第24話 尾行はお好きですか? 1
土曜日、赤石は八谷宅に召致されていた。
「大変……大変よ赤石…………」
「………………」
午前の九時一五分――
八谷宅のキッチンで、八谷と赤石が議論を交わしていた。
「お前さ…………」
赤石は八谷に目を向ける。
「呼ぶの早すぎ」
「仕方ないでしょ! 緊急事態なのよ!」
赤石は眠たげな眼でキッチンの椅子に座り、アイマスクをあさくつけたまま、船を漕いでいた。
「いや、俺始発でここ来たんだぞ。金曜日だからちょっと寝るの遅くなったし、三、四時間くらいしか寝てない。寝かせてくれ」
「そんな場合じゃないでしょ!」
赤石の事情に関係なく、八谷は声を荒げる。
赤石は例によって、八谷から『カオフ』で召集を受けた。
その時、時計の針は深夜の一時を指していた。
八谷の家宅に訪問するのが二回目ということもあり、赤石は自身が櫻井と同化しつつあることを承知しながらも、なんだかんだと、誰に訊かれる訳でもない言い訳をしながら八谷の家にやって来ていた。
一端の男子学生として女子生徒と交流を持ってみたいという下心と、櫻井のようになるのは嫌だ、自分は櫻井とは違う、という矜持とがせめぎ合った、言いしれない感情のまま赤石はやって来た。
その決別しきれていない感情が原因か、女子の家にやって来たまではいいが、櫻井と同類になることを恐れ八谷と仲を深めるような行動にまでは踏み切れず、かといって完全に無下にも出来ず、どっちつかずな対応をしていた。
「赤石、じゃあ本日の議題を発表するわね」
八谷は冷蔵庫に張り付けてあるホワイトボードに、議題の内容を書き記した。
「本日の議題は、『聡助の浮気疑惑を調査せよ!』よ!」
「…………『櫻井の浮気疑惑を調査せよ』?」
「拍手!」
パチパチパチパチ。
乾いた拍手を適当に送る。
「あんたいつまでアイマスクしてんのよ! 外しなさいよ! 別にアイマスクしてても寝てないなら意味ないでしょ!」
「いや、寝てなくても目瞑ってたら体力は回復するらしいぞ。いや……分かった、外す」
アイマスクをしていると何かと不便か、と考えた赤石は、アイマスクを外した。
「言いたいことが、二つある」
赤石は、指を二本立てた。
「言いなさいよ」
「まず一つ目」
赤石は一本の指を折り、
「出たよ」
「出たよって何よ⁉」
呆れた顔で八谷を見た。
『櫻井の浮気現場を調査せよ』――
その議題のおかしさに、赤石は頭を悩ませる。
ラブコメのヒロインが、付き合ってもいないのにラブコメの主人公のことを彼氏扱いする例の現象が、今ここでも起きていた。
「櫻井の浮気現場を調査せよ、って櫻井はまだ誰とも付き合ってないし、お前は付き合ってないんだから何も関係ないだろ?」
「何よ! 聡助が他の女と浮気してるのよ! だから浮気現場を押さえるの!」
「浮気じゃないし、お前そういうの止めた方が良いと思うぞ。その自己中心的な考え」
「う…………うるさいわね! わ……分かったわよ、これでいいんでしょ!」
八谷はホワイトボードの文字を一部消し、書き換えた。
「今日の議題は、『聡助のデート疑惑を差し押さえろ』よ!」
「まぁこれなら……」
「拍手!」
パチパチパチ。
再度、乾いた拍手を送る。
「そして、二つ目」
「言いなさい」
赤石は二本目の指を折る。
「前にも思ったんだけど、お前休日なのにご両親は一体どこに……?」
訊いてはいけない事なのかもしれない、と若干肝を冷やしながら、赤石は八谷を見る。
「ママとパパは仕事よ! あんまり詳しくは知らないけど、ママはマーチャンなんとかで、仕事の都合上土曜日と日曜日は仕事なのよ。その代わり、平日が休日になってるわ。パパはエンジニアで、普通に休日出勤だからいないのよ!」
「なるほど…………」
八谷は両親のことをパパ、ママ、と呼んでいるんだな、と考えたが、呼称にケチをつける理由もないので、黙る。
またラブコメの定石を守ったのか、と考えたが、存外理由は妥当だった。
案外、保育所の数が不足して共働きが珍しいくなくなった今じゃ珍しくない事なのかもしれないな、と納得する。
こんな豪邸に住むくらいだから親御さんも仕事が大変なのかもしれない。
「じゃあ最後に三つ目だ」
三本目の指を伸ばし、折りたたむ。
「三つ目なんてなかったじゃない!」
「今思いついたんだ。お前はどうして櫻井が今日誰かとデートに行くことを知ってるんだ?」
「それはね、聡助が昨日の夜遅くに『ツウィーク』でデートをにおわせることを投稿してたのよ。それで慌ててあんたに連絡したわ」
道理で夜遅くに連絡が来たわけだ、と得心する。
「聡助が『ツウィーク』で『明日は一二時からご飯食べたり映画観たりする。楽しみ。集合場所はラ・トルシェ』って投稿をしたのよ。そしたら、その後しおりんが『明日はお昼から映画観たりラ・トルシェ行ったり楽しみ』って投稿したのよ。これは、聡助としおりんがデートする、ってそういう意味じゃないの?」
「お…………おぉ……」
普段は取り巻きの櫻井に対する好意には気付かないが、自分の恋愛の危機と分かれば即座に察知する洞察力に、いささか舌を巻く。
その洞察力を普段でも生かして欲しいがな、と付け加える。
「だから、今日は聡助のデート現場を尾行するわよ! いいわね?」
有無を言わせず、八谷は厳命する。
ここで嫌と言っても帰してはくれないだろう、と自分に言い訳をしながら、首肯した。
櫻井のデート現場を尾行するという理由があれども、異性と二人で外に出かけることは、赤石にとって少しだけ、浮き足立たせた。
そこで、赤石はもう一度櫻井の投稿を追想する。
八谷の推測とはまた別の点で、赤石は胡乱に思ったことがあった。
櫻井の言葉は、一体何だったのか。
『集合場所はラ・トルシェ』
この一文は必要だったのか。
投稿をすること自体何もおかしなことはないが、一々集合場所と集合時間を投稿する必要はあるのか。
一々どこに行くかを、予定の時間まで伝える必要があったのか。
櫻井の性格から、自身が様々な女と仲が良い所を他者にひけらかさないと、気が済まないと考えられる。
また、自身が女にモテている、その矜持が、慢心が、余裕が、ある。
だとすれば一々集合場所と時間を指定したのは、誰か自分のことを好きな奴が自分を追いかけて来る、と期待したからじゃないだろうか。
偶然を装って女が自分と会いに来ることを心では望んでいたのではないだろうか。
そう考えているだろうことが、ありありと分かる。
実際、今も八谷が櫻井の思い通りになっているのだから。
水城にしても、同様だった。
一々、櫻井の投稿と重ねて同じような文意の投稿をする必要があったのか。
櫻井と自分とがデートをすることを暗に匂わせて他者への牽制にしてるのではないか。
「いや…………」
水城は、水城だけは違うはずだ。
水城は、天然と言って差し支えのない人間だ。そのような昏い目論見があるわけがない。ないに違いない。あって欲しくない。ないことを、希求している。ないはずだ。
水城に対して憧憬や言いしれない感情を抱いている赤石は、水城がそのような下衆な考えを抱いているとは、一寸も想像出来なかった。
いや、想像しては端からその選択肢を削除していた。
「事情は分かった」
赤石は全ての事情と思考とをまとめ上げ、八谷に向かい合った。
「行くか」
「行くわよ」
赤石と八谷とは、櫻井と水城とのデートの尾行に乗り出した。




