第246話 転勤はお好きですか? 1
「おはよう~」
「おはよう~」
「花波ちゃんのお見舞い行った~?」
「ごめ~ん、忙しくて行けなかった~」
「私も~」
登校日。
「おはよう、赤石君」
「ああ」
赤石は自席で課題をしていた。
「あなた、課題は前日までに終わらせておきなさいよ。お姉さんとの約束でしょ」
「姉なんていない」
「高梨お姉さんよ」
「いつからお姉さんになったんだよ」
「冗談よ」
「あとこれは今日の課題じゃない」
「あら、そうなの」
赤石はいつものように、高梨と軽口を交わしていた。
「お前ら~席着け~」
神奈がやって来ると、蜘蛛の子を散らしたように、生徒は席に着く。
「赤石、櫻井、お前らは放課後職員室に来い。理由は分かってるな~」
ホームルーム中、神奈はそう言った。
「え……櫻井君と赤石君……?」
「何があったんだ……」
「痴情のもつれか……」
「いや、空中のもつれの可能性もある」
神奈は一言だけそう言うと、再びホームルームを続けた。
「……」
「……」
花波の病室での件だということは、二人とも分かっていた。
昼――
赤石と櫻井の二人が何故職員室に呼ばれたかが気になった生徒が、赤石の、そして櫻井の下へと集まる。
「おいアカ、なんでお前職員室呼ばれとんや。なんでや!?」
「ちょっとな」
「赤石殿……」
「悠人君もついに年貢の納め時さね……」
「なんでだよ」
赤石は軽口を交わす。
「櫻井君、何があったの?」
「聡助、大丈夫?」
「櫻井くぅん……」
水城や新井が、心配して櫻井の下に集まる。
「ごめん、皆。でも大丈夫だから」
「何があったの、櫻井君?」
「いや、俺は恭子を守りたかっただけなんだよ……」
一人、座ったまま延々と勉強をしている八谷を睥睨する。
「櫻井君、大丈夫?」
水城が心配そうに櫻井のことを見守る。
「大丈夫だ、水城。俺放課後行ってくるよ」
「気を付けてね」
「かーっ! 見せつけちゃって!」
新井がぷい、と顔をそむける。
「そ、そんなんじゃないよ~」
「しおりっちが言ってもそう聞こえるもんね~!」
べー、と新井は舌を出した。
放課後、赤石と櫻井の二人は職員室へと来ていた。
「来たか、お前ら。ちょっとあっちの部屋で話そう」
職員室で事務仕事をしていた神奈に、応対室へ連れていかれる。
神奈はソファに二人を座らせた。
「今日お前らがここに呼ばれた理由は分かるな?」
「……」
「……」
返事をしない。
「聡助が病院で暴行事件を起こした、って聞いてな」
「そんな……! 俺……!」
櫻井は反論しようとして、黙る。
「しかも、花波の病室で暴力を振るったらしいじゃないか、聡助」
「……」
「……」
「花波の病室なんて教えた覚えはないぞ」
「霧島が花波から訊いてきたんですよ」
「なるほど」
赤石は情報を補足する。
「こっちの学校でしっかり教育してください、って言われたよ。花波に訊いたら、聡助と赤石、お前の二人が喧嘩したんだってな。なんで高校二年生にもなって喧嘩なんて……」
神奈は赤石に水を向ける。
「喧嘩したんじゃなくて、一方的に殴られたんですよ」
「お前……!」
櫻井が眉を顰める。
「聡助、なんで病室で赤石を殴ったりしたんだよ。大変だったんだぞ、謝りに行ったり」
「それは……こいつが、恭子のことをいじめてることが分かったから」
「いじめてる……?」
不審な言葉が出てきたことで、神奈の顔はさらに曇る。
「まさか。勝手にこいつが勘違いしてるだけですよ」
「お前が恭子を泣かしてるって言ってたんだろうが」
「人間がいれば、泣くことの一つや二つあるだろ。そんなに気になるなら八谷に直接訊きに行けよ」
「ふざけんなよ、お前……!」
神奈は無言で二人のやり取りを聞く。
「そもそも、花波の病室に水城と二人で行ってるようなやつが言っていいセリフじゃあないな」
「なんで水城のこと……」
「帰りにたまたま会ったんだよ」
「水城と花波の病室に行くのの何が悪いって言うんだよ!」
櫻井は立ち上がる。
「自分のことを好きだと言っている女のもとに、彼女と二人でお見舞いに行く。こんな残酷なことがあるか? 自分が好きな相手が、告白をした相手に、恋人を連れてお見舞いに来られたらどういう気持ちだよ」
「自分が好きな相手って、どうして裕奈が俺のことを好きなんだよ」
「教室でさんざ言ってただろうが。先生も見たでしょう?」
花波は転校初日に、櫻井に抱き着き、告白をしている。
「見た」
「あれは、裕奈なりの交流の仕方で……!」
「お前にしか抱き着いていないのにか? お前にしか告白をしていないのにか? 他の誰ともほとんど会話すら交わしていないのにか? それで花波はお前のことを好きじゃない、と言うのか? そんなわけないだろ。お前は気付いて、行ったんだよ。対して好きでもない女から告白されて困ってたから、あえて気付かないふりをして水城と二人で病室に行ったんだろうが。お前が俺に何を言えんだよ」
「お前が裕奈の何を知ってんだよ!」
「ならそこの先生に訊いてみろよ」
赤石は神奈を見る。
「美穂姉……」
「確かに、あれは誰が見ても聡助に好意がある態度だった」
「だってよ」
櫻井はわなわなと震える。
「あぁ、可哀想だなあ、花波は。自分の好きな相手が恋人と共にお見舞いに来るなんてな。他にも、お前が知らないだけで色んな女を泣かせてるんだろうなぁ。お前が俺のこと言えた口じゃねぇよなぁ」
責め立てるように、言葉をつむぐ。
「どうせ花波が飛び降りたのもお前が原因だろ。自分はモテてないだとか適当な言い訳をつけて女を泣かせて、その原因を直視しようともせず、誰かに責任をなすりつけて、それで自分はヒーロー気取りかよ。いい加減にしろよ」
「てめぇ!」
櫻井が赤石に殴りかかろうとする。
「止めろ!」
神奈の一喝が櫻井を止める。
「根本的におかしいんですよ、こいつ。人の言うことを聞きもしない、自分はモテてないと言い張り女を泣かせて、挙句の果てに暴力で解決しようとする。俺は病室にいた時も一方的に殴られただけでしたよ。俺からは一度も手を出してない。それとも、これでもやっぱり櫻井が正しくて俺が悪いですか、先生?」
櫻井に好意を持っていたからこそ、神奈に、赤石は訊く。
「美穂姉……」
「はぁ…………」
神奈は大きいため息を吐いた。
「聡助、私はお前らが三年になるときには、もういないんだ」
「美穂姉……」
「私はもう聡助のことをかばってやれないんだよ。分かるか?」
「俺、美穂姉がいなくなるなんて、未だに想像できねぇよ……」
神奈は再びため息を吐く。
「聡助、大人になれよ」
「…………」
櫻井はうつむいたまま、震えている。
「もう、お前らには言うしかないのかもしれないな」
「え?」
神奈はカバンから小さな箱を取り出した。
「これ」
「え」
「は?」
箱から小さな指輪を取り出した神奈は、左手の薬指にはめた。
「私、結婚するんだよ」
「…………」
「…………」
二人は、言葉を失った。




