第204話 黒野佐々良はお好きですか? 1
神奈が転勤することを告げてから、二カ月が経った。
「赤石君、ごめんねこんな時まで」
「まあ別にいいですけど」
赤石は岡田に言われ、動画作成の現場に来ていた。
岡田はコンピュータ室で一人、動画をせこせこと作っていた。
赤石は撮影された動画の総時間を見た。
「三十時間とは、結構撮りましたね」
「あははは、まだまだだよ。まだ色々撮らないといけないからね」
「大変ですね」
「会長がこんなこと言わなかったら僕もゆっくり家で勉強してるんだけどね」
岡田は頭をかいた。
「岡田さんは勉強しなくても大丈夫なんですか?」
「いやあ、あんまり大丈夫じゃないんだけどねえ」
岡田はあははは、と笑うのみだった。
「会長は大丈夫なんですか?」
「会長は地頭が良いから大丈夫だよ。それにそこまで大学を高望みしているわけでもなさそうだよ」
「へえ」
赤石は苦笑で場をつなぐ岡田に不思議な感傷を持った。
「岡田さん、失礼なこと言っていいですか」
「いいよいいよ、そんなに怒るたちでもないよ、僕は」
「岡田さんって、なんで生徒会なんか立候補したんですか?」
「ああ……」
岡田は目を細めた。
岡田の性質、性格から見て、どうにも、生徒会に立候補しそうではないな、と赤石は個人的な感覚から思っていた。
「僕はね、僕が駄目な人間だと思ってるんだよ」
岡田は動画をぼうっと見ながら言った。
「君もそうじゃないかな、赤石君」
「俺は別にそこまででもないですけど、そう言われるとそういう気もしてきますね」
岡田は続ける。
「僕たちは、人間は決して出来た存在でもなければ、美しい存在でもない。でも僕はね、その中でも本当に底辺みたいな人間なんだ」
「へえ」
赤石は否定しない。
否定することが岡田にとって良いことなのか悪いことなのか、赤石には分からなかった。
「ダメなんだよ。何もできない。友達もいない。今までずっと人生を馬鹿にされて生きてきた。人に誇れるような才能もなければ、人の上に立つような人間でもない」
「それは俺も一緒です」
人に誇れる立場も才能も、実績も何もない。
「でもね」
岡田は赤石を見た。
「でもね、そんな僕がもし生徒会長になったら、僕みたいな人に希望を与えられるんじゃないか、って思ったんだよ。僕みたいな、なんにもない人間が、一時でも人の上に立てたなら、それは僕のような多くの人間に希望を与えることなんじゃないかな、って思ったんだよ」
「……なるほど」
赤石は首肯する。
「まあ、結果はこんな風に会長にこき使われてるだけなんだけどね」
あはは、と岡田はその場を濁した。
「それでも、僕は今回の挑戦を失敗だと思ってないんだ。僕は僕みたいな人たちを皆助けたい。僕みたいに悩んで苦しんでる人を守りたいんだ。僕みたいにみじめで現実に絶望して、そうして生きている皆を助けたいんだ」
「…………」
それは赤石の中にも、ある感情だった。
「なんて、そんな思いから立候補したかな」
「……そうなんですね」
赤石は視線を逸らした。
「さあ、動画づくり始めようか!」
「そうですね」
「まずはジャンクデータをカットしていこうか! 赤石君もどこがいらないか判断してくださいね」
「了解です」
赤石も動画編集に、乗り出した。
修学旅行まで、残すところわずかとなった。
「……」
放課後、赤石は未市からもらった参考書をぺらぺらと見ていた。
まだ使う参考書もいっぱいあるけれど、もういらない参考書はあげるよ、と言われもらった参考書だった。
やはり成績優秀な生徒会長というべきか、その参考書は見やすく、頭に入ってきやすかった。聞いたことがない数学の裏技や化学反応の覚え方なども秀逸で面白かった。
「あら、何を見てますの?」
後方から、花波が赤石の参考書を覗いてきた。
赤石は咄嗟に、参考書を隠した。
「けちんぼですねぇ、赤石さんは。何を見てたんですか?」
「プロ野球選手オールスターズだ。今年は小尾の調子がいいらしいぞ」
「そんなこと言われても分かりませんわ。それに、参考書を見てらしたじゃないですか」
花波は頬を膨らませる。赤石は視線を逸らした。
「赤石さん、もうすぐ修学旅行ですわね」
「なんでそんなに俺に話しかける」
「席が近いからに決まってるじゃないですか。いやですね、気持ち悪い。だから男っていうのはいつもいつも自分に好意があると勘違いして気色が悪いんですよ。話しかけたら好意があると思ってるんですか? そんなわけないじゃないですか」
相変わらず花波はあたりが強いな、と赤石は思う。
「お前は何でそんなに当たりが強いんだ? 理解できない」
「愚図を愚図と言って何か悪いんですか?」
「愚図を愚図という必要があるのか、というのが一つ。そして本当に愚図なのか、というのが二つだな。なんでお前はそんなに敵愾心が強いんだ? お前は今までちやほやされてきただろ。それなのに敵対心を持つ理由が分からない」
「ちやほやされたらなつくとでも思ってるんですか? それに――」
花波は言いかけて、黙った。
「まあそんなことは置いておいても、修学旅行楽しみですね」
「……別に」
赤石にとっては、どうでもよかった。
「私は聡助様を求めてここまで来たので、修学旅行で恋仲になりますわ!」
花波はガッツポーズをした。
水城も同じことを言っていたな、と思い出す。果たして櫻井と恋仲になれるのか、赤石は水城の件は黙っておいた。
「あ、あなた水城さんと聡助様が恋仲になるお手伝いをしてらっしゃるんですってね?」
「…………」
バレていた。
「いいんですよ。どうせ赤石さんも聡助様を好きな女の子が好きなんですから、私に協力する理由はありますもの」
「ふ……」
赤石は苦笑する。
ガラガラガラ、と扉が開く音がした。
そこにはスカートの端をつまんだ黒野が、いた。
「……ちっ」
小さく舌打ちをし、教室に入ってきた。
「あら、黒野さんですの? どうしましたの、こんな時間に」
花波が話しかける。
「リア充は死ね」
黒野は黒い眼でそう言った。
花波はまあ、と手を口元に当て、驚いた。
「黒野さん、あなた私と赤石さんが恋仲だと思って? 私は転校初日に聡助様一筋だと言っていたはずなんですけれど」
「死ねビッチ」
「……」
花波は額に青筋を立てる。
怒っているな、と思った。赤石はこの事態の収束を期待する。
「なんですの、あなたその言い方」
「どうせ誰でもいいんだろビッチ。男に媚びるだけで高校生活を充実した気分でいられても、こっちとしては気持ちが悪くて吐き気がするっていうか、見てられないほど寒気がするっていうか、端的に言うとリア充死ね」
黒野はへらへらと笑う。
こりゃあ友達がいないわけだ、と赤石は合点する。
「黙りなさい」
「…………」
花波の一言で、空気が冷たくなる。
「何も知らないで知ったこと言わないでくださいまし」
「あんた、どうせ男がいなきゃ何も出来ないんでしょ。赤石なにがしとか櫻井なにがしとか言うのにいっつもいっつも付きまとって。案外櫻井が好き、とか言ってたのも実はただの演技で、他の男子に嫉妬心抱かせるだけだったんじゃないの?」
「…………」
花波は悪鬼羅刹の形相で黒野を睨みつける。
「それは侮辱と取りますわよ」
「真実と認めるってことかな」
黒野はせせら笑う。
赤石は参考書をまとめ、教室から出ようとした。
「赤石さん?」
「そういえば今日は姪っ子の家庭教師を頼まれてたんだった。ああ、急がなきゃなあ。姪っ子の成績が下がったら大変だ」
「座りなさい」
「…………」
赤石は無言で着席した。
この二人、なんて相性が悪いんだ、と赤石は眉を顰める。
「許せませんわ、あなたのその言い方。それは私の信念に誓っても、絶対に許せません」
「信念って、男に媚びること? はは、ビッチ乙」
「…………」
ぎりぎりと歯ぎしりの音が聞こえる。どうして花波がここまで黒野の言葉に固執するのか分からなかった。
赤石はただその場が静まるのを、身を縮めてやり過ごすしかなかった。




