第258話 体育祭の練習はお好きですか?
「え~っと……新井です」
翌週――
帰りのホームルームで体育祭実行委員である新井が前に出て声を上げた。
「前回、体育祭の実行委員になりました。今日は体育祭の種目決めをしたいと思います」
同じく、体育祭実行委員の櫻井は黒板に種目、と板書する。
「どの種目をするか、考えてください」
神奈は書類を整理し、生徒たちはにわかにざわつきだす。
「おい、お前行けよ」
「俺どれにしよっかな~」
「リレーしかないな」
「俺らで一番目指そうぜ!」
帰りのホームルームということもあり、空気も弛緩し、会話が生まれる。
「赤石さんはどれにしますの?」
無言で黒板を見ていた赤石に、後方から声がかけられる。
「誰だ」
「私以外あり得ますの?」
赤石は後ろを振り向かないまま、花波の話を聞く。
「新手の刺客」
「新手じゃない刺客がいる前提ですの?」
花波は小首をかしげる。
花波が話しかけてくるというイレギュラーに、赤石は戸惑う。
「どの種目をやりますの?」
「どの種目をやるって言っても、俺たちに選ぶ権利ないだろ。十中八九、二人三脚だろうな」
赤石は腕を組んだまま、種目が決まっていく様子を見る。
「意味が分かりませんわ。やる意思があるかないかではありませんの? 資格?」
「百メートル、他リレー系はないな」
走る種目が少しずつ埋まりつつある。
「どうしてですの?」
「リレー系は順位が出るからな。ご丁寧に予選と決勝がある。だから走るのが速い陸上部、サッカー部、野球部辺りが選ばれるんだよ」
「? 意味が分かりませんわ。走るのが速くないのとリレーに出られないのとには関連性がないはずですわよ」
花波は机を前に押し、赤石に近づく。
赤石は背にもたれゆったりと座り、花波に聞こえるように後ろに下がった。
「高校生ってのはこういう順位を気にするんだよ。クラスで一丸になって戦って、順位が上がれば上がるほど喜ぶ奴が多い。だから走るのが速い奴しかリレーには選ばれない」
「そういうものですの?」
「そういうもんだよ。俺たちが頑張って一位を取った、俺たちはすごい、と仲良しこよしするための大会なんだよ。自分が取ったわけでもない仮初の順位に一喜一憂するんだよ、人間ってやつは」
「嫌な言い方ですわね」
「嫌な言い方しか出来ないんだよ」
花波は眉間に皺を寄せる。
「前から思っていましたが、あなたは人格に問題がありますわ。医者をお勧めしますわ」
「人格に問題があるのが俺なのか俺以外なのかは定かではないがな」
赤石の物言いに、花波はさらにむっとする。赤石は続けて言う。
「自分が正しいと思うものに合わせて他者を矯正しようとする考え方はこの時代にはそぐわないんじゃないか」
「あなたの考え方は時代だとかそういう範疇のものではないと思いますの」
リレーの担当が段々と決まっていく。
「じゃあ佐藤君」
リレーに佐藤が選ばれる。
「気に食わないなら話しかけなくていいだろ」
「他者を矯正しようとしているのはどっちですの。自分が気に入らない人間を排除して、イエスマンばかりを隣に置いているのはどちらですの? あなたですわよね。あなたの意見は破綻してますわよ」
「なんで種目決めでこんなに怒られてんだよ。お前の隣には自分と逆の考えの奴がいるのか? いないだろ。それともお前自身がイエスマンか? 気が合う奴しか近くにいないのは当たり前だろ。お前は櫻井のイエスマンだろ。何も考えずに好きな奴のイエスマンになってるのはどっちだよ」
赤石と花波は教室の隅であり、二人の口論は騒がしい教室の雑音に消える。
「何か言い争いをしてるわね、あの二人」
「何やっとんや、こんな時に」
高梨と三矢は隅の方で小声で話す二人を見ていた。
「あなた、前から思っていましたけど、自分に対して好意的な人間には怒らずに、自分のことを嫌悪する人間にぶっきらぼうな言葉遣いをしていることが多いですわよ」
「転校して早々櫻井にべったりだった奴が言っていいセリフじゃないことだけは分かるな」
「自分のことは否定しませんのね」
「否定するよ。俺はプレーンでいるつもりだ。お前にも、お前以外にも。仮にそうじゃなかったとしても、自分に対して嫌悪感を持ってるような奴とまともに話が出来ると思わないね」
「八谷さんに嫌がらせをしているあなたが何を言えますの」
「……」
花波の一言に、赤石は黙り込んだ。
「……」
花波も黙る。
「……失言でしたわ」
「どうせ櫻井が言ってたんだろ」
自身の知らない場所で櫻井が何をしているのかは知らなかったが、陰惨な陰口を叩かれている、ということだけは確認できた。
「結局お前も、陰で他人を叩いて楽しんで、嫌がらせをするためだけに話しかけてきてんじゃねぇか。お前が俺に何を言えるんだよ」
「そういうつもりではありません。本当です」
赤石と花波は顔も合わせないまま、険悪な顔をする。
「あんな顔するんやったら喋らんかったらええのにな」
「馬鹿ね」
三矢と高梨は外から実況する。
「私はあの時から考えていましたの」
「どの時だよ」
「聡助様があなたを病室で殴った時からですわ。私はあの時から、考えていましたの」
花波は机を戻す。
「聡助様は、私の知っている聡助様から変わってしまわれたのかもしれない、と。少なくとも、私が知っている聡助様は病室で人をぶつような人ではありませんでしたわ」
「聞こえるぞ」
櫻井が板書する。
「いえ、間違いだと思いたいのです。昔の聡助様は変わってしまわれたと、そう思いたくないだけですの」
「昔も今も変わらないんだろ。お前が相手を見てこなかっただけだろ。相手の上辺だけ見て、自分に対する好意だけピックアップして、その他の全てに目をつぶって来ただけだろ。昔も今も、裏で人を殴ったり独善的な正義を振りかざしてたんじゃないか」
「私が聡助様のことを見てこなかっただけだ、と?」
「自分の目的のために良くしてただけだろ」
「私が太っていた子供時代でも?」
「将来にかけたんじゃないか。俺に聞かずに本人に聞けよ。まぁ、思ってることを正直に言う人間だとは思えないけどな」
リレー競争の人員が埋まった。
「では、あなただけが善人だ、と?」
「違う。善人は自分が善人であるとひけらかさない」
「では、この高校でそれに値する人は例えば誰ですの?」
「……さあな。須田みたいなやつじゃないか。知らないだろうが」
「知らないですわね」
花波は小首をかしげる。
「四組にそういう奴がいるんだよ」
「……そうですのね」
花波はゆっくりと背もたれにもたれた。
「その方が、善意をひけらかさない善人のフリをしている悪人でないといいですわね」
「…………」
赤石と花波は、黙り込んだ。
「じゃあ、残ってる人は二人三脚でいいですか?」
「賛成、賛成~」
結局、赤石の予想通り、二人三脚に入れられた。
「じゃあこれでホームルームを終わります。今から一時間ほどバトン渡しの練習とかするので、皆さん来てください」
そして新井を筆頭に、運動場へと向かった。




