第28話 尾行はお好きですか? 5
櫻井と水城がデートをしているのか、どうか。
結局、デートでないという確たる証拠は出て来なかった。
櫻井はヘアピンの他に何かを買っていたが、それが妹へのプレゼントかどうかは、判別することが出来なかった。
赤石と八谷は櫻井と水城を尾行し続けるが、それ以降怪しげな動きはしなかった。
「きっとデートだったんだわ、今日のは……」
八谷は白磁のような肌を更に白くして、露骨に落ち込む。
デートのはずがないと信じていた赤石も、自身の推測が外れていたのかもしれない、と段々と不安を覚え始める。
十中八九、妹の誕生日プレゼント選びで間違いない、と思っていたが、八谷の不安は赤石にも伝播した。
八谷は路地裏から顔を出して櫻井たちを覗き見る。
櫻井を監視することは八谷に任し、赤石は八谷の後方で待機していた。
障害やゴミなどが多く、薄暗い路地裏で、およそラブコメ然とした櫻井とは乖離した尾行を行っていた。
「おい、兄ちゃん」
今にも史上最強の格闘家が生まれそうだな、となんとなく妄想していると、赤石に声がかけられた。
突然声をかけられたことで赤石は固まり、ゆっくりと声のした方を振り向く。
そこには、五人の男がいた。
明らかに風貌は野蛮で、近寄ってはいけないオーラを醸し出していた。
俗に言う、不良というやつだった。
「こんな路地裏で会うなんて奇遇やなぁ、兄ちゃん。こんな所でなにしとんや?」
路地裏が薄暗いことも関係してか、不良は八谷の存在に気付かない。
赤石の後方では、ゴミや大型の室外機に隠れて八谷が控えており、こうなることをも予測して、赤石は八谷をそこに位置取らせていた。
櫻井に夢中になっていることと、ゴミ袋が音の障壁になっていることもあり、八谷は赤石の様子に気が付かない。
「おい兄ちゃん、ちょっと俺ら金に困っとんやわぁ。ちょっとばかり財布出してくれんかね? 金さえ出せば悪いようにはせんわ。出さんなら、分かっとるよな?」
不良の一人が、刃物を腰から取り出した。
「俺らここで名を馳せとる不良なんだわぁ。ほら、金」
鉄パイプを持った男が、どすの効いた声で赤石に迫り寄る。
赤石は、その不良たちに向かって決然と立ち向かった。
「ふざけるな。俺は今女を連れてるんだ」
「あぁ⁉」
不良は隠れていた八谷の存在に気付く。
「こいつかぁ⁉」
「きゃっ、なっ、何⁉」
男は八谷の手を掴み、その細い体を壁にぶつけた。
「あっ…………!」
八谷は体内から掠れるような悲痛な叫び声をあげる。
その様子に情欲をそそられたのか、男は八谷の顔に指を近づけ、片手で頬を挟んだ。
「ん…………」
「よく見りゃいい顔してんじゃねぇか。おい兄ちゃん、こいつで我慢しといてやるよ」
「やっ……はっ……離して!」
男は八谷の手首を掴み、連れて行こうとした。
--が、
「…………おい」
「あぁ?」
その男の手を、赤石は掴んだ。
「男が女に手ぇ出してんじゃねぇぞ!」
「ぐぼっ!」
赤石は腕を振り抜き、勢いそのまま男の顔面を殴りつけた。
殴られたショックで男は八谷の手を離し、八谷は赤石の下へ駆けてきた。
「てっ……てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ!」
殴られた男は赤石に立ち向かうが、足を引っかけ、男は地面に顔から激突する。
「お前ら、取り囲め!」
ナイフを持った男が指示し、一瞬のうちにして赤石は四人の男に囲まれた。
「おらぁっ!」
ナイフを持った男が赤石に殺到する。
赤石は持っていたリュックを構え、ナイフはリュックに深々と突き刺さった。
「なっ……!」
男の一瞬の茫然の隙をついて、そのまま赤石はリュックごと男を押し込んだ。
男は蹈鞴を踏んで、転がっていた男に足をかけて倒れ、頭から地面と衝突し、昏倒する。
「ふざけんじゃねぇぞ!」
「舐めんなぁ!」
男は赤石に鉄パイプを振り回し、紙一重で赤石は躱す。
「ちぃっ! ちょこまかと!」
鉄パイプの当たらない男は力を入れて、パイプを振り抜いた。
が、振り抜く位置が悪かった。
赤石は鉄パイプを避け続けると同時に、他の男との位置計算をしており、上体を屈め鉄パイプを交わすと、その鉄パイプは赤石の斜向かいの男に、吸い込まれるようにして当たった。
「がはっ……」
「やべぇ!」
仲間に鉄パイプを当てたという心理的な枷が男を一時的に混乱させる。
赤石は、その隙を見逃さない。
男の手を蹴り、鉄パイプを蹴り飛ばす。
無手になった男の心理的な混乱から、おぼつかない足元に足をかけた。
「足元がおるすだぜ」
「あぁっ!」
男は背中から、衝撃を一切殺さず地面と激突し、悲痛な顔をする。
「おい………………」
五人の男の内三人を伸したところで、赤石は声のした方向を振り向いた。
「助けて…………赤石……」
見れば、ナイフを持った男と鉄パイプが顔面に直撃した男が、八谷を人質に取っていた。
「下衆が…………」
「よくもやってくれやがったな、ガキが」
「おい、動くんじゃねぇぞ」
八谷の隣にいた男が腰元からナイフを取り出し、赤石にゆっくりと寄って来る。
「くっ…………」
「さぁ、これから解体ショーの始まりだぁ!」
粘ついた口腔を見せながら男はナイフを掲げ、そのナイフが赤石の脳天に直撃の軌道を描いて振り下ろされた。
「赤石――――――!」
八谷の絶叫がその場にこだました時、
ピッ。
風を切り裂くような音が、八谷の耳朶を叩いた。
「ぎゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
八谷が振り返ると、ナイフを首元に押し当てていた男の鼻筋が、曲がっていた。
一瞬のうちに茫然自失としたが、八谷は赤石の身を心配した。
「赤石っ……!」
「…………」
赤石は、無傷だった。
「ああああああぁぁぁ、痛ぇ、痛ぇよ母ちゃん…………」
赤石の足元で、手を押さえ地面を転がり回っている男がいた。
「え…………一体何が…………」
八谷が茫然としていると、赤石が八谷の下に走り寄って来た。
「事情は後だ、走れ!」
「えっ…………!」
赤石は八谷の手を掴み、走り出した。
「ちょっ……ちょっとどういうことなのよ!」
突如起こった赤石の逆転劇の理由を、八谷は問い詰めた。
「あの男がナイフを振り下ろした時、足元にあった大き目の石を蹴り飛ばした。その石が、お前の後ろの男に当たったんだ」
「あれはあんたが…………」
耳元で鳴った音と、その直後鼻筋が折れ曲がった男とに合点がいく。
「じゃあ、地面で転がってた男は…………」
「あれは、ナイフが振り下ろされるタイミングで三本ほど指の関節をキメせてもらった。あ、勿論お前の後ろの男が倒れこんだことを見てからだぞ?」
「あ…………赤石…………」
「ま……まぁ、俺も無事じゃなかったんだけどな?」
赤石は穴が開いたリュックを八谷に見せ、不器用に笑う。
八谷は赤石の秘められた能力を、その目で確かに見た。
赤石は八谷が危機に陥ったことで、自分でも分からないほどの力を発揮した。それほどの力を持っており、喧嘩が強かった。
それも、五人の不良を相手にしてもなんら傷を受けない程の力を、有していた。
「ありがとう……」
八谷は目に涙を溜め、赤石を見た。
その目に愛しさを灯し、赤石を見た。
その頬はうっすらと紅潮し、その時、八谷は自覚した。
あぁ…………私は赤石が好きだ、大好きだ、と。
自分の窮地を救ってくれた赤石に対して、自分でも信じられない程の愛を、赤石に感じていた。
やはり、自分の好きな男は赤石だったんだ……と、自らの過ちを顧みて、恥ずかしくなる。
今も握られている自分の手を見て、八谷は羞恥で悶えそうになる。
「赤石…………」
「なんだ?」
「……ううん、なんでもない」
八谷は自身に赤石への愛が高まったことを自覚しながら、夜の街を駆け抜けた。
――そんなことは、起こらなかった。起こるはずがなかった。
幻、妄想、想像、幻想、泡沫の活劇。あり得べからざる未来。
それはまやかし以外の、何物でもなかった。
何の力も持っていないはずの男が突如五人の不良に襲われて、無傷でヒロインを助け出す。
そしてヒロインは自身の窮地を助け出してくれた男に、慕情を募らせる。
そんなことが、あるわけがなかった。
ヒロインのことを思ったからといって自身の能力を遥かに凌駕する力が出る訳もなく、五人の不良相手に無手で勝てるような訳が、なかった。
そんな都合のいいラブコメのような展開は、決して起きなかった。