第257話 葉月家はお好きですか?
「……」
葉月は自室で自身のアカウントを見ていた。
自撮りした写真の反応が増えていくことに、満足する。
『もっと下から』
『本物の女子高生?』
『おばさんだろ』
『見えそうで見えない』
『一流撮影ニスト』
『助かる』
やってくる返信を流しては、悦に入っていた。
自身にやって来る悪意的な返信というのは、所詮、持っていない人間の嫉妬だ。自分にどれだけの悪意ある返信が来るかが、自分がどれだけ価値があるかを示す指標だと、葉月は考える。
「……」
今日もまた、外に出て稼がなければいけない。
葉月は自室から出て、リビングへ向かった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「どこに目つけてんだよ、このクズ!」
リビングでは、いつもの光景が繰り広げられていた。
葉月の父親、葉月修斗が母親である葉月さくらに物を投げていた。
「俺のタバコどこやったかって聞いてんだよ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
さくらは床を必死に探し回る。
葉月はいつもの光景に、ため息を吐いた。
「もう、いい加減にしてよね」
「あ、冬華……」
葉月は父親と母親を睨みつける。
「うるさいから怒鳴らないでよ、お父さん」
「あぁ?」
「何してるのか知らないけど、お母さんも早くなんとかしてよ」
「ごめんなさい……」
葉月は余所行きの準備をし始める。
「さっさと出せ、っつってんだろ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
修斗の投げた調味料がさくらの額に当たり、切り傷を作る。
「部屋掃除すんなら何をどこにやったかくらい覚えとけよ、ボケ!」
「ごめんなさい!」
さくらは床をひとさらいし、どうにか、四本残っているタバコを一箱見つけ出した。
「これ……」
「遅ぇんだよ、クズがよ!」
修斗はさくらからタバコを取り上げ、外に出た。
「も~、今日は何?」
「私が掃除してお父さんのタバコをなくしちゃったから怒られてて……」
修斗は煙草と酒に重度の依存症がある。どちらかが切れた時、さくらに怒鳴る癖があった。
「は~……最悪。朝っぱらから気分悪い」
「ごめんね、冬華」
葉月はさくらを見下ろし、準備を続ける。
「あ、冬華、今日はどこに行くの?」
「別にどこでもいいでしょ。お母さんには関係ない」
一通り準備した葉月は玄関へ向かう。
「お友達? お金は大丈夫? はんかちとティッシュは持った?」
さくらは自身の財布から千円札を五枚抜き出した。
「冬華、大丈夫? これ、お母さんのだけど、持って行きな」
さくらは葉月に、千円札を握らせた。
「……ちっ」
葉月は舌打ちをし、
「うぜぇんだよ、このクソババア!」
さくらを押し倒し、さくらから受け取った千円札を投げ捨てた。
「いちいち善人ぶってんじゃねぇよ、クソババアがよ! 母親面して、おせっかいなんだよ!」
葉月は玄関で声を荒らげる。
「ごめんね、ごめんね……五千円じゃ足りないよね」
さくらは財布から一万円札を出した。
「金の話じゃないってことくらい分かんないわけ!? マジでむかつくんですけど」
葉月は舌打ちをしながら足を踏み鳴らす。
「毎日毎日お父さんと喧嘩して、何も言い返さずに一方的に受け入れて、はいはいはいはい、馬鹿みたい! ちょっとは言い返せよ!」
「ごめんね、ごめんね……」
「そんなんだからいつまで経ってもお父さんの言いなりなんでしょ! 毎日毎日目線下げて床ばっか見て! そんなことして楽しい? 何なの、お母さん、一体」
「ごめんね、ごめんね……」
さくらは一万円札を葉月に持たせる。
「いらないって言ってるでしょ! お金の話なんかしてないから!」
葉月は一万円札を投げ捨てた。
「おい! 酒がねぇだろうが!」
遠くから、修斗の呼ぶ声がした。
「行けば?」
葉月はぶっきらぼうに、言う。
「またお父さんのペットにでもなってればいいでしょ。そんなことして何が楽しいか分からない」
「ごめんね、私が馬鹿だから……」
さくらは謝りながら、膝をついた。
葉月は母親を軽蔑していた。毎日のように父親から暴言を受け、暴力を振るわれ、それでいてニコニコとしている。まるで父親からの嫌がらせが苦でないかのように微笑み続ける。
何の主張もせず、ただ生きるためにへこへこと頭を下げ、言いなりになる。
男の言いなりになってへこへことして生きている母親が、嫌いだった。何の力も持たず、ただ従うことしか出来ないさくらのことを、ひどく軽蔑していた。
自分はこんな母親にはならない。自分は男を制圧して、従属させ、管理し、制御できるような人間になる。自分は男の言いなりにはならない。自分が男を従わせる。
自分の行動が男を動かせる。そういった我欲が、葉月にはあった。
「早く行ってこれば。またお酒買いに行くんでしょ」
「うん……」
さくらは玄関に投げ捨てられた千円札と一万円札を拾う。
「……」
葉月は無言で玄関を出た。自分で投げ捨てた千円札を踏みにじり。
「冬華」
「……」
さくらが葉月に声をかける。
「気を付けてね。いってらっしゃい」
「…………」
葉月は無言で、足を進めた。
さくらは足跡のついた千円札を拾い、財布に入れた。
「ただいま……」
「うるせぇんだよ!」
「まだやってる……」
葉月が帰って来ても、家は未だ、騒然としていた。
「あ、おかえり、冬華」
リビングへ戻ると、そこではソファで寝る修斗と、晩酌の片付けをしているさくらがいた。
聞こえてきた怒号は寝言か。
「酒臭い……」
リビングの匂いに、葉月は鼻をつまむ。
「ごめんね、お父さん今日ちょっと機嫌悪くて……」
「お母さん、パートでしょ? なんで今日も片付けなんてしてんの?」
さくらはパートをしている。収入が不安定な修斗を支えるように、さくらは毎日のようにパートをしていた。
「なんでお父さんと離婚しないの? 離婚してよ」
「でもお母さんだけの稼ぎじゃ、冬華を育てられないから……」
さくらはぷるぷると手を震わせる。
「そうやって自分に言い訳して何もしない理由にしてるんでしょ? 本当最低」
「……ごめんね」
さくらは皿を洗いながら、謝った。
「お父さんもお母さんも、大っ嫌い。私は絶対お母さんみたいにならないから」
「……そうね」
さくらは洗った皿を置いていく。
「……」
葉月はそう言い残し、自室に戻った。
残されたさくらは涙を袖で拭きながら、静かに泣いていた。
洟をすすり、泣いていた。
かちゃかちゃと、皿が置かれる音が、リビングに妙に大きく響いていた。




