第203話 未市要はお好きですか?
翌日、赤石はいつものように電車に乗って、学校へと向かっていた。
通学路をのんべんだらりと歩く。
「今日は気持ちの良い朝だなあ」
「そうですね」
「天気が良いと心まで洗われるような気がするなあ」
「……そうですね」
赤石は隣にやって来た女子生徒に、目をやった。
未市要、生徒会長だった。
「赤石君、元気か?」
「元気な瞬間なんてありません」
「あっはっはっはっは! 元気があるようで良かった!」
未市は赤石の背中をバンバンと叩く。
「こんなところで初めて見ましたよ」
「私もだ!」
未市は胸を張る。
「なんたって、君が普段学校に来る時間を教えてもらったからな!」
「誰に?」
「君と同じクラスの子だよ! 君は電車通学なんだってね! 君を待ち伏せるのは簡単だったよ! 次から気を付けると良い!」
「別に気を付けるような問題が起こってないんで。というか先輩、つけ回さないでくださいよ」
「はっはっは! 要さんと呼ぶと良い! なぁに、問題はないさ」
意気揚々と、未市は言う。
「未成年なんたらとかいう法律に引っかかりますよ?」
「なあに、問題はないさ。君と私の関係だろう?」
「ほぼ初対面です」
「それに何かあったとしても何も問題はないさ! 容姿端麗、生徒会長にして素晴らしいユーモア、運動能力にも恵まれている。さらに、発達した胸は男児の目を引き、スタイルも良く、人柄までも良い。そんな私が、何の取り柄もないただの一般生徒をつけ回していると人は考えるかね? 考えるわけがない。何かがあったとしても、まず疑われるのは君の方だよ」
未市は胸を突き出し、満足そうな顔で言った。
「もう一回言ってもらえます?」
「なんだい、赤石君。君は女の子にそんなにいやらしい言葉を言わせたいんだね。仕方がない、じゃあ言ってあげるよ。おっぱいも大きい、スタイルも良い、そんな完全無欠の私からして、私が君をつけ回しているなんて誰も思いはするまい」
「言質は取りましたよ」
赤石はポケットからスマホを取り出した。
「き、汚いぞ君!」
「法廷で会いましょう」
「嫌だ! 赤石君、駄目だぞそれは!」
「その慌てぶり、さては初犯じゃないですね。何回目ですか?」
「三回……カマをかけるんじゃない!」
赤石は苦笑し、ボイスレコーダーを消した。
正確には、消したフリをした。
「赤石君、中々良い性格をしてるじゃないか」
「自分の優位性をひけらかして後輩を無理矢理脅す、要さんのような人格者にはかないませんよ」
「あっはっはっはっは!」
未市は腰元に手を当て、呵々大笑した。
「笑ってその場をごまかそうとするんじゃねぇ」
「中々厳しいなあ」
未市はにやにやとしながら赤石を見る。
「あ、要さんじゃん」
よっす、と赤石の隣から男子生徒が顔を出した。
「あ~……」
そして赤石を見ると、悲しげな顔を浮かべる。
「要さん、また被害者出してんすか。あんまり他人を巻き込んじゃ駄目ですよ」
「はっはっは! そんなことはない! この子は私のことを深く尊敬しているからね。自発的に私に師事してほしいと言ってきたんだよ」
「また嘘ばっかり……。赤石君……? あんまりこの女の言うこと聞かないほうがいいよ。本当、他人をぼろ雑巾のように使い回すから」
「はあ」
「こら十上! 私の下馬評を下げるようなことを言うな!」
「あっはっは! こえ~」
十上はひょこひょこと、早足で学校へと向かった。
「何も聞かなかった、いいね?」
「いいわけないでしょ。やっぱ降りて良いですか?」
「ふふ……さっきの十上はサッカー部の元キャプテンでね……。いやあ、彼が今のサッカー部に、赤石君の黒い噂を流したら一体どうなることか……私は私の人気が怖いよ」
「あの人も要さんになんらかの恨み持ってそうでしたけど」
実際に、本当に要さんと呼ばれているんだな、と赤石は思った。
ただ、一部には要さんと呼ばれていないようだ、と岡田の件を思い出す。
「君も私の終業式のためにあくせく働くんだ!」
「まあ、ほどほどにやりますよ。参考書の件はお忘れなく」
「ちちのもんだ! 私に任しておくといい!」
未市は胸を叩いた。
「不安だなあ……人間的にも……」
赤石は未市の性格を知り、懸念材料が増した気がした。
未市は赤石の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわし、三年生の教室へと行った。
「なんか神奈先生、最近ヤバいんだって」
「え、何それ? 初めて聞いたんだけど」
「なんかそんな噂があって……」
赤石は自席で物理の公式を覚えながら、周囲で交わされる会話を聞いていた。
どいつもこいつも、どこでそんな情報を仕入れてくるんだ、と赤石は疑問に思う。
「はーーーい、お前ら席着けーーーー!」
予鈴が鳴り、神奈が教室にやって来た。
「出席取るぞー」
「あの、先生」
出席を取る前に、ある女子生徒が手を挙げた。
「先生、今年いっぱいで辞めちゃうって、本当ですか?」
「…………」
シン、と教室の中が静まり返った。
「あーーーーーーーー」
神奈はぐしゃぐしゃと頭をかいた。
「なんでこう、生徒っていうのは教えてもないことに対して敏感かなぁ」
神奈はそうぼやいた。
少し間を置き、
「えーーー、実はもう少ししてから言おうと思ってたんだが、私は今年いっぱいで転勤になる」
神奈はそう言った。
「「「えええええええええええええええええええええええええええ!」」」
教室内がにわかに騒がしくなる。
「え、なんでなんでなんでなんでなんで!?」
「そ、そんな……私嫌だよ……」
「ああ……また学校から美人教師がいなくなる……」
「な、なんでだ!?」
「噂通りかよ……」
「悲しい……」
生徒たちが騒がしくなる。
「おーーい、ストップストップ。あんまりうるさくするな~」
神奈が手を叩いて生徒たちを落ち着かせる。
「な、なんでだよ!」
そこで、一人いきり立った生徒がいた。
「なんでだよ、美穂姉……!」
櫻井だった。
「あ~……聡助、ごめんな。卒業するまで聡助のこと見てやれないで」
「な、なんでなんだよ!」
櫻井は大声で、言う。
「もう決まったことなんだよ……」
「決まったことじゃねぇよ! なんでそんなに簡単に諦めんだよ! 美穂姉! いつだって俺たちのこと見てくれてたじゃねぇか!」
「ごめんな……」
「なんでなんだよ……」
櫻井が拳を握りしめ、ぷるぷると震える。
「なんで俺に相談してくれなかったんだよ! 美穂姉!」
「相談なんて……出来ないからな」
「美穂姉!」
櫻井が声を張り上げる。
教室が、ぴり、とひりつく。
神奈は最後までいると思ったけどな、と赤石はのんきに頬杖をつく。
相変わらずラブコメの主人公然とした、自分が主役のような立ち回りが上手いな、と櫻井を見ていた。
「俺は……俺は絶対そんなの信じねぇ!」
「ごめんな……」
神奈はそうして、出欠を取り始めた。
「どうして俺たちの前からいなくなるんだよ、美穂姉……」
櫻井はただ、そう呟いていた。




