第211話 花波裕奈はお好きですか? 2
「……」
「……」
車を走らせて数分が経った頃、突如としてスピードが減衰する。
「じい……?」
「……」
老執事は明らかに動揺する。
「お、お嬢様……」
「何、じい」
「タイヤが……パンクしました」
「えぇ!?」
花波は櫻井の方を向いた。
「な、何が起こったんですのじい!?」
「わ、私にもわかりません。突然のことで……」
車は道の端で、完全に停止した。
「ど、どうにか出来ないんですの!?」
「どうにか出来なくもないですが、そんなことをしていると集合時間には間に合いませぬ……」
「そ、そんな……」
改めて、花波は櫻井を見た。
「そ、聡助様……」
「パンクなら仕方ない……! 出るぞ、裕奈!」
「は、はい!」
櫻井は扉を開けた。
「じ、じい、私たちは歩いて行きますわ! じいはタイヤを直したら帰っておくのよ!」
「しょ、承知いたしました。誠に申し訳ございません、お嬢様……」
そう言うと花波は櫻井とともに、集合場所の駅へと向かった。
「お嬢様……お気をつけて……」
老執事は櫻井たちが去るのを見届けた。何の支障もない車を置いたまま、花波と櫻井との恋の行方を見守っていた。
「聡助様! 本当に申し訳ございませんわ! こんなことになって……」
「パンクなら仕方ないだろ」
櫻井と花波は二人、集合場所へと歩いていた。
「あっ……ちょっと……」
「?」
花波は少し、立ち止まった。
「はー、はー、はー」
「裕奈?」
花波はその場で何度も息を吸った。
「裕奈、大丈夫か?」
「す、すみません聡助様。少し急いで息が切れましたわ」
「ゆっくりして行こうぜ、裕奈」
「でも、集合場所が……」
花波はきょろきょろと周囲を見渡す。
「バスとか通るだろ」
「この時間帯にバスは通っておりませんわ」
「タクシーとか……」
「タクシーも同様ですわ」
「まあ、仕方ねぇよなぁ……」
櫻井と花波は二人、集合場所へと歩いていた。
集合時間から遅れること十五分、櫻井と花波はようやく集合場所にたどり着いた。
「つ、つきましたわ聡助様……」
「ああ、ついたな……」
バスは既に、出発していた。
「お~い、遅いぞお前ら」
「……え?」
花波はこちらにかけられた声に、顔面蒼白となった。
「山内……先生?」
「やっとついたか、お前ら」
集合場所には、大柄な男性教師が一人、立っていた。
「ど、どうして山内先生がここに!?」
花波が、言う。
「はっはっは、当たり前だろ。生徒だけで行かせて問題でも起こったら大変だ。先生がお前たちの付き添い人として、無事に京都まで連れて行ってやるぞ」
「そ、そうでしたの……」
花波は視線を外し、転瞬。
「では、よろしくお願いいたします」
そして、丁寧にお辞儀をした。
「なぁに、心配することはない。元々先生は遅れて行くはずだったからなあ。一人で行くところが君たちを連れて行くことになっただけだよ。遅れる生徒がいることも想定のうちだったからね。はっはっはっは」
山内先生は、大笑した。
「リンゴ」
新幹線。赤石が、不意に呟いた。
「ゴミ……」
黒野が続けて言う。
「皆!」
「仲間!」
暮石と鳥飼が続けた。
「全く……何を面白くもないことをしているのよ、あなたたちは」
高梨が入ってきた。
思いついた人が自由に続けるしりとりをしていた。
バスを乗り継ぎ、新幹線に乗った赤石たちは思い思いに、自由な時間を過ごしていた。
赤石と暮石たちはそれぞれ班で固まり、赤石と暮石の班は通路を挟んで両側に固まっていた。
「いやあ、おもろいなあ。修学旅行は」
「何も始まってないだろ」
三矢がお菓子を口にしながら言う。
「それにしてもアカ、お前はまた端っこおるんか」
「酔うからな」
「外見て会話して、ほんまかっこつけとるみたいやなぁ!」
「俺に触れるとやけどするぞ……」
「一周半回ってめっちゃおもんないわ!」
通路側にいる三矢は、楽しそうに言った。
「それにしても櫻井君、山内先生と今一緒に来てるんだってね」
「らしいな」
神奈から伝えられた情報を、暮石が言う。
「良かったね、皆無事に来れて」
「そうだな」
「新幹線に乗って一番にやることがしりとりだなんて、何のエンターテイメント性もありはしないわね」
高梨もまた外の景色を見ながら、言う。
「いやぁ、でも実際こういう修学旅行ってバスの中とか新幹線の中とか、移動しとる時が一番面白いまであるで、なあ黒野」
「別に……」
あれ以降、黒野は口を閉ざすようになった。
余計なことを言うなよ、と赤石は黒野に目配せする。黒野はポジティブはクズ、と口パクで赤石に伝えた。赤石は苦笑する。
「なあどう思う、ヤマタケ」
「そうでござるね、確かに文化祭も文化祭の準備が一番楽しいともいうでござるし、期待する事象に向かってどんどんと進んでいる時間は、本当に楽しいのかもしれないでござるね」
「せやろ? そもそも人と人が何に邪魔されることもなく喋るこの空間が一番面白いに決まっとんねん!」
わはは、と三矢はまた笑った。
「おーう、楽しそうだなミツ!」
「おう、須田か!」
通路を、須田が通る。
「あ、須田君……!」
「お、暮石ちーっす」
須田は片手で挨拶を送る。
「お、悠また死んでんじゃん」
外を見てぐったりとしている赤石を見て、須田が笑う。
「悠は乗り物で死んでんじゃん。悠が祈るのは神殿じゃん。これ見よがしなの真剣じゃん」
「謎の韻を踏むな」
「あはははは」
須田は笑った。
「統貴、何をしに来たのよ、あなた」
「トイレ」
須田は前を指さした。修学旅行への期待で膨らんだ学徒たちの声が、わいわいと新幹線を揺らす。
「あ、須田君、この前水泳で賞もらってたよね! おめでとう!」
「おう、サンキュ」
須田は修学旅行直前、水泳大会で受賞していた。
「じゃあ皆、そこの悠を頼んだ」
「任せなさい!」
そう言うと須田は先に行った。
「あれが須田君……」
生身でほぼ接したことのなかった鳥飼は、須田の後姿を見送った。
「つくづく、赤石お前なんかと仲良くしてる理由が分からねぇなぁ」
「家が近いからだよ」
「金で雇ってんのかぁ?」
鳥飼は挑発気味に言う。
「こら!」
「いて!」
暮石が鳥飼を諫める。
「そんなこと言っちゃ駄目だよ!」
「だって、赤石が……」
「ふっ……」
赤石は鼻で笑った。
「ほら、あいつ! あいつが!」
「あかねが先に言ったからあかねが悪いです~!」
「くっそぉ……」
鳥飼はおとなしく、引き下がった。
「さっきの人。良い匂いした」
上麦がくんくんと匂いをかぐ。
「まあ、あいつ朝滅茶苦茶食ってきたらしいからな」
「朝からすごいわね」
高梨たちは須田の話題で、少し盛り上がった。
「女って匂いに……すごい敏感だから、お前も気を付けた方が良いよ」
「知らねぇよ。何をどう気を付ければいいんだよ」
黒野が赤石にぼそ、と言う。
「……」
「……」
「……」
一瞬、場が静かになった。
「赤石君、何か面白いゲームを教えなさいよ」
高梨が赤石に言った。
「なんで大病人にそんな責任が負わされんだよ」
「いいじゃない、言いなさいよ」
「はあ……」
赤石はため息を吐いた。
「じゃあしりとりやるか」
「やってたじゃない、さっき」
暮石たちは赤石と高梨の話を聞く。
「ちょっと変わったしりとりだよ」
「え、何それ何それ、面白そう!」
暮石が話に入ってきた。
「前の言葉に関連する言葉でしかつなげられないしりとりだ」
「何それ、面白そう!」
暮石は両手を握り、前傾の姿勢で聞く。
「お前みたいなやつがいるとやりやすいよ」
「教えて!」
「やってみたら分かる。知性が出るゲームだからな。俺から行くぞ、リンゴ」
次の手番は、高梨。
「なるほど、そういうことね。中々面白そうじゃない。ゴールド」
「……?」
「?」
一同は静まり返った。
「どういうこと?」
暮石が高梨に訊く。
「リンゴと関連のある言葉でしりとりをすればいいのよ」
「リンゴとゴールドって何か関係あるの?」
「ギリシャ神話に金のリンゴが出てくるのよ」
「へぇ~、知らなかった~」
暮石は何度もうなずいた。
「じゃあ私行くね、……ドル!」
「「「おぉ~」」」
「金とドルか。うまいこと言うやないか」
「えへへ……」
暮石が頭をかく。
「ル……」
上麦が頭を抱えた。
「ルー!」
「ルー? カレーの?」
暮石が小首をかしげる。
「そう! お金で買えるから!」
「これはどうでしょうか、赤石監督!」
暮石が言う。
「まあ厳しいけどいいんじゃないか。そこまでこだわることでもないだろ」
「赤石、カレー食べたい!」
「ルーで思い出したのか……」
上麦は口元を拭いた。
「ル……」
そして、鳥飼。
「……」
「……」
「……」
「……」
流れが、止まる。
「知性が出るゲームだからな」
「二回も言わなくていいんだよ!」
赤石のつぶやきに、鳥飼が顔を赤くして言った。




