第236話 帰宅はお好きですか? 2
「ゆかりクーイズ!」
「ゆかり……?」
赤石は小首をかしげる。
「私の名前。え、本当に忘れた?」
「修学旅行の出来事がショッキングすぎて」
「何があったの」
「いや、特には……あと冗談」
赤石は言葉を濁す。
「そう? じゃあクイズしていい?」
「どうぞ」
「船頭ゆかりは悠人がいない間、何をしていたでしょうか!」
「はあ」
「てっと、てっと、てっと、てっと」
船頭がリズムを刻む。
「勉強」
「ぶぶーー」
「ぶぶー、はないだろ。勉強しろよ」
「正解はこれを作っていた、でしたー!」
船頭はじゃじゃーん、と手元からマフラーを出した。
「何故この時期にマフラー……?」
「ちょっと編み物したい気分になって」
「女って編み物とか好きだよな」
「偏見でたし!」
船頭はマフラーをしまった。
「見せびらかしに来たのか?」
「まあそんなところですよ」
「そうですか」
「……」
船頭は赤石の対面に座る。
「でも私も最近結構勉強してるから頭良くなったよ」
「そうか」
「一緒に北秀院に行こう!」
「ああ」
おー、と船頭は張り切る。
「じゃあ今から悠人の家行こっか?」
「本当に来るのか?」
うん? と立ち上がった船頭は振り向く。
「当たり前っしょ。じゃあ場所教えて」
「俺に迷惑かけるなよ」
「もちもち~」
赤石は家へ向かった。
「ここだな」
「へ~」
赤石は家に着いた。
「なんか、なんだろう。ふつー」
「普通のあばら家で暮らしてるよ」
「お邪魔しまーす」
赤石の後ろから、船頭も入る。
「あら悠人、誰その子?」
「船頭。ギャル」
「こんちは~、船頭でーす!」
船頭はにぱっと笑い、頭の上でピースを作った。
「あらあら……これはまた悠人とテンションが違うわねえ」
「あ、これつまらないものですけど」
船頭は赤石の母親にカステラを渡した。
「いつの間にそんなものを……」
赤石は船頭を凝視する。
「まあまあ、ゆっくりしていってちょうだいね」
「お母さんノリ良い~」
「悠人、あんたあのお人形さんみたいな女の子に次いで……」
「あれは不可抗力だろ」
「は?」
赤石は二階へ上がる。
「お人形さんみたいな女の子って何?」
船頭が階段を上がりながら、訊く。
「高梨ちゃんのこと?」
「正解。お前は知らなかったか?」
花火大会当日、船頭がいたかいなかったかが思い出せない。
「いや、家泊まったとか初めて聞いた気がするんだけど……」
「高梨が家出して雨の中滑り台の下にいたから仕方なく泊めたんだよ」
「聞いてな~」
はあ、と船頭はため息を吐く。
「悠人ってそういうこと本当なんにも教えてくれないよね」
「言ってなかったか……?」
高梨が泊まったことを知らなかったことに不思議がる。
「じゃあ誰かに言ったの?」
「誰かに言った気がするけど、誰に言ったのかが分からない」
「本当、駄目」
赤石と船頭は部屋に入った。
「悠人ってもっと他人のこと気にかけた方が良いよ」
「会話の内容は覚えてるんだからいいだろ」
「内容覚えてても誰と喋ったか覚えてなかったら意味ないじゃん」
「普通、誰と喋ったかの方が忘れるだろ」
「私は悠人と喋ったことちゃんと覚えてるよ」
「櫻井の真似事をしてお前が喜んでたことか?」
ふ、と赤石は嘲笑する。
「は?」
船頭は光のない目で赤石を見た。
「うざ」
そしてどさ、と荷物をその場に置き、荒々しく座った。
「私と喋ったことも忘れてるんだ」
「喋った内容は忘れてないはず」
「じゃあ誰と喋ったかは覚えてないんだ」
「誰も公言してないだけで、普通はそうだろ」
「しょーもな」
船頭はどんどんと不機嫌になっていく。
「悠人って本当私に何も教えてくれないよね」
「聞かれないことを教えられないだろ」
「聞かれなくても自分の情報を教えていくのがマブダチでしょ」
「そんな気質は俺にはない」
「もしかして他にも誰か悠人の家来たりした?」
「三矢、山本、統貴と鈴奈と八谷と上麦。ぐらいだった気がする」
「へえ」
船頭は床の目を指でなぞっていた。
「聞いといてその態度かよ」
「むかつく」
船頭は赤石をきっと睨む。
「櫻井の真似事とか言わなくていいじゃん。むかつくんだって、悠人」
「悪い」
「私が何聞いたらむかつくとかわかんないわけ?」
「分かって言ってるのかもしれないな」
赤石は常に、他人を不快にすることを言う。
他人を不快にして、自分が嫌われるように仕向ける癖があった。ともすれば悪意的、ともすれば悪癖、いわば露悪的な趣味が、赤石にはあった。
「意味わかんないよ」
「そうだな」
「……」
「……」
椅子に座る赤石と床に座る船頭。
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
「……」
「……」
どちらからも話を振らない。
「そんなに嫌われたいの?」
「かもな」
「……」
「……」
赤石は嫌われることが好きだった。
他人から嫌われることに対して好意的に考えている節があった。
他人の期待に応えられないんじゃないか、他人の気に障ることをしてしまうんじゃないか、他人に見捨てられるんじゃないか。
そんなどうしようもない絶望が、どうしようもないネガティブなイメージが赤石の脳内に先行し、どうしても他人と距離を取るような言葉を話してしまう癖があった。
他人の期待に応えられないかもしれない、という感情が先行しているせいで発した言葉が、より他人の期待を裏切っているという現実に、赤石は気付いていた。
そしてそれでも尚、赤石は他人を傷つける。
自分が傷つかないために。これ以上他人に期待を背負わされないために。
赤石は他人に過剰に評価されることが、怖かった。他人に気を遣いすぎるがために、他人に最も気を遣わない行為に及んでしまうことが、二律背反する赤石の悪癖だった。
「……」
「……」
数分が経った。
赤石は動かないまま、じっと船頭を見ていた。
船頭は何度も何度も同じ目をなぞっていた。
先に動いたのは、船頭だった。
ぼす、と赤石のベッドに座る。
そして赤石の枕に顔をうずめた。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
枕に顔を当て、大声で叫んだ。
「おい」
「あーーーーーーーーーーーーーー!」
声を枕に当て、何度か大声を上げた後、力なくその場に横たわった。
「おい」
「……」
「ゆかり……?」
「……」
「死んでる」
船頭は赤石の枕に顔から突っ伏し、動かなくなった。
ばっ、と突然船頭が顔を上げる。
「これで許してあげる」
「はあ」
大声を上げた船頭は少しすっきりとした顔になった。
「ただし、これ以上私を不快にさせないこと。分かったね」
「はあ」
赤石は頷くしかなかった。
「何その顔?」
「いや、すげぇ……枕が綺麗じゃない……」
赤石は言葉を選びながら、言う。
「はい、もう不快になりました」
「枕洗っていいか?」
「罪を重ねました、悠人」
船頭は赤石に枕を投げた。
「お前が全部悪いんだよ!」
「ご忠告どうも」
赤石は枕を洗いに行った。




