
「いや、親子水入らずだし……」
「俺も父さんと二人きりなの気が重いんだよ」
「それ、もしかして息子あるあるだったりする?」
「さあ」
赤石はちら、と時計を見た。
「え、でも二人分しかないんじゃ?」
「俺の半分分けてやるよ」
「わ、悪いって」
「何のために来たんだよ、お前は」
言っているうちに、赤石家のインターホンが鳴った。
「出てくる」
「わ、私も!」
赤石と船頭は宅配を取りに行った。
「ちょっと飯取ってて。俺父さんに言って来る」
「え、う、うん」
赤石は扉を開けた。船頭は食事を受け取り、赤石は父親の下へと向かった。
船頭が食事をリビングに持ち込み、赤石は戻って来る。
「お父さんは?」
「もうすぐ降りてくる」
「なんか、ちょっと気まずいかも」
「是非一緒に食べてもらえ、だってよ」
「お父さんが?」
「ああ」
船頭は目を丸くする。
「悠人のお父さんってどういう人?」
「分からん」
赤石はコップと箸の準備をし始めた。
「私、何か用意できることって?」
「オムライスでも作っててくれ」
「うぇ」
船頭は苦々しい顔をする。
「冗談だ。冷蔵庫にある水取って」
「了解です!」
赤石はテーブルの上に箸とコップを用意し、船頭は水を注いだ。
「ベストコンビネーション!」
「そうか」
赤石は冷凍庫から冷凍食品を取り出した。
「ゆかりはそこら辺から器取って」
「了解です!」
「俺の分から半分器に取ってくれ」
「あ、ありがとござやーす!」
「野球部のありがとう止めろ」
船頭は赤石の食事から半分器によそった。
赤石は冷凍食品を温める。
「時間がないから、俺とお前で冷食半分ずつな」
「すみません、こんな時間に来て」
「気にするな。お前らしい」
「しゅん」
階上から、徹が降りてくる。
「父さん、準備出来た」
「……」
徹は席に着いた。冷凍食品を温めた赤石は、器に半分ずつよそい、船頭に渡した。
「じゃあいただきます」
「「いただきます」」
赤石たちは食事を始めた。
「……」
「……」
「……」
無言。沈黙が場を支配する。
「船頭さん」
「はいっ!」
徹が船頭に声をかける。
「君は悠人と同じ高校の?」
「ち、違います! 違う高校の……」
「同じ中学の?」
「え、えと、違います」
「どこで出会った?」
徹は赤石と船頭を交互に見る。
「え、えっと、それは……」
「合コン。ボーリング大会みたいなのに行ったときに出会った」
「……」
ちょっと、悠人! と、船頭が口パクで赤石に伝える。
「そうか」
徹はそう言い、食事に口をつける。
「あ、あはは、お父さん、合コンって言ってもそんなあれじゃ……」
船頭は冷や汗を流しながら弁解する。
徹は剣呑な目で船頭を見た。
「あ、お、お父さんって、失礼でしたよね! お父さんなんて言う資格ないですよね! 何言ってるんだろう、あははは」
「別になんでもいいだろ」
赤石が船頭をフォローする。
「あ、それに私、勝手に上がり込んで勝手にご飯食べてるのなんて失礼ですよね! こんな合コン上がりの女が! す、すみません!」
「……」
徹は無言で船頭を見る。
「君は」
「はいっ!」
「悠人のことをどう思っているんだい?」
「え、えっと……」
船頭は赤石を瞥見する。
「仲の良い男の子……です」
「……」
徹は船頭から目を離し、食事に口をつける。
どう言えば良かったの!? と、船頭は再び赤石に口パクする。
「こんな馬鹿な息子だが、良かったらこれからも仲良くしてくれると嬉しい」
徹は船頭に、頭を下げた。
「い、いえいえ、そんな! 普段は私がいつもお世話になってて! 全然世話するとかそういうのじゃなくて!」
「私が言うのもなんだが、こいつは馬鹿な息子だ。私と同じで、他人と仲を深めることが出来ない。友達がいない。いつも他人を試して、貶めて、嗤って、それでも自分の傍にいる人間としか仲良くしない。人としてダメダメな人間だ。それでも、こんな馬鹿な息子と仲良くしてくれると、私は嬉しい」
「は、はい! もちろんです! 一生幸せにします!」
船頭は膝の上に手を置き、背筋を伸ばし、答える。
赤石たちは食事を進めた。暫くの間徹と赤石、船頭で話をし、船頭は赤石の家を出た。
「綺麗な子だな」
徹が赤石に声をかけた。
「お前にはもったいないくらいの、心の綺麗な子だ」
徹は遠くを見るような目で、言う。
「大切にしなさい」
「別に彼女とかではないけれど」
そう言うと赤石は自分の部屋へと戻って行った。




