閑話 動物園はお好きですか?
「うぃーっす」
「ああ」
赤石は後方からかけられる声に、振り向くことなく反応した。
「おまた~」
船頭が後ろから赤石の肩を叩く。
「興奮した?」
「消えろ」
「はぁ~!? じゃあもっと言うし。おまた~、またまた待った~?」
「うるさい。黙れ」
赤石は歩き始めた。
「いや~、悠人と遊ぶの久しぶりだなぁ~」
「高梨とかと会っただろ」
赤石は船頭の遊びの誘いに押し切られ、動物園へと来ていた。
「動物園は好きじゃないな」
「え~、なんで! こんなに可愛いのに動物」
「良い匂いしないし」
「そりゃあ動物なんだから当たり前っしょ。自然を愛でるのが目的なわけ」
「何考えてるか分からないし」
「私には悠人の方が何考えてるか分からないよ」
「見るだけで金かかるし」
「そういうもんでしょ、娯楽施設って」
あ、見て見て、と船頭が猿の檻に駆け寄っていく。
「おいゆかり! なんでお前そんなところに……待ってろ、今助けてやるからな!」
「殺すぞ」
手すりを掴んで大仰に演技をする赤石に、船頭は冷ややかな視線を浴びせる。
「夏休み終わるね~」
「そうだな」
船頭は猿の日常を堪能して、再び歩き出した。
「宿題終わった?」
「七月の時点で終わってる」
「マージ―。私何も終わってないんですけど」
「なんでこんな所来てんだよ。帰れ」
「いやいや帰らないから。もう諦めたから試合終了ですよ」
「ネガティブすぎる名言だ」
赤石は檻の中のキリンを見上げた。
「ね~悠人~」
「なんだ」
「私楽しいことしたい~」
「今だろ」
「うん、特に意味もなく言った」
「そうか」
船頭は手すりにつかまりながら、体を左右に揺らす。
「私らって高校生じゃん?」
「そうだな」
「このまま年重ねてくと大学じゃん?」
「そうだな」
「なんか私、自分が大学生になってるってイメージ全然湧かないんだよね~。私、ずっと女子高生のままって気がする」
船頭はリップを塗った。
「俺も一生男子高校生のままのような気がするよ」
「男子高校生は価値ないからいいじゃん。女子高校生は今が一番楽しいの」
「なんだかんだ言って大学生になったら大学生の、大人になったら大人の楽しみがあるんじゃないか」
赤石は飼育されているキリンの説明を読んでいた。
「悠人~、大学どこ行く?」
「北秀院」
「地元の? あ~じゃあ私もそこにしよ~」
「行けるのか? お前の学力で」
赤石は船頭を不安そうに見る。
「むきーっ! 馬鹿にするなし!」
「効果音を自分で言うな、気味が悪い」
船頭は赤石の肩を叩く。
「大学って落ちたら終わりじゃん?」
「浪人だな」
「厳しくない? ワンチャンスじゃん。一回きりで色んな人が大学に落とされるって、私どう考えてもシステムがおかしいと思うんだけど」
「それは分からなくもない」
それでもやるしかないのかもな、と赤石はため息を吐く。
「しかもセンター試験なくなるとかなんとか」
「言うな」
「私は不安だよ、今後の人生」
「俺もだ」
「何か困ったらお互い助け合おうね?」
「それがいい」
赤石は苦笑した。
船頭と赤石は再び、歩き出す。
「あ、ここ象の餌やり出来るって」
「そうか」
赤石は餌を買った。
「腹減ってるだろ。食えよ」
「なんで私!? おかしいでしょ! それ象用!」
「……」
「なんか言えよ!」
赤石は象に餌を放り投げた。
「手が……」
赤石は手をまじまじと見る。
「その手で私に触らないでね」
「……」
赤石は無言で船頭を見た。
ゆっくりと、船頭に寄っていく。赤石の意図を察した船頭は顔を青くし、一歩ずつ後退する。
「へ、変態! 痴漢! 死ねボケ!」
赤石はそのまま手洗いへと向かった。
「違った……」
船頭は一人取り残され、呟いた。
暫くして、赤石が手洗いから帰ってくる。
「お前、自然を愛でるのが目的とか言ってただろ。自然界の食料を前にして逃げまどうな」
「それはそれ、これはこれ、私清潔だから」
船頭は消臭スプレーをプッシュした。
「こういう言行不一致な人間が自然界を駄目にしてく」
「いわくなき罵倒なんだけど」
「いわれなき、のことか?」
「あーうっさ!」
船頭は笑いながら赤石を睨んだ。
「悠人よく人にウザいとか言われない?」
「自分の意志に従っててすごい尊敬できる、とはよく言われる」
「そういうとこ。悠人、人に嫌われる要素多いよ」
「褒めてくれてありがとう」
「続けざまに出たよ」
船頭は赤石を半眼で見る。
「良かった、たまたま悠人の周りに良い人がたくさんいて。私とか」
「お前もじゃねぇか」
「はっ!」
船頭はわざとらしく手で口を隠す。
「そういえば皆どうしてるかな~?」
「夏休みの宿題に追われてるだろうな」
「安月ちゃん? って悠人の後輩なんだよね」
「ああ」
「悠人って後輩と喋るときあんななるんだね?」
「どういうことだ」
「ちょっと先輩面する」
「してねぇよ」
赤石は渋い顔をする。
「あと、水城ちゃん? とかいなかったね、プールとか」
「まあ櫻井の取り巻きだからだろうな」
「櫻井の取り巻きって何? 櫻井? って人のこと好きってこと?」
「ああ。あいつ以外にも新井、葉月、八谷っていう女子高生がいるんだよ」
「八谷ちゃんバーベキューいたじゃん」
「俺にも八谷のことはよく分からない」
赤石は悩んだ。
「八谷ちゃん、最近どう?」
「悩んでる時間が増えた気がする。俺が初めてあいつに会ったときはあんなに悩んだり不安になったり、そういう奴じゃなかった。あいつにはトラブルが多すぎた。問題に巻き込まれることが多すぎた。誰かがあいつを、ちゃんと問題からカバーしてやらないといけない。あいつは元々心根が強い人間じゃない」
「ん~……」
船頭は次の動物を見るため、小走りになった。
「どういうのだったの、最初は?」
船頭は赤石の目を見る。
「あいつはもっと野性的で、自分の言うことに絶対の自信があって、櫻井が大好きで、快活で、元気で、自分の信じることに良くも悪くも一生懸命で自分の言うことを間違いだと思わないやつだった。でも今は違う」
「そうなんだ……」
「……」
「……」
沈黙。
「もしかして八谷ちゃんって悠人のことが好きなんじゃないの?」
「……」
「……」
赤石は、止まった。
時間が、止まった。
赤石自身、八谷が自分に好意を持っているんじゃないか、と思っていた。その可能性を全く排除したことはなかった。
常に八谷が自分に対して好意を抱いている、と思いながら振る舞っていた。
だが、赤石自身その後どうすればいいのか分からなかった。
八谷に好意を告げられたわけでもない。八谷が櫻井に敵意を持っているわけでもない。八谷の好意をもし直接告げられたとして、赤石自身、その好意に報いることが出来るのか、あるいは本当にただの勘違いなのか、と思ったこともあった。
それでも八谷が自身に好意を伝えるのではなく、櫻井が好きだと言っているこの状況に、赤石は不安を感じていた。
「あ、ごめん……今のなし」
船頭が慌てて場を取り繕う。
「いや……」
赤石が片手で制する。
「俺も八谷のことはよく分からない。八谷は俺と櫻井との間で悩んでいるのかもしれない。八谷は俺に対する感情と櫻井に対する感情で悩んでるのかもしれない。俺はあいつに、櫻井がそれでも好きだ、と言われた。俺はあいつの答えを待つことしかできない」
「……そっか」
船頭は暗い顔で口を閉ざす。
「俺は最初、あいつが櫻井と付き合うための道具として、そういう契約であいつと係わることになった。もしかするとそれがあいつを苦しめてるのかもしれない。それがあいつの悩みで、不安の種になってるかもしれない。俺は一体、俺がどうすればいいか分からない」
「……うん」
船頭は体を翻した。
「ご、ごめん! こんなところでこんな話……」
そして船頭は無理矢理、明るく笑った。
「いや、俺の方こそ悪い。俺が全部悪い」
「そんなこと……ないし」
「また答えが出たらお前にも教えるよ」
「…………そだね、ありがと悠人」
船頭は微笑みまどろんだ。
「じゃあ夏休み、悠人との最後の思い出だーーーーー!」
「おい」
そう言うと船頭は赤石の服の袖をつかみ、引っ張っていった。
「こけるなよ」
「大丈夫大丈夫、こけぶへっ!」
直後に、こける。
「馬鹿だなお前は……」
「いたいーーーー!」
赤石は船頭のケガを、手当てした。
「……」
「……」
船頭は涙目でケガの手当てを受ける。
「……」
「……」
船頭はそっと赤石の顔を見た。
「悠人、これから私に何かがあったらずっと私の味方でいてね」
「……ギャル男にはなれない」
「そういうこと言ってるんじゃないから!」
船頭は唇を舐めた。
リップの味がした。
「悠人って、なんだか突然私の敵になっちゃいそうな気がしたから……」
「…………」
手が止まる。
櫻井への復讐を敢行しようとしているこの状況のことなのか。言い当てられているのか。冷汗が流れ落ちる。
「悠人、なんか私の……私たちの敵になっちゃいそうな気がしてて……あはは、私ばっか~、何言ってんだろ」
「……本当だよ」
赤石は傷の手当てを再開する。
「本当に、私の味方でいてくれるんだよね?」
「…………さあな」
「私が何しても味方でいてくれる?」
「……いつか敵になるかもしれないな」
赤石は寂しい声で、言う。
「悠人、いつも不安そうな顔してるし」
「……俺は毎日が楽しいよ」
赤石は苦笑した。
「夏休みの宿題、手伝ってね」
「それが目的か」
赤石は船頭の傷の手当てを雑に終えた。
「違―――――う!」
船頭は手当てされた場所をさすった。
「もっともっと遊ぼうね!」
「ああ……」
赤石は歩き出した。




