第202話 二学期はお好きですか? 6
「そろそろ帰るか……」
花波に絡まれ集中力を途切れさせた赤石は帰宅の準備を始めた。
「赤石君は君か!」
「……」
教室に、女子生徒が入ってきた。
同学年の女子生徒と、制服のリボンの色が違っていた。一目見て、三年目の先輩だということに気が付いた。
「違います」
赤石はそう言って、立ち去ろうとした。
「まあまあ、そう邪険にするな。私は一目見た人の顔を忘れない。君は赤石君で間違いない。私が言うのだから百パーセントそうだ」
「……」
なんだこいつ、と思った。
「ん、私が誰か分からないか?」
「全く」
「全く、この高校に通っておいて君も中々。他人に興味を持ちたまえ」
「はあ」
なんで初対面の人間にこんなに叱咤されているんだ、と赤石は苦い顔をする。
「私はこの高校の生徒会長、未市要だ! 要さんと呼ぶといい!」
「はあ」
女子生徒は胸に手を当て、誇ったかのように言う。
八谷が櫻井を誘った時の生徒会長演説を思い出した。あの時、一番語彙力がある人間を、と投票したその人間こそ、未市だった。赤石はその事実に思い至る。
「そんな高校のトップに鎮座しているような人間が俺に一体何の用で?」
「まあまあ、そう嫌な顔をするんじゃない。とりあえず一旦落ち着こうか」
「いや、ここ俺の教室なんですけど」
「俺の教室とは、中々格好いいじゃないか」
「いや、それは言葉の綾」
未市は赤石の前の席に座り、赤石を自席に着くように促した。
「実は君に頼みがあるんだよ」
「嫌です」
赤石は立ち上がった。
「なんでそんなにつっけんどんなのかな? 何か他人に対して劣等感、あるいは嫌な思いがあるのかい? 自分に自信がないのかい?」
「……」
人の心にずけずけと入ってくる。
「別に……」
「そんな風には見えないけれど。話くらい聞いてくれてもバチは当たらないと思うよ」
「もう受験も近いし、勉強しないといけないんで」
「人生っていうのは勉強だけで出来ているわけじゃないんだよ。むしろ勉強の方が比重としてははるかに小さいと、私は思うがね。それに私の方が受験にはほど近いよ。はっはっは」
「豪胆ですね。まあ今の僕らからすれば勉強ほど重大なものはないような気もしますけど」
未市は赤石の席に両肘を乗せた。
「ところで赤石君、どうして一学年も上の私が君の所まで三顧の礼をかけてやってきたか分かるかい?」
「まだ一回目ですけど」
「~~~」
未市は嬉しそうに、視線を赤石から外す。
特殊な思考を持つ人間だな、と赤石は思った。
「生徒会長は俺に何の用ですか?」
「要さんと呼ぶといい。大丈夫だ、皆そう呼ぶ」
「何が大丈夫なのかさっぱり分からないですけど。要さんは何のために来たんですか?」
「入りたまえ」
未市が廊下にそう声かけると、一人の男が入ってきた。
「……こんにちは」
「こんにちは」
眼鏡をかけた、相貌の柔らかな男が出てきた。
「彼は岡田健司。生徒会副会長だ」
「こんにちは」
男はゆっくりと、赤石の下にやって来た。
「赤石君かな?」
「そうです」
「……お会いできて光栄だよ」
「そんな光栄な人間じゃないと思いますけど」
赤石は岡田の握手に応じる。
「実は岡田は、赤石君のファンなんだ」
「そんな綺麗な容姿してないと思いますけど」
「顔じゃない。作品だ」
「はあ……」
何らかの創作物を発表したこともない赤石にとって、目から鱗だった。
「多分誰かと間違えてますよ。俺は別にそんなクリエイティブな人間じゃないんで」
「クリエイティビティなんてものは誰にでも備わっているし、誰にも備わっていないともいえると私は思うな。岡田、説明」
「そうですね会長」
赤石は未市を見た。
未市は嬉しそうに笑うだけだった。
「赤石君、文化祭のことを覚えてるかな?」
「まあ、もちろん」
「あの時君はビデオ作品を発表したと思うけど、覚えてる?」
「ああ、なんだっけな……。花送り?」
「そう、それだよ!」
岡田は興奮気味に言った。
「あれの脚本を書いたのは君なんだって!?」
「まあ」
「最高だったよ、あの作品は! 君は天才だよ」
「申し訳ないんですけど、あんまり褒めるの止めてもらえますか。俺褒められるの嫌いなんですよ。自分の持ってるものを自身で過剰に評価してる人間が嫌いなんで。すいません」
「あははははは、思った通りの人間だよ、君は。どす黒い、性格が悪いね」
「それは良いことですね」
赤石は苦笑した。
「岡田、初対面の後輩にそんな失礼なことを言うんじゃないぞ」
「すいません」
岡田は未市に頭を下げた。
「そこでだ、赤石君。物は相談なんだが……」
未市は言葉に詰まった。
「実はこれはオフレコにしておいて欲しいんだがな、実は私たちの卒業式で動画を出そうと思ってるんだ」
「ほお」
少し興味がわいてきた。
「高校の卒業式なんて、普通は誰しも一回だ。私だって、一回きりだ。そんな卒業式を、自分たちで少しでも華やかにしたいんだ。その思いに賛同してくれている人たちで動画を作ろうと思う」
「いいんじゃないですか。別に時間通りなら」
「普段の卒業式から大きく逸脱するような行為はしない。けど、少しだけ動画を流したいんだ。この三年間の集大成として」
未市は小さいながら、熱気のある声で言う。
「そこでその動画の総監督に任命されたのが岡田だ」
「なるほど」
「岡田は君に脚本を頼めないか、と言っているわけだよ」
「なるほど」
話が読めた。
卒業式で動画を作るから脚本を書け、そういう話だった。
「もちろん、お断りです」
赤石は即座に断った。
「はははははは、生徒会長の頼みを断るんだな」
「メリットが何一つとしてないんで。褒めたら調子に乗ってやってくれると思ってたんですか? お断りです」
「そんなつもりは毛頭ないよ。まあそう言うと思ってだね、実は報酬も用意している」
未市はカバンから、数冊の参考書を取り出し、机の上に置いた。
「私が使った後の参考書を、私が卒業した後に君に贈呈しようと思う」
「……」
それが何を意味するかは、明確だった。
「君に嫌われるかもしれないけれど、あえて私は言うよ。私は頭がかなり良い。生徒会長をやっているくらいだからね。参考書にも色んな書き込みがしてある。ここをこうすればよりよく、より早く問題が解ける。その問題の傾向、勝手に作った語呂、色んなものが、この参考書に書いてある。これを君にやろう。どうせ私からすれば、大学入学後は役に立たないものだ」
「それは……」
脚本を書くだけで、一年以上勉強に時間を費やしてきた学徒の参考書がもらえる。赤石にとってそれは、魅力的な提案だった。部活動に所属していない赤石からすれば、なおさら良い報酬だと言えた。
「その条件なら、まあ数分の動画くらいなら脚本を書いてもいいですね。花送りほどの長編ムービーじゃないみたいなんで。まあ素人が書く脚本なんてお察しですけど」
「気に入ったよ」
赤石は三年目の卒業式の動画の脚本を書くことを快諾した。
「実は黙っていたんだが、君の作った映画は当初、文化祭で流させない予定だったんだよ」
「聞いてないですよ」
赤石は岡田を見る。
赤石は文化祭に出す前に、一度生徒会や教師陣に動画のチェックを受けている。
「先生方からも大いに反対されてね。そりゃあ、当たり前だよ。あんな映画、どこでだっておいそれとは出しちゃあくれないよ。それを取り持ってくれたのが、岡田だ」
赤石は岡田を見る。
「こいつが君の映画が無事に上映できるように東奔西走してくれたんだよ」
「じゃあそれをネタに脅せばよかったでしょう」
「そこまで悪事を働く気はないさ」
未市と岡田は共に笑った。
「そこまで時間を取らせるつもりもない。何度も無駄な会議に呼ぶこともない。ただ、少しだけ話し合いたいときに呼んでもいいかな?」
「まあコンセプトが固まったら適当に考えときますよ」
「よろしく頼むぞ。邪魔したな」
「はい」
そう言うと未市と岡田は教室を出た。
「今日は人の出入りが激しいな……」
赤石はようやく、帰宅の準備を始めた。




