第23話 須田統貴はお好きですか? 3
「あ、水城さん…………」
「やっほー!」
水城は手を挙げ、上体を少し傾ける。
八谷は水城と赤石とが知り合いであることに目を丸くして驚いた。交互に、顔を見やる。
「え……あんたもしかしてしおりんと知り合い……?」
「何言ってんだよ、前放送部に水城さんと行っただろ」
「そうだよ、恭子ちゃん! 私赤石君と放送部行ったよ! 気付かなかったの⁉」
「え……嘘? 全然気づかなかったわ。眼中になかった……」
櫻井に夢中になって自分には気付かなかったんだろう、と赤石は得心がいく。
事実、放送部に入った時も出来るだけ人の目につかないよう水城の後ろに隠れていた。
「水城さん、どうしてこんなところに?」
「もぉ~、赤石君! だから同級生なんだから敬語めっ!」
水城は指でバツを作り、口元に持っていく。
赤石自身、水城に引け目や負い目のような、憧憬のような感情を抱いていたため、その動作にドキリとする。
「あんた敬語とか喋れるのね…………」
「誰でも出来るだろ」
「あんた私の時は最初から敬語使ってなかったじゃない!」
「お前は敬語を使うのに値しない人間だと判断したからだろうな」
「何よあんた!」
「二人とも仲良いね~」
赤石と八谷とのやり取りを、水城は微笑ましげに見る。
八谷と仲が良いと言われた赤石は、八谷と自分とが付き合っているという噂が流れている、という事実を思い出す。
「いやいやいやいやいやいや、全然そんなことないわよ! 全然赤石となんて仲良くないから! 本当に!」
咄嗟に顔を赤くして、八谷は大きく手を振り否定する。
昨日の今日で赤石が八谷のことを女として見ているかもしれない、と言った手前、冗談にもなっていなかった。
「え、でも二人は……」
そこまで言って、水城は口を閉じた。
水城にもこのデマが流れているのか……? と赤石は胡乱げな顔をする。一体誰が……と考えるが、犯人の顔は浮かばない。目星が付かない。
「い…………いやいやいや! 全然何もないわよ! 本当に! そう言うしおりんこそどうなのよ!」
これ以上この問題に追及されると自分が櫻井のことを慕っており、赤石にその手伝いをさせているということがバレかねないと判断したのか、八谷はすぐさま水城の話題に差し替えた。
「わっ…………私⁉ 私はね…………」
もじもじと上体を捩り、顔を赤くして少し俯く。両手の指先を遊ばせ、その様子に赤石は目を引かれる。
「私実は、ちょっと前に好きな人に告白しちゃったんだ!」
「キャーーーーーーーーー! 嘘おおおおおおぉぉぉぉぉ!」
八谷は水城の告解に、顔を赤くして叫んだ。
水城の告白した相手というのは、十中八九櫻井で間違いないだろう。
八谷は水城の好きな人をどうやら知らないようだな、と赤石は理解する。だが、水城が櫻井に告白したとなれば八谷の事情も変わって来るのかもしれない……。そう考えていると、水城が口を開いた。
「でもね、駄目だったの」
「嘘⁉ しおりんが駄目だったの⁉ そんなことあり得るの⁉」
「あのね、学校で告白したんだけど、告白した瞬間にベルが鳴っちゃってね、私の告白が聞こえなかったみたいなの。残念」
「えぇーーーーーーーーーー! 可哀想―――――!」
八谷はしゅんとした水城の頭を撫でる。
学校で水城が櫻井に告白したということは、八谷が櫻井と帰れなかったあの日のことか、と赤石は追想する。
だが、そんな水城の告白は、ベルの音で聞こえなかった。
学校の無機質な鐘の音と被っただけで、聞こえなかった。
本当に、そんなことがあり得るのだろうか。
偶々ベルの音が鳴ったのは櫻井のラブコメの主人公然とした力が影響したのであろうことは分かる。
だが、ベルの音が鳴ったくらいで『好きです』の四文字だけが聞こえなくなるようなことはあるのだろうか。
それに、何故水城もそこで聞こえなかったからと言って告白を打ち止めてしまうのか。
「なっ…………」
赤石は口を挟もうとしたが、咄嗟に止める。
何で水城は告白が聞こえなかったからといって続きを言わなかったのか。何で櫻井はベルの音が原因で聞こえなかったのか。
そんなことを言っても、赤石に何の利益もなかった。他者との関係性を排している赤石に、そんなことを言う理由もなかった。
そこで、赤石は押し黙る。が、思考は止めない。
櫻井は、水城の告白を聞こえなかったフリをした。
ひとたび水城に告白されてしまえば、その後は水城一人にかかりきりになるか、もしくは取り巻きが一人減ることになる。
そのどちらかを選ばなければいけなくなるからだ、と心底呆れた櫻井の真相を理解する。
八谷とファミリーレストランに行った時と同様の原理だろう。
仮に自分の推測が外れているのだとすれば、櫻井は本当に取り巻きの誰の好意にも気付いていないことになる。
あの状況で取り巻きの好意に気が付かないというのは、無理があるのではないだろうか。異常極まりないと思わざるを得ない。
赤石は口を出さないまま、水城の話を聞き続けた。
「残念だったね、しおりん。また次があるわよ」
「うん、そうだよね。ありがとう」
八谷は水城を優しく撫で、慰める。
赤石は水城を見ながら、水城の感情を読み取ろうとした。
それはただの邪推かもしれないが、自分の心に生まれた邪推を整理するように、考える。
何故水城は今この場所で自分が告白をして失敗した、と公言したのか。
ここは職員室の前で、他の人間にも聞かれる確率が非常に高い。もしかすると、他の人間に既に聞かれたのかもしれない。少なくとも、八谷の他に自分も聞いている。
だが、敢えてこの場所を選んだ。
それは、自分が櫻井のことを好きだということを八谷が悟っていると期待して、自分が櫻井に告白したという事実を突きつけたかったからなのではないか、と。
運悪く八谷も異常なほどにラブコメのヒロイン然とした鈍感さで取り巻きの好意にも気付いていないらしいが、水城の言葉の紙背には、そういった浅ましい計画があったんではないか、と。
水城が櫻井に告白したということを八谷が理解すれば、否が応にも八谷は櫻井への告白を躊躇わざるを得ない。
八谷が櫻井に告白すれば、水城が櫻井を好きなことを知り、機先を制したと思われる。
かといって、告白をしなければ櫻井と付き合える確率は著しく下がる。
どちらの場合にも櫻井と付き合うという目標は達成不可能という、ダブルバインド状態に陥る。
それを理解して、八谷に牽制するかのように告白の事実を伝えたのではないか。
今も慰められている水城を見て、赤石は考えたくはなかった。いや、そうでないと思いたかった。
水城に対して憧憬や引け目を感じているが、水城がそんなどす黒い計画をもってして、現在孤立している取り巻きの八谷を狙い撃ちにしたと。
水城は他の取り巻きを鬱陶しく思い、一人ずつ排除しようとしたと。
そうは、考えたくなかった。実際、そうではないと心から願っていた。
だが、状況的に、取り巻きが一人になるのはこの場面が最も適切であり、八谷が水城の好意に気付いていれば牽制も出来る。
水城は……水城は……違うよな?
そう希望を抱きつつ、赤石は水城を見やった。
「そうだ、そういえばどうしてしおりんはここに来たのよ」
「あぁ、それはちょっと神奈先生……」
「うっせえんだよお前らああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
水城と八谷が職員室の前で会話をしていたところに、神奈が怒鳴り混んできた。
神奈の闖入により、そこまでの思考が中断され、一変する。
「志緒と恭子か! お前ら職員室の前でさっきからうっせぇんだよ! 他にも勉強してる奴らいるだろうが!」
「せ……先生! 他にって、別に他に勉強してる人なんて……」
八谷が横を見ると、耳栓をして数学を解いている赤石の姿が目に入った。
「…………え?」
赤石の裏切りに、八谷は茫然とする。
「赤石が勉強してるだろうが! そうでなくてもお前ら職員室の前でうっせぇんだよ!」
「あ、神奈先生、ちょっと放送部でCD借りたくて来たんですけど……」
「じゃあさっさと来いよ!」
「神奈先生、汚い言葉遣いは……」
「早く来てね!」
神奈と水城は放送部のことに関して話し、神奈は例によって他の先生に言葉遣いを注意された。
水城は神奈からCDを受け取った。
「じゃ……じゃあ、恭子ちゃん、行こ?」
「え……わ……分かったわ」
八谷は水城に連れられ放送部へ行き、赤石はどうにか難を逃れた、と胸をなでおろした。実際喋っていないので関係はなかったとも言えるかもしれないが。
このとき赤石に生まれたほんの僅かな、目に見えないほどの小さな水城への不信感は、とうとう拭い去ることは出来なかった。




