エピローグ
休日。
櫻井とデートに出かけた水城の家は、しんと静まり返っていた。
「……」
「……」
水城の両親である茂と紅藍は、同じ空間にいながらも、一言も言葉を交わさない。
喧嘩の一件以来、二人はお互いに口をきかないようになり、数週間が経過していた。
「……」
「……」
元々茂が口下手ということもあり、櫻井にかかりきりになっている水城には、そんな両親の変化に気付くことがなかった。
「…………」
茂がリビングを回り、シンクにたどりついた。
「……」
シンクには、洗われていない大量の皿が、放置されていた。
「……」
茂は紅藍を見る。
紅藍はソファーで、寝ていた。
「おい」
「…………はい」
少し間をおいて、紅藍が返事をする。
「皿は」
それは茂が数週間ぶりに交わした、まともな言葉。
紅藍は茂と目を合わせる。
「洗ってません」
「何故洗わない」
「忙しかったからです」
紅藍はつんとした表情で言う。
「お前は専業主婦だろ? 家事をやらなくてどうする。家で一体何をしているんだ」
「こっちにも体調がすぐれない日があるんです。休日も働いてるんだからそんな日があっても当たり前でしょう」
紅藍は茂から目を逸らし、横目で言う。
「何故家事もしないんだ? お前がやらなければ誰がやるんだ」
「あなたがやればいいじゃないですか。大体、いつもいつも私にばかり頼んで、ちょっとは協力くらいしてくださいよ」
「だから休日は手伝ってるだろ」
「手伝うって言い方がそもそも嫌なんです。こっちは志緒を育てて毎日家事もやってきました。あなたは平日に仕事に行ってただけじゃないですか」
「……」
茂はシンクから離れた。
「お前は何がしたい?」
「はあ……」
紅藍は疲れ切った様子で、ため息を吐く。
「そんなに嫌なら離婚でもしますか?」
「…………」
茂は紅藍から目を離し、踵を返した。
「次の休みに書類を取ってくる」
「…………」
振り返ることのない茂を、紅藍は目で追った。
「あ……」
やってしまった、と思った。
数週間口もきいていない茂との会話を生み出すために、故意に放置した皿が、裏目に出た。
紅藍は引き留めて欲しかった。離婚をするはずがないだろう、と言って欲しかった。自分から話しかける勇気がないばかりに、茂の目につくように家事をさぼった。
目につきやすい家事をサボり、会話を生み出した。
だが、紅藍は素直になれなかった。
どうしても茂を前にすると素直な言葉よりもまず、悪態が先に出た。
そしてその結果が、今だった。
「あぁ…………」
茂は離婚届を取って来ると、言った。
「なんで……」
紅藍はその場にうずくまる。
「なんでこうなるんですか…………」
うっうっ、と泣きながら、紅藍はソファーを涙で濡らした。
「どうして……」
紅藍はただ、そういうことしか出来なかった。
素直になることが出来ない自分を、呪った。
ただ、話がしたい、と、そう言えば良いだけだった。
「どうして……」
紅藍の意地と茂の意地がぶつかりあった、結果だった。
「あ~~~~~~」
一人、自室で花波は声を上げていた。
抑えきることのできないストレスが、花波を襲っていた。
「あ~~~~」
剃刀を、持ってくる。
「聡助様……」
花波は剃刀で自身の右手を、軽く切った。
「聡助様……」
花波は目の下にひどいクマを残し、手首を切っていた。
うっすらと血がにじむ様子を見て、花波は満足する。
血が出る様子を見ると、何故か安心できた。行き場のないストレスを吐き出す方法が、分からなかった。
形としてストレスが解消されたように思えた。リストカットは、花波にとって、とても満足できるものだった。
やりたいと思っていたわけではなかった。
だが、やらずにはいられなかった。
「私には聡助様しかいませんの……」
大量の睡眠薬を机に放置したまま、花波は己の摩耗した心を守るように、手首を切っていた。
睡眠薬を使わなければ、眠ることも、出来なくなっていた。
「……」
新井は自室でスマホを開いていた。
カオフを開き、メッセージを送る。
『朋美、男紹介してくれない?』
平田朋美。
赤石のクラスで女子グループの先頭に立つ女に、カオフを送っていた。
「聡助……」
櫻井の名前を口にしながらも、うるんだ瞳でメッセージを送る。
『私今男の子と遊びたい気分なんだよね』
新井は自分の道を、踏み外そうとしていた。
「ふふふ……」
葉月は家で、マフラーを編んでいた。
「今年ももうすぐクリスマス……」
櫻井のために、手編みでマフラーを編んでいた。
「私が櫻井君の隣にいないと。櫻井君もそう思ってくれてるよね、きっと」
櫻井が水城と付き合ったという事実を受け入れず。あるいは、受け入れきれずか。
葉月は現実から目を逸らしたまま、マフラーを編んでいた。
「私が櫻井君の隣にいないとね……」
葉月はうっとりとした目で、マフラーを編んでいた。
「…………」
自室で一人、船頭はスマホを見つめていた。
櫻井とデートをする。それが自分にとってどういう意味合いを持つのか。赤石の言っていたことはただの詭弁であり、櫻井との関係性の方が、自分にはあっているのか。
「…………」
船頭は霧島からの連絡を待っていた。
櫻井とのデートの日取りに、船頭は不安と自分への疑義が募っていた。
「うっ……うっ……」
八谷は一人、布団にくるまり、泣いていた。
「赤石……ごめん……」
ただひたすらに赤石への謝罪を繰り返しながら、布団の中で泣いていた。
「……」
赤石は一人、自身の手のひらを見つめていた。
自分が八谷にしたこと。
八谷の感情。
罪と罰。
功と罪。
赤石は手のひらをぎゅっと握りしめる。
「最悪だ……」
赤石は最悪の気分のまま、何もすることが出来ず一日を過ごしていた。
それぞれが思い思いの時間を過ごす。
体育大会が、始まろうとしていた。




