第241話 取り巻きの様子はお好きですか? 1
学校が始まる。
赤石はいつものように学校へ行き、いつものように扉を開けた。
「あ、赤石君おはよ~」
「……おはよう」
赤石に気が付いた暮石が声をかけてくる。
赤石はどこか、不安と恐怖に怯えながら、恐る恐る教室を歩く。
赤石は八谷の心を壊した。
八谷は今どんな気持ちなのか。八谷は自分に対して何を思っているのだろうか。
そんな不安に苛まれながら、自席に着く。
「……」
赤石は八谷のいる席を見た。
八谷は席に座り、勉強をしていた。
「…………」
胸が苦しくなる。
どうして自分はあんなことを言ってしまったのか。そもそもあんなことを言うつもりだったのか。一時の激情で八谷に当たった自分が恨めしく、そして悲しく思えた。
赤石は席を立つ。
八谷の席へ向かう。
「八谷」
「……え?」
八谷は学習の手を止め、赤石を仰ぎ見た。
「赤石?」
「何してる」
八谷は力強く、筆跡強く、ノートに回答を記していた。
「あはは、勉強……」
「……」
八谷は苦しそうに、笑う。
「今までやってなかっただろ」
「うん……」
会話が続かない。
赤石が質問しない限り、八谷から答えが返って来ない。
「なんで」
「私って、何もないから」
「……」
何もないから。
「しおりんみたいな可愛さも、新井さんみたいな運動神経も、高梨さんみたいな自分の芯も、葉月さんみたいな艶めかしさも、花波さんみたいな大胆さも、何もないから。私には、何もないから。私は何も持ってないのよ」
「……」
八谷はシャープペンシルを置く。
「だから、私は何も持ってないから、せめて勉強くらいは出来とかないといけないと思ったのよ」
あはは、と八谷は眉根を寄せ、赤石に笑いかけた。
「……そうか」
赤石は自席に戻る。
八谷は、変わってしまった。
いや、そうじゃない。
自分が、変えてしまった。
前までの八谷のふてぶてしさも、根拠のない自信も、明るい心根も、失ってしまった。
全ては、自分の責任だった。
「……」
赤石は重い足取りで席に戻る。
席に戻る最中、花波もまた、自席で勉強していた。
「……?」
席に座った赤石は、花波の手首にカチューシャがつけられているのを見た。
手首にカチューシャをつけていること自体は何ら不思議はなかったが、その隙間から、切り傷が見えた。
赤く細い傷が何本も何本も刻まれている、花波の手首を見た。
「お前これ……」
赤石が花波の手首を掴んだその時、花波が目を見開き、シャープペンシルを机に突き刺した。
「触るな!」
「……っ」
花波は大声で叫び、赤石の座っていた椅子を思い切り蹴り飛ばした。
椅子を蹴り飛ばされた赤石は体を投げ出され、頭から床に転げ落ちる。
「きゃぁっ!」
「何!? 何!?」
「何が起きたの!?」
クラスメイトの雑談が、途端に悲鳴に代わる。
赤石は頭をさすりながら起き上がった。
「問題ない。転んだだけだ。悪かった」
赤石はクラスメイトの方に手を挙げ、問題がないことを示した。
「……そ、そうなんだ」
「…………」
「…………」
「…………」
クラスメイトの楽し気な声が止まり、また少しずつ喧騒を取り戻していく。
赤石は再び自席に座った。
「お前それ……」
そして赤石は再び花波の手首の切り傷を指摘する。
「いちいちうるさいって言ってますわよね。そんなこと言われなくても分かってますの」
花波は赤石の椅子を蹴る。
「…………そうか」
赤石はそこで追及するのを止めた。
櫻井が赤石を見ていることに気付かず、赤石は平静を取り戻そうとしていた。
そして赤石の日常は過ぎていく。
八谷が勉強にのめりこみ、花波の手首に切り傷が見つかり、それでも日常は今までと変わりなく進んでいった。
ある日の放課後。
八谷の下に複数人の男子生徒が集まってきた。
「八谷様!」
ははぁ、と男子生徒がその場に五体投地する。
「私たちのことをご存知でしょうか!?」
「……誰?」
八谷は暗い顔で男子生徒に視線を向ける。
「私どもは八谷様の敬虔なる信徒、八谷親衛隊でございます」
「……」
八谷は半眼で八谷親衛隊を眺めていた。
「取り敢えず、立ってもらってもいい?」
「喜んで!」
五体投地していた男子生徒は立ち上がる。
「八谷様! こうして私共が八谷様の下に馳せ参じたのは他でもございません。最近八谷様の様子がおかしいと感じたからでございます」
「……へえ」
八谷は言葉少なに返答する。
「私なんかに本当に親衛隊なんてあったのね」
「とんでもございません! 八谷様のようなお方こそ親衛隊がついておくべきでございます!」
「私なんて何の価値もないわよ」
「……やはり八谷様らしくありませんな」
リーダー格の男は、おかしい、と首をかしげる。
「以前までの八谷様はこのようなご様子ではございませんでした。私共のような人間を見てはゴミだクズだと吐き捨て、気持ちの悪い物を見るような目で私共のことを見下してくれたではありませんか」
「そんなことあったのね」
八谷は自分がどんな自分だったのか、思い出せなくなっていた。
「どうして以前の八谷様ではあられないのでしょうか!? このままでは、我々八谷親衛隊の沽券に係わります! 水城親衛隊、新井親衛隊などの親衛隊と比べて、求心力が落ちます! ただでさえ八谷様は親衛隊の数は少ないのです! どうか、どうか以前の八谷様に戻って下され!」
「以前の私……」
八谷はその場で考え込む。
「このままでは八谷様は水城殿と変わりありませぬ! 八谷様の歯に衣着せぬ、人をゴミと思ってそうな目が良かったのですぞ! 何物をも拒絶する八谷様の強固な精神力が好かれていたのですぞ! これでは水城殿との区別がありませぬ!」
「しおりんとの区別……」
ふふ、と八谷は苦笑した。
「私なんて生きてる価値ないから。もういいでしょ、私先急いでるのよ」
「そ、そういう意味ではありませぬ! そういう意味で誤解されたのでしたら謝りまする! どうか、どうか以前の八谷様を! ご慈悲を!」
親衛隊は全員、膝を曲げ頭を垂れた。
「それとも、やはりあの男が原因でございますか?」
「あの男……?」
「あの男、櫻井でございます。何度も何度も八谷様にちょっかいをかけ、恋仲にでもなろうとしているかのようなあの男、櫻井でございますか!?」
「全然違うわよ……」
八谷は視線を外し、地面に向かって言う。
「やはりあの男、ただでは生かしておけませぬ! 八谷様はすべてを下に見る、その冷ややかな目が良いのでございます! 他人をゴミと思っているような居丈高なところが良いのでございます! 櫻井のようなものが係わって来れば自然、八谷様のアイデンティティに関わりまする!」
「……そうね」
「それともあれでございますか、赤石という男でございますか?」
「赤石……」
八谷が反応する。
「櫻井と比べマークはほとんどついておりませんが、赤石という男も二年になってから係わりのある男の一人ではありませんか!? やはり赤石にも罰を――」
「赤石に何かしたわけ?」
「え?」
八谷は剣呑な目で親衛隊を睨みつける。
「やっぱりあんたらのせいだったのね」
「な、何を言ってるでございますか八谷様」
「もうやめてください」
八谷は頭を下げた。
「赤石に迷惑をかけないでください。他の人に迷惑をかけるのは止めてください。もう私のせいで他人が傷つくところは見たくないんです。結局私のせいで赤石に、そんなところでも迷惑かけてたのよね。もうお願いします。本当にお願いします。迷惑をかけるのだけは止めてください」
八谷は深く、頭を下げた。
「ち、違いまする。まだ我々は何も……」
「お願いします」
八谷は頭を下げる。
「……」
「……」
「……」
親衛隊は顔を見合わせた。
「何があったのかは分かりませんが、私共はなにもしてないのでございます」
「……」
「分かりました。では、今日はここで失礼します」
「……お願いします」
八谷は親衛隊に体を折り、頼んだ。親衛隊は自らの八谷への認識と実態に大きな差異を感じ、撤退した。
こんな所でも自分は赤石に迷惑をかけていた。
八谷には深い深い罪悪感が、赤石に対する罪悪感が、刻まれていった。
「ね~、昨日のテレビ見た?」
「見た~、本当あいつありえないよね」
「分かる~、もうマジでテレビで見たくない」
女子生徒が会話する。
「リルダ夢想、見たかよお前」
「見た見た。もう今からわくわくが止まらねぇわ」
「早く発売してほしいよなぁ。ある種前回のスピンオフみたいなもんだろ? 本当マジでいつになったら俺たちを寝かせてくれるんだよ」
男子生徒が会話する。
依然として、八谷は勉強し、今日も日常が始まる。
ホームルームが始まる時間が近づいていた。赤石もまた、自席で勉学をしていた。
「お前ら、席についてくれ」
「……」
本来のホームルームの時間よりも少し早く、神奈が教室にやって来た。
生徒たちは慌てて自席に戻る。
そして今回は、神奈の様子が少し違っていた。
顔つきが、違っていた。
「お前らに大事な話がある」
「大事な話……」
「何が……」
ざわつく。
いつもなら既にいるはずの花波がいないことに不安を感じながらも、赤石は神奈を見る。
神奈は赤石たちを向き、深く息を吸った。
「花波が、飛び降りた」
神奈はそんな騒音をかき消すような事実を、言った。




